ゾンビのマリー_2


 暗闇の中でベッドに横たわっていると、いつも違和感を感じる。マリーは手足に枷がないことに、幸せを見出せないでいた。

 腕をつねる。だが、痛みはない。枷がないことで、自分が人間であった時のことを思い出してしまう。

 人間と魔物との狭間にいる感覚を泳ぐような夜が、今日もまた明ける。

 寝ぼけ眼でベッドを這い出て、鏡に映る自分の姿を見る。自分が人間でないことを、彼女ははっきりと認識できた。

 食堂にて、空腹を埋めるだけで上手くも不味くもない食事を取っていると、この施設内で唯一見たくない男であるカーターが顔を見せた。

「今日から、仕事場変更だ」

 ようやく仕事に慣れてきたというところだが、不満な顔も見せずマリーはただ従う。

 連れてこられた場所は、畑だった。そこには、以前の工場とは違い、ほとんど人の姿をした者はいない。ほとんどが、獣型の魔物が担当する場所であった。

 同じ班の魔物たちに挨拶をすませ、マリーは仕事に取りかかる。魔物用の作物を扱う過酷なその職場は非力な彼女が担当するような場所ではなく、昼食の時間になると、彼女の精根尽き果てた姿が食堂にあった。

「ずいぶんしぼられたようだな」

 隣でかきこむように昼食を取るカーターを尻目に、マリーは食事に手をつけられずにいた。痛みは感じない。疲労も感じない。だが、体が思うように動いてくれないでいた。

「ちゃっちゃと飯食って、午後からもがんばれよー」

 さっさと食器を片しに席を立つカーターを、マリーは恨めしく見た。その瞳には、カーターの後ろ姿と義父の姿が重なって映った。

 午後からの仕事は、同じ班の狼男が力を積極的に貸してくれ、倒れることなくなんとか終了の三時を迎えた。仕事後に遊びに行く班の誘いを断り、マリーは食堂へと向かった。そこには、癒しの存在である、この施設にはいない人間の少女がいた。

 コリンとマリーは楽しげに今日もイザドルの話をした。新しい仕事場の過酷さをコリンに話そうとしたが、マリーはやめた。

 コリンとの会話を終え、マリーはいつものように黄昏る。夕食を終え、シャワーを浴び、自室で月を眺めた後、早めに就寝した。

 翌日も、同じように続く。その次の日も、またその次の日も。

 その間、カーターはほとんどマリーに姿を見せなかった。それが、マリーには不気味でもあり、喜ばしいことでもあった。

 だがある日、マリーは新しい職場で積み重ねられた疲労にやられ、ついに倒れてしまった。

 感覚のなくなった自分の体になにが起きたのかわからず、マリーはとにかく周りの世話をうけるがままにベッドに横たわっていた。

 不思議な感覚だった。人間の姿の自分が、子供のころから恐れていた化け物の姿をした魔物たちに優しく看病されている。マリーは、体から力が抜ける思いがした。

 いつもの時間になると、コリンが見舞いに来た。マリーは笑顔を浮かべて、彼女の来訪を受け入れた。

 だが、コリンは仕事があると、五分も経たない内に帰ってしまった。今日はイザドルの雑用が立て込んでおり、イザドルの言いつけをカーターに伝えに来たのだという。

 マリーは以前の生活を思いだした。来訪者は自分を恐れ、用が済めばすぐに消えてしまう。マリーはただ手足の枷を受け入れ、何もすることなく生活していた。

 天井の木目を目でなぞっていると、新しい見舞いが彼女を訪れた。同じ班の連中だ。彼らは自分たちとは違い細い体のマリーをえらく心配し、滋養のつく食べ物を持参してきた。

 マリーは嬉しかった。だが、なぜだろうか。笑顔が出なかった。作るしかなかった。

 社交辞令としかとれない余所余所しい応対をマリーは取り続けていると、化け物の見た目をした彼らは一時間ほど後にこの場を去った。

 再び天井の木目を目でなぞっていると、声がした。聞きなれた、嫌な声だ。

「お前、本当にどうしょうもねえやつだな」

 カーターの声がする。だが、姿はない。声はすれども姿は見えず、といったところか。

「あの嬢ちゃんの前では笑えるってのに、心配してくれたあいつらの前では、笑えねえのかよ」

「……」

「仕事で迷惑かけといて、ぶっ倒れて心配させて、お前、それなのにあの態度はなんだコラ。嬢ちゃんはすぐに帰ったろ。それなのに、いい笑顔してたよなあお前。それなのに、仕事中ずっとお前のことを心配して見舞い物を持ってきて、長くお前を看病してくれたあいつらには、あの作り笑いかよ」

 マリーは黙っていた。カーターは重たい息を吐くと、彼女の核心をつく。

「嬢ちゃんが、人間だからか?」

 マリーは目を見開いた。姿の見えない相手を探して、目線を動かす。

「俺たちは魔物だ。お前もな。俺たちはそれがわかってる。けど、お前はわかってねえ。お前はまだ、自分を魔物だって認めてねえ」

「……仕方ないじゃないですか」

「まだなったばっかだからってか? そんなの、俺らは知ったこっちゃねえよ。お前は俺らと同じ魔物。それは変えようのねえ事実なんだ」

 マリーは耳を、目を、ふさぐ。現実から逃れようと、五感を閉ざして意識を遠のける。

 カーターは耳をふさぐ手をどけ、暴れる相手に話を続けた。

「お前はまだ自分のことを、人間だと思ってる。だから、人間の嬢ちゃんの前では素が出せるんだ。安心できるんだろ? 自分と同じ人間だって。でも、お前は自分が魔物だとも思ってる。その事実は理解してる。けど、認めたくねえんだろ?」

「うるさいうるさいうるさい!」

「けどな、人間だってお前が思えば、お前は人間だ。ここにはそんなやつもいっぱいいる。けどな、お前と違ってそいつらも俺たちと上手くやっていけてる。割り切ってるからだ。人間と魔物の関係を」

 マリーの手から、押さえつける力が離れる。部屋の扉が開く音がした。

「お前はどっちだ? 人間か、魔物か。よく考えてみろ」

 扉が閉まる。足音が、遠のいて行った。

 自由になった腕をまぶたに押し当てる。マリーは嗚咽をもらした。


 翌日になると、すっかりマリーの体調は回復していた。

 ベッドから這い出て、鏡を見る。だが、今朝は眠気は醒めなかった。

 食堂につき、列に並ぶ。今日もトカゲ顔の男が、デザートをサービスしてくれた。

 長テーブルの端の席につき、食事を取る。味を感じないと言うのに、するすると胃に入っていった。隣にまた鱗肌の少女が座ったが、彼女が物欲しげな目線を向けた時には、マリーはすでに食事を終えてしまっていた。

「美味しかった?」

 鱗肌の少女は笑顔で聞く。マリーは息を吸うと、笑顔を浮かべた。

 掃除を終え、仕事が始まる。マリーは先日のお詫びと礼を述べると、班に混じって仕事に取り組んだ。

 午前の仕事を終え、昼食をまた端の席で取り、午後の仕事も終える。これから飲もうとする班のメンバーの輪から外れ、いつものごとくそそくさとマリーは帰る。

 食堂にて、コリンとマリーは談笑する。コリンは見舞いとして、酒を持参してきた。

「先生が、これを持って行けって。快気祝いになったからよかったですけど、病人相手にこれって。本当にあの人は常識なしですよ」

「イザドルさんらしいですね」

 二人は笑いあい、また会話はイザドルの話題となった。ちなみに土産の酒は上物であり、昔酒店で働いていたマリーにはそれが理解できた。

 コリンと別れた後、マリーはその場に居座らず、歩き出した。目的地は、この施設内で唯一酒を扱う娯楽所だ。

 娯楽所の扉を開ける。そこには、班の面子が顔をそろえていた。

「私も、混ぜてもらってもいいですか?」

 マリーは土産でもらった酒を顔まであげると、笑みを浮かべる。班の面子は、喜んで彼女を席に招いた。

 土産の酒を、全員のコップに注ぐ。乾杯も待たず、マリーはそれを煽った。

 いい飲みっぷりに拍手を受けると、マリーは手酌でもう一杯。強いアルコールで喉を焼かれ、マリーは気持ちのいい息を吐きだした。

 周りも負けじと、杯を空ける。マリーは酒を全員に再び行き渡らせると、髪を振り上げ、心の底からの笑顔を浮かべる。

「私は、ゾンビのマリーです。改めて、よろしくお願いします」

 乾杯の音が響いた。


 その晩、管理室にカーターとイザドルの姿があった。二人はコリンに持たせた土産の酒と同じものを酌み交わしている。

「いやあ、なんとかうまくいったようだねえ。嫌な役をやらせちゃって、悪かったね」

「いいんすよ。でも、教えられたセリフをそのまま言うのは、結構恥ずかしかったっすよ」

「ははは、でもその名演技のおかげで、こうして彼女は溶け込めたんだ。お疲れ様。あ、ちなみにこの酒の値段知ってる? 君のひと月分の給料」

「ま、まじですか!?」

「うん、そうだよ。ちなみにこれは僕から君への労いだけど、彼女に送った酒は君からのプレゼントってことでよろしく」

「……え?」

「彼女を農作業に駆り出して、過労で倒れさせた罰。ひと月無給で働いてね」

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