殺人事件と魔物の女性_3

 イザドルとコリンは途中で降り、女性のみを馬車で走らせた。イザドルによれば、彼の扱う魔物の施設へ送られるそうだ。

 その際、イザドルは先ほど受け取った後金をそのまま女性へと手渡した。手前味噌にも整った施設とは言い難いらしく、道中娯楽物や綺麗な服でも買っておくようにとイザドルは伝えた。

 相手を油断させるためや、奴隷への最後の思い出に添える常套句にも思える。けれどコリンは自分でもわからないが、イザドルが彼女をその施設で奴隷のように扱うことを想像できないでいた。

 自身で理解できない心情に戸惑うコリンに、イザドルは昼食を取りつつ、声をかけた。

「君のお父さん、行方不明なんだってね」

 熱々のミートパイを頬張り、イザドルは熱い息を吐きながら笑って見せる。

コリンは、目を血走らせた。

「今朝、村長さんに聞いたんだよね。君のご家族はどうしてるのかなあと」

「それがなんだって言うんですか……?」

「殺人現場で発見した血。あれ、コバンツだったんだよ。被害者の傷を負わせられるゾンビ」

 コリンは体を震わせた。イザドルはナプキンで口を清めると、ワインを一口。酒気を含んだ気持ちのいい息を吐き、上目遣いに目の前の女性を見る。そして、なんの邪念もない柔和な笑顔を見せた。

「僕は繋ぎ人です。正直に、話してくれませんか?」


 夜が更けるまで、二人は滝を目の前に木陰に隠れていた。昼食を取ったレストランでしたためてもらった夜食とワインを腹に収め、さらに二人は時を過ごした。

 ほとんど酒を飲めないコリンも、この時ばかりは意識をそらすようにワインを口にした。

 月が雲に隠れた時だろうか。コリンのまぶたが目を覆って来た頃、物音が耳に流れた。

 一人の男が、滝の前にござを敷いて腰かける。皮膚のただれたその男の口からは、泡状の涎がだらしなく垂れていた。

 コリンは息を飲む。震えも起きる。その様子を目にし、イザドルは優しく彼女の肩を擦る。

「行こうか」

 先立つイザドルに続き、コリンも木陰から姿をさらす。ござに腰かけた男が、淀んだ目をこちらへ向けた。

 唸り声をあげる男を目の当たりにし、コリンは立つ感覚を失いかけた。崩れかけるその体を、イザドルは絹を扱うように抱えた。

「間違いないかな?」

「……はい」

 コリンと男の目線が絡む。潤んだ目に遮られようと、男の姿がコリンにははっきりとわかり、感情がこみ上げた。

 イザドルに向かい、コリンは小さく頷いた。それを合図に、イザドルは地べたに這わせておいた紐を引く。それに続き、男の周辺で粉が舞い上がった。

その粉はすぐに霧のようにさらに細かくなり、視界を遮って行く。緑の液体の入った瓶を取り出すと、イザドルは粉塵の中に飛び込んで行った。

視界に写らない場所で、コリンの耳には人間ではない悲鳴が流れ込んだ。

 一分も経たないうちに、イザドルは粉塵の中より姿を見せる。その手中には、男が尻に敷いていたござが抱えられていた。

 イザドルは無言でそれを渡す。コリンはそれを胸に押し抱き、膝をついた。

 そのござには、男の腐敗臭にも負けない、乳臭いコリンの匂いが染みついているような気がした。そして、彼女の両親の、優しげな匂いが。

「彼は、まぎれもなくゾンビ。コバンツだった」

 粉塵が徐々に風に流され、男の姿が見えた。朽ち行く、その姿が。

「彼は正気を失っていた。謎が多いコバンツだけど、彼らが正気を失う理由はただ一つ。自分の肉を食した時だ」

 コリンは虚ろな目でイザドルを見る。雲から逃れ、月明かりがイザドルの背を照らした。

「コバンツはゾンビの中でも人肉に飢えた種類。一度でも人肉を口にすれば、人ではなくなるけれど、正気は失わなくてすむ」

 コリンの目頭が熱くなる。あと一言でも、自分の心の奥に触れられれば、あるものはせき止められなくなる。

「彼は、カニバリズムの欲求に負けず、空腹を自分を食うことで我慢していた。そのせいで、彼は正気を失くして、習慣と本能で生活するようになった。けれど、彼には、空腹を満たすよりも、昔の想いでの地に赴く方が、渇きを埋められたようだね」

「もう……やめてください……」

「彼は人間だった。最後の最後まで、人間だった。君の、お父さんはね」

 コリンの目から、熱いものが噴き出した。それは、自分自身でも止められず、また、止める気もなかった。コリンは感情の赴くまま、朽ち行く父の側でひたすらに泣き続けた。


 翌日、イザドルにより事件の真相が語られた。殺人犯は例の女性ではなく、コリンの父親であると。それは事件現場に残されていた血痕と、彼の一人暮らしの家の窓辺に残された真新しい血痕との一致から証明された。犯行動機は不明。加害者の血も現場に残されていたため正当防衛である可能性も示唆されるが、罪人はすでに亡き身のためにこの事件は迷宮入りとなった。

コリンが養父以外に別居中の父親の行方不明を黙っていたことを、殺人現場の前日、コリンが父の家で淀んだ目をした父を見かけたことを、そして、彼がコバンツであったことを、イザドルは口上しないでいた。

 コリンの父は罪人ながらすでに亡骸として、人間として、コリンの家系の墓へと埋葬された。

コバンツは先天性か後天性か発症原因がわかっておらず、イザドルも彼がコバンツになった理由に関してはさじを投げた。発症原因がわからない限り、彼を魔物と扱うことはできないとイザドルは申していたが、それをコリンを除き唯一報告された養父は、悲しげに、そして嬉しげに顔をほころばせていた。

事件の真相解明からさらに翌日、イザドルは村を去る準備をしていた。荷物を纏め、すでにそれは馬車へと積んである。

仰々しい挨拶や礼をする住民を自警団の役所であしらった後、イザドルは待たせておいた馬車へ乗る。その馬車には、先客がいた。

「どうも」

 コリンの晴れ晴れとした顔がそこにはあり、イザドルは眉をひそめた。彼の問答がよこされる前に、コリンは口を開く。

「私も連れてってください。自分でさんざん乙女の家庭事情をひっかきまわしておいて、傷心の少女を置いてくほど、先生は野暮な人なんですか?」

「たった数日の間に、ずいぶんいい性格になったね君」

「ええ、それはもう。父親が殺人を犯したとあったら村にもいれないですし、村長にもこれ以上迷惑をかけられません。母もいない私が頼れる相手はいなくなりました。生きてく為にも相手が、すっごく! 変人の繋ぎ人だろうと、必死に雇ってもらうアピールをしないとですから」

 イザドルは声をあげて笑った。そして、にこにことした笑みを浮かべるコリンの頭を、そっと優しく撫でると、コリンは面を伏せた。

「私がもっとはやく、村の皆に父の失踪を話しておけば、事態は変わっていたでしょうか?」

「そうかもね」

「そうかもねって……」

「僕は神でも聖人でも心理学者でもないからね。僕の感性のままに発言するよ。彼がいつコバンツになったのかはわからない。それは、今の研究ではわからないんだ」

「先生でもですか?」

 イザドルは頷く、コリンは目をこすり、力強い笑みを向けた。

「それじゃあ、私はその原因を見つけるために、先生についていきます! 疫病神扱いされても、しつこくついてきますのでよろしくお願いします!」

 沈黙が流れる。コリンは笑顔ながら、不安の汗を流した。

 イザドルは運転手に前金を掴ませる。コリンの笑顔と共に、馬車が動き始めた。

「やっぱり繋ぎ人って、後味の悪い仕事だねえ」

 風が吹く。どこからともなく、焼き畑の匂いがした。

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