殺人事件魔物の女性_2
コリンがなにを問おうが、イザドルは昼食をなににしようかとしか言わない。
村はずれにある唯一の飲食店に入ると、ようやくイザドルはコリンの話に耳を傾けた。
「たったあれだけで、どうして彼女が魔物だとわかるんです?」
「僕には、わからない理由を教えてもらいたい」
マスタードをたっぷりと乗せた肉の薄切りを挟んだサンドウィッチを、イザドルは喜色満面に頬張る。
「まず匂いがしない。心臓の動きも人間よりマイナス三倍。針をたてても反応なし。つまり、痛覚も消えている。まさしくゾンビの特徴だね」
「じゃあ、彼女が犯人ということで決まりですか?」
「違うよ」
眉をひそめるコリンに、イザドルは楊枝の先を向ける。
「君は、ゾンビの種類が言えるかい?」
「え、種類なんかあるんですか?」
「それはもう、ゾンビにも色々あるさ。ピンキーにカイブル、コバンツにミーグル、バルナラナーシにリンピル。その中でも、彼女はピンキー。ピンキーの特徴を知ってるかい?」
コリンはかぶりを振る。話をすり替えられた気がしたのか、彼女の唇はやや尖っている。
「ゾンビの中には怪力のもいるけど、ピンキーは人間そのものなんだよ。ただ、人間が生き返ってほとんどの感覚を失っただけ。だから、ピンキーには死体をあんなひどい顔にする力はないんだよ、魔物だからってね」
イザドルはサンドウィッチを平らげ、追加注文をする。
繋ぎ人といった信憑性が強まった相手を見て、コリンの心中は穏やかなものではなかった。
「それじゃあ、なんであの女性を保護しようとするんですか?」
保護と称して彼女を商売に扱おうとしているのではないかと、コリンは考えているのだ。
「それは、明日になればわかるよ」
新しく届いたサンドウィッチにマスタードをたっぷりと乗せ、イザドルは微笑んだ。
昼食を終え、再び二人は事件現場を訪れていた。
林道の乾いた血の広がった地面を見ると、イザドルはおもむろに地面を舐めた。
「ちょっと、なにやってるんですか!?」
質問に答えることなく、イザドルはどんどんと地面を舐めていく。コリンは顔をしかめてそれを眺めていると、舌の動きは血の広がりからわずかに離れた場所で止まった。舌の上で血と土を転がすと、イザドルは頷く。
「うん、このぴりっとする舌触りは、間違いなく魔物の血だ」
イザドルはベルトの辺りから取り出した小指の第一関節ほどの瓶を取り出し、そこに血の付着した土を入れた。
「これでよし。じゃ、帰ろうか」
「え、なにをしたんですか?」
「争った際に、もしかしたら魔物の血が残ってるんじゃないかと思ってね。上手い具合に残ってたから、明日までには魔物の種類を特定できるよ」
コリンは繋ぎ人とは肩書だけで中身はただの詐欺師だと思っていただけに、目の前の存在に戸惑っていた。
自警団の役所への帰り道、コリンは目線を合わせずに声を投げかけた。
「あの、今回の被害者の外傷を残せるような怪力があるゾンビって、いるんですか?」
「うん、いるよ。コバンツだね。これは未だに、発症理由がわかっていないタイプのゾンビだよ。で、それがどうかしたかい?」
「いいえ、少し、気になっただけです」
早足気味になったコリンを見て、イザドルは目を光らせた。
イザドルと別れた後、コリンは今朝訪れた小屋ほどの一軒家へと立ち寄る。換気のために開けておいた窓は、閉まっていた。
さして驚いた様子もなしに、コリンは窓辺へ寄ると、そっと木枠をなでた。粘りのある感触が、コリンの指先につく。
指先についた血を服で拭うと、家を後にした。その際、幼い自分の姿が映された写真が、視界に入る。床に放っておいた写真たては、今朝と同じ場所に飾られていた。
その晩、コリンは夢を見た。それは、ある時期から定期的に見る夢だった。
幼いコリンは両親に囲まれ、楽しげに過ごしている。毎年恒例で行う滝の前でのピクニックにて、彼らは幸せな時を過ごしていた。
だが、光景を遮るように突然ノイズがかかり、家族の空間から母親が消えてしまう。そのことにコリンは恐怖し、父親に泣きつく。
場面は変わり、コリンは今の姿となる。小屋大の一軒家にて、黒く塗りつぶされた父親の顔を見て、コリンは目覚めるのだった。
その夢のせいでろくに眠れず、目を覚ました時はまだ暗かった。再び眠りにつき、コリンが目覚めた時はすでにいつもの起床時間よりも一時間も遅れていた。
跳ね起きてリビングへと向かうと、養父とイザドルが楽しげに食卓を囲んでいた。
どうしてここにるのか疑問を投げる前に、村長である養父に聞きたいことがあって来たのだと、イザドルが自分から説明をした。
コリンは戸惑いながらも席につき、家政婦の運んできた朝食を急いで取り始めた。
朝食を取り終えると、イザドルとコリンは家を出た。なにを養父と話していたのかコリンが問おうが、イザドルは薄笑いを浮かべるだけだった。
二人は例の村はずれの家へ訪れる。
今回は若い男だけではなく、彼の父親も女の引き渡しの書類と共に顔を見せた。
イザドルは昨日と違い、二人に軽くだが例の女性に対する事情聴取をする。二人が見せた写真を手にし、イザドルはコリンを遠くへ追いやった。それに不満顔だったが、イザドルの言葉を聞いて大人しく従った。
「今朝のミートローフをもう一度外気に当てたいというなら、見ても構わないけどね」
二人はさっそく立てこもり者がいる離れの小屋にイザドルとコリンを連れていくと、用意していた前金を書類に添えて渡した。それを受け取ると、二人の立ち入りを禁止した上でコリンを伴い、イザドルは早々と小屋の中へと足を踏み入れた。
コリンは金を受け取るのを目にし、繋ぎ人とは噂通りということを認識し、顔をしかめた。
数十分ほどそのまま待っていると、イザドルの呼びかけがあり、親子は小屋の中へと入って行った。そこには、イザドルと向い合せに例の女性がうつむいてベッドに座っていた。親子は決して、彼女を見ようとはしなかった。
「あ、もう一枚、ここに署名をお願いします。僕と彼女のは終わってます。こちらでこの方を、保護するための書状ですので」
二人は黙って署名をすると、その場を後にしようとした。それを、イザドルが呼び止めた。固い挙動で、二人は振り返る。
「馬車を呼んでもらえますか? 彼女を送るんで」
「ええ、もちろん」
安堵したように笑う二人へ、ここではじめて女性が顔をあげて目線を送った。親子の目の色が、それぞれ変わった。父は怒り、息子は恐れへと。
「私は……生きています」
女性の言葉に息子は目をそむけ、父親は相手の目線を食い殺すかのごとく睨みつけた。血が頭に上り、顔がみるみる赤みを増していく。
ただならぬ様子に、コリンは顔を強張らせる。だが、イザドルは今朝食を共にした時となんら変わりない表情だった。
「すみません。はやく、馬車をお願いします。僕も時間がありますので、ね」
「……はい」
二人が部屋を後にしたのを尻目に、イザドルは女性に微笑んでみせた。
「後は、僕に任せといて」
女性はゆっくりと頷く。イザドルは懐からタバコの入った缶ケースを取り出し、その中身を吸っていいかと言わんばかりに肩をすぼめて見せた。
コリンはイザドルのことが、わからなくなっていた。
しばらくしてから、馬の嘶きが聞こえた。息子が三人を呼びに来るも、そこに父親の姿はなかった。イザドルは何気ない動作で女性の手を取ると皆瞠目したが、そのまま女性はイザドルに任されるがままに外まで足を運んだ。馬車に乗るまで、彼のエスコートは続いた。
「お手を拝借」
先に馬車に乗ると、姫を迎えるかのごとく大仰しい動作で手を差し出す。女性は先ほどまでのぎこちない表情ではなく、ほほえみでそれを受けた。
内の木戸と共に乱暴に窓が開け放たれ、そこから銃口が突き出される。父親が、血走った目を長身の銃の横に据えて女性をにらみつけた。
「笑ってねえで、さっさと消えろ! この化け物!」
興奮のあまり、銃身が揺れている。女性の微笑みは消え去り、うつむいた。
コリンは懐に入れてある拳銃に手をかける。一度も人に向けたことのないそれを取り出すのに、彼女は脂汗をかいた。
場に緊張が走り、沈黙が流れる。それを破ったのは、イザドルであった。
「化け物? それは違います」
コリンは手をそのままに、女性は面をあげ、イザドルを見た。イザドルは無精ひげを手の甲で撫で、優しく微笑む。
女性を馬車に乗せるとイザドルは一度降り、こちらに向けられている銃口に臆することなくわざわざその前を歩いて父親の前まで足を進めた。銃口が鼻につくかつかないかといった所まで近づくと、銃を湿った手で握り直す父親と目を合わせ、にっこりとした。
「彼女はピンキー。ゾンビの一種。化け物ではなく、魔物です、魔物。ゾンビの中でも感染でも培養でもなく、めずらしい天然ものです。この世への未練が強い若者が死んだ場合、生き返ってしまった者のことをいいます。これが面白いんですがね、感覚がなくなってしまうんですよ、ほとんどの。食べても味がしないし、ナイフで目をえぐろうと痛みもない。面白いでしょ? でもね、お腹はすくんですよ。眠くもなるんですよ。人間の欲求はあるわけです、はい」
早口で一気にまくしたてたイザドルに、周りから唖然とした目が向けられる。彼は目をとろけさせ、また口を開いた。
「面白いのが、匂いなんですよ、匂い。ピンキーはですね、体から匂いがしないんですよ、はい。排せつ物からもね。面白いでしょう」
「何なんだあんたは! 御託はいいから、さっさと連れてってくださいよこんな化け物!」
「まあまあ、ちょっと待ってくださいよ」
息をあらげる父親をなだめるように声を甘くしたかと思うと、言葉を続ける。それを、女性は悲しみとも喜びともいえない不思議な顔で眺めていた。コリンはというと、自分がこの場でなにをすればいいのかわからず、目線をせわしなく動かしていた。
「あなたは先ほど僕に、奥さんは彼女に食い殺されたといいましたよね?」
「ええ、そうです! だからなんなんですか!」
「不思議だなあ。いえね、確かに彼女は歯を使って殺しましたよ、めっためたに奥さんを。写真を見せてもらいましたんで、それは疑ってはいません。あれはひどいですよねえ、はい。ただね……匂いが、しないんですよねえ、彼女から」
ちらりと女性を見やると、イザドルは鼻に指を当て、顔を横に振りながら鼻孔に息を流し込む。小ばかにした態度に、父親は腹を立てた。
「だからなんなんだって言ってるだろう! ぶち殺されてえのか!」
「せっかちですねえ。これから確信を突こうというのに、まったく。まあ、いいでしょう。ずばり、ピンキーから匂いがする条件はただ一つ、人肉を食うことなんですよ、はい。だから、彼女は奥さんを食ってはいません。写真にあったとおり、かみ殺しただけなんです」
銃声が轟く。
父親が、空に発砲したのだ。
「これは警告だ。さっさとそいつを連れてどこへでも行け」
イザドルは身じろぎもせず、鼻をならした。手の甲で無精ひげをなでると、空いた手で銃を抜きかけたコリンの行動を制止した上で、今度は侮蔑を隠さぬ笑みを浮かべる。
「死にてえのかよ、先生」
「いいえ、全く。死にたくないので、帰るとしましょう」
踵を返したかと思ったら、少し行ったところで止まると手をならし、申し訳なさそうな顔でまた父親の前へと戻ってきた。
「いやあ、すみません。言い残したことが」
「……」
「彼女の手足にあざがありました。他にも、真新しい傷が色々。もしかしたら、生き返った彼女を怖がり、あなた方は監禁していたのでは? そして、いたぶっていたのでは? その際に報復で、奥さんは彼女に……」
一瞬のことだ。引き金を引くよりも早くイザドルの手が銃身をつかみ、それをその勢いのまま窓ぶちへと叩きつけた。引き金を引き終えた時には銃口は誰にも向けられてなく、銃弾は空を切る。引き金にかけられた指を戻す前に猟銃を奪い取ると、煙を吐く銃口を父親の眉間へと当てた。
相手の唾を飲む音が、イザドルにはよく聞こえた。
「あなた方をどうこうする気はありません。そんな権限もないですし。僕は、魔物と人間との関係を円滑にする、繋ぎ人ですので、ね」
銃を適当に放ると、玄関前で口をだらしなく開けている息子へと歩み、えくぼをつくって手を差し出した。それは、先ほどから女性に差し出していた右手だった。
息子は固唾を飲みこむと出しかけた手を引込め、地面に叩きつけんばかりに頭を下げた。
「あの、報酬は?」
それを聞いて、息子は慌てて懐から用意しておいた後金を渡した。イザドルは満足げに笑うと馬車に引き返し、縮み上がった運転手へと前金を掴ませ、青ざめたコリンを乗せて馬を走らせた。
去りゆく中、女性は乾いた息で、言葉を吐いた。
「さようなら」
投げかけた言葉に目を向ける者は、誰もいなかった。
コリンは、女性との密談中での言葉を思い出していた。
「結婚したばかりだというのに、風邪をこじらせて、死んでしまいました……」
コリンは腰を抜かしている息子へと目をやる。その顔には少なくとも、未練や悲しみは浮かんでいなかった。
「わかっちゃいるけど、後味悪い仕事が多いねえ、繋ぎ人」
コリンの目線を感じたのか、イザドルは帽子を深く被った。
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