社会人


 ああ、夢を見ていたのか――。

 懐かしむように夢で会った鹿沼の顔を思い出す。

 可愛かったなぁ。

 うふ、うふふふふふふふ‼


「鴫野、なに気持ち悪い顔で笑ってんだよ。惚れた女でも夢に出たのか?」


 隣のデスクで作業をしていた同僚の新村(にいむら)が呆れた顔でこちらを見ている。


「……君のような勘のいいガキは嫌いだよ」


「ふざけたこと言ってないで早くこの資料完成させちまおうぜ。もう何時だと思ってるんだ」


 腕時計に目をやると針は既に午後十時を過ぎていた。

 オフィスを見渡したかんじ、残業しているのは俺らだけのようだ。


「やばっ! もうこんな時間に……新村お前時間操作の力を……」


「誰もそんな能力持ってねーよ。お前がぐうぐう寝てただけだろ。お前が寝てる間に俺がどれだけ必死に資料作ってたと思ってんだ」


「んーー。そんなこと言うなら、起こしてくれたらよかったじゃないか」


「ん……まぁそうなんだけどよ」


 ポリポリと頬を掻きながら新村は困ったような顔を浮かべた。

 きっと俺に気を遣ってくれたのだろう。

 なんだかんだ良い奴なんだよなぁ。

 気が合うしアニメやゲームの趣味も同じだし、同じ新入社員で同じ部署で隣同士のデスクで――。

 初出勤は緊張してたけどほんとにお前がいて良かったよ。


「ありがとうな」


 そう言って俺は新村の顔を優しく見つめた。


「なんだよ……急に、気色悪いな」


 新村が苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。


「言いたくなったんだよ」


「お前がいつも、いつも、いつも、そんなだから女性陣に注目されるんだよ。自覚あんのか?」


「もちろんだ、新村。むしろ自覚しかない。社内の女性全ての目の保養として、わざと俺は毎日お前とイチャラブしているんだからな‼」

 大学へ進学し社会人になっていく過程で俺の陰キャ属性は段々と薄れ、今では陽キャへと変貌を遂げていた。こんなの陽キャじゃねえよという声が聞こえてきそうではあるが、俺の中では十分これが陽キャなのだ。


「別に俺らの会社の女全員が腐ってるわけじゃないだろ。てかそんなことのために俺を巻き込むなよ」


「巻き込んで何が悪い‼ 女性陣が毎日楽しく仕事が出来るための奉仕だと思え!」


「そう思ってBL出来るのはお前だけだぞ。それにお前がそう言う事するから俺に彼女が出来ないんだよ。女性陣はもう俺たちを見世物としか思ってないんだよ。恋愛対象にならねーんだよおぉぉぉぉ」

 

 己の魂を絶叫して新村はデスクに突っ伏した。


「社内で恋人探してんじゃねえよ。それにお前、恋愛とか興味あったの?」


「あるに決まってんだろ‼ 俺らもう24だぞ‼ 24なのに童貞なんだぞ‼ お前情けなくないのか?」


「べつに」


「はぁっ⁉」

 デスクからばっと身体を起こし新村がこちらに身を乗り出す。


「童貞卒業の平均年齢はな年々遅くなってきているんだ。俺らが童貞なのはもはや普通なんだよ。一般的。だからくよくよと過去の基準に惑わされるなってことだよ」


「そんなの知らねーよ! 俺は童貞を卒業したいんだ。誰でも良いとは言わねぇ。ちゃんと恋愛して正当な手順を踏んだうえで卒業したいんだ! なのに……」

 新村の人差し指が俺の鼻のすぐ前にまで迫る。

 急に指されたものだから身体がビクンっと大きく反応した。


「なのに……なんだよ」

 顔が引きつり、喉の渇きを覚える。


「なのに、お前が俺にイチャイチャしてくるから、俺は……俺は……女性陣から恋愛対象として見られなくなった……うぅ~」

 そう言って新村は腕を顔にこすりつけ泣き始めた。

 いつにもまして、今回はガチな気のようだった。毎日の残業のせいでかなりストレスが溜まっていたようで明らかに情緒が乱れている。


「お、おい。泣くなよ。悪かったよ。もうしないって。それに今日から新規のアニメ始まるじゃん。アニメオリジナルで前評判最高で、製作会社だって作画の安定してる当たり企業だし声優も最近の売れっ子からベテランまでキャスティングされてて、超、超、超豪華だしジャンルだってお前の好きな魔法少女系だし、EDだって各話ごとにアーティストが変わるとか意味わからん豪華さだし、間違いなく覇権だって言われてる――」

 

 すると、新村の顔がスイッチを入れた電球のようにぱっと明るくなった。


「魔法少女アグライア‼」


「そうそう。楽しみだよな……あはは」

 その後も新村は資料の作成を忘れ魔法少女アグライアがどれだけ期待できるアニメなのかを延々と話していた。

 とりあえず、機嫌を直せて良かった。

 ありがとう魔法少女アグライア。

 俺はまだ見ぬヒロインに向けて感謝を捧げる。

 円盤がでたら必ず観賞用と保存用と布教用買ってやるからな。

 きっとアイツもそうするんだろうなとふと幼馴染の事を思い出す―――。


 

 残っていた作業を全て終わらせた頃には既に時刻は十二時前になっていた。


「やば、新村急がないと終電逃すぞ」


「はぁ? 何言ってたんだよ。終電を逃すのはお前だけ。俺はチャリ通だから余裕なの」

 そうだった。

 俺の隣でのんびりと帰り支度をするこいつは自転車で通勤していたんだ。


「くそぉ、裏切り者め」


「お前が勘違いしてただけだろ。ほら急がないとガチで逃しちゃうぞ」

 

 俺は手早く帰り支度を済ませ新村に別れを告げた。

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