第38話 追手
露天の肉屋を相手にリセッタは甘えた声を出していた。
「え~、こっちのお肉、もう少し安くならない?」
だが、肉屋の主人の態度は冷たい。
「ならないね。安いのがいいのなら牛じゃなくてバルジックのモモ肉にすればいい」
バルジックは食用になる魔物のことだ。
体はそれほど大きくないが凶暴な性格で知られている。
人間を見ると鋭い牙と爪で向かってくるのだが、このように食肉にできるので好んで狩られる魔物でもあった。
「でもなあ、うちのご主人様はバルジックがあんまり好きじゃないのよねぇ……」
口には出さなかったがバルジック料理のときは食事のスピードが遅くなるのだ。
そんな細かいところまでリセッタは見逃していなかった。
「うん、やっぱりこっちの牛肉にしよう。お祝い事なんだからケチケチしたらダメよね」
「ほう、いいことがあったのかい?」
「まあね。うちのご主人様が出世なさるのよ。でもなあ、そのついでに結婚まで行きそうな雰囲気なんだよねぇ……」
「いいことじゃないか。お嬢ちゃんはなにが不満なんだい?」
肉を切りながらおじさんが訊ねてくる。
「うーん、私の居場所がなくなっちゃう気がしてさ……」
「なるほど、そんな不安はあるよな」
「ようやく見つけた居心地のいい場所だから、ずっとこのままがいいって思ってたんだ」
つまらなそうなリセッタの顔を見ておじさんはニヤリと笑った。
「なんだ、お嬢ちゃんはご主人様とやらに惚れているんだね」
「はっ? そんなわけないし!」
「隠したって無駄だよ。その顔にちゃーんと書いてあるからな」
「バカなこと言っていないで早く肉を包んでよ。急いで帰らないと夕飯の準備が遅れちゃうわ」
「はいはい」
大きな葉っぱに肉の塊を包んでもらいリセッタは家に帰ろうとする。
ところがそれを邪魔する者があった。
四人の男が道を塞ぐようにリセッタの前に立っていた。
慌てて振り返るが後ろにも三人の男が控えているではないか。
しかも、あろうことかそこにはスカーレット・フェニックスのトランの姿もあった。
すぐに腰の剣に手を伸ばしたがリセッタの手は空を掴んだ。
シリウスにもらった剣の柄が買い物かごにあたって傷つくことが嫌で家に置いてきてしまったのだ。
ザビロの手下のオトミサという男が声をかけてきた。
この男の顔をリセッタは忘れていない。
ゼビアの子分の中でも特に激しく自分を虐めた奴だった。
「いよぉリセッタ、久しぶりだなぁ」
「……」
「生きていたとは驚いたぜ。だが、よかったよ。これでもお前が地下洞窟で死んだと思って随分悲しんだんだぜ」
「悲しむなんてよく言うよ。さんざん私のことを鞭でぶったくせに!」
「そのとおりさ。お前がギャーギャー泣くのが楽しくてさ。だが残念ながらそれもこれまでだ。お前には今晩からでも客を取ってもらうからな。せいぜい変態オヤジを——グェッ!」
それ以上は喋らせずにリセッタは鋭く踏み込んだ。
突然の強襲にオトミサは避けることもかなわない。
積年の恨みがこもった膝蹴りが決まり、オトミサのあごは粉々に砕かれてしまった。
「油断するな。そいつも今や準魔闘士だ。非力な奴隷の小娘だなんて考えないことだ」
トランの怒声が聞こえる。
だがリセッタは振り返らずに走りだそうとした。
状況は最悪だ。
一人倒したと言っても敵はまだ六人もいる。
しかもその一人はあのトランだ。
さすがのリセッタも中級魔闘士を相手に自分の技が通じると考えるほど楽観的ではなかった。
逃げようとするリセッタに二人の男が手を伸ばした。
一人の男のみぞおちに当て身を食らわせ、もう一人の男を下段蹴りで転ばせたまではよかった。
だが、次の瞬間にリセッタは後頭部を殴られて激しく転倒した。
「手間をかけさせやがって……」
リセッタを殴りつけたのはトランだ。
「裏切り者!」
「へっ、なんとでも言いやがれ」
すかさず二人の男がリセッタを縛り上げる。
身動きが取れなくなったリセッタにあごを割られて悶絶していたオトミサが殴り掛かった。
「このアマが、調子に乗ってんじゃねえぞ! てめえなんぞはどこまでいっても奴隷なんだよ!」
すぐに周りの者が止めたがリセッタは唇の周りを大きく腫らし血を流していた。
その様子を見てトランは頭をかいた。
「あ~あ、ザビロさんは今夜からでもリセッタに客を取らせる予定だったんだぜ。それなのに顔に痣をつけやがって」
「そ、それは……」
「初物は高く売れるんだ。傷物にしたら商品価値が下がるだろうが。怒られても知らねえぞ」
「す、すまねえ。ついカッとなっちまって」
皮肉なことに、オトミサの暴挙がリセッタの純潔を守ることになってしまった。
それも長く持つものではないが……。
「まあ人質としての価値が下がるわけじゃねえか……。とにかくこいつを人質にしてデュマから金を回収するぞ」
リセッタは蔑んだ目でトランを見上げる。
「魔闘士トランも落ちたもんだね」
「なんだと?」
「これじゃあご主人様に勝てるはずもないよ。ご主人様はね、もうすぐガウレアさんのところに婿入りだよ。明日は一緒に飛竜船で旅立つ約束をしているんだもん」
「てめえ、適当なことを言ってんじゃねえぞ!」
「トランだってわかっているでしょう? ガウレアさんは本気だよ」
デュマの話をするときのガウレアはいつだってはしゃいでいた。
トランもその様子は嫌というほど見ているのだ。
「くそ……」
「たかが奴隷の娘のためにレドックス家の婿の話を蹴る人はいないもんね。悲しいけどそれが現実だよ」
「ふん、けなげな侍女だな。デュマに迷惑をかけないようにそんなことを言うのか?」
「どうせ私は逃亡奴隷よ。私のことは好きにすればいいわ。だけどご主人様のことは関係ないじゃない! もう放っておいてあげて!」
自分を犠牲にするリセッタの訴えもトランの心を動かすことはできなかった。
「俺はとことん奴の邪魔をしてやると決めたんだ。チャンスがあれば必ず殺す。いたぶり、苦しませて、必ずぶっ殺してやるんだ!」
やくざ者たちは縛り上げたリセッタを引っ張っていった。
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