第35話 黒い染み
換金を済ませるとガウレアが話しかけてきた。
「こうしてみると本当に大金を稼いだね」
10万クロード金貨が108枚も詰まった革袋はずっしりと重く膨らんでいる。
ルクシアが無邪気に訊いてきた。
「デュマはそれをなんに使うの? 服や武器を買いに行くのなら一緒に行こうよ。私がいい店を紹介してあげるからさ」
「ありがたいけど、他に使う用事があるんだ」
そこでガウレアが思い出したように手を打った。
「そういえばリセッタが言っていたね。たしか魔結晶を買うんだっけ?」
「研究用に大量の魔結晶が必要でね……」
「贅沢もしないで全部研究のために使うのかい?」
「まあ、自分のライフワークみたいなものだから。あ、リセッタの分は返さないとな」
だがリセッタはちっちと指を振った。
「それは貸しにしておきますよ。いずれ利子を付けて返していただきますので」
口は悪いが、自分のことはいいから早く病気を治せと言っているのだ。
「すまん、リセッタには苦労ばかりをかけるな」
「いいのです。でも魔結晶を買うなのなら1千万クロード分にしてくださいね。80万クロードは生活費として残していただかないと困ります。家具の買い替えもありますので」
「そうだな。リセッタの言うとおりにしよう」
話を聞いていたガウレアはクロードに提案した。
「魔結晶がいるのなら私に金を預けてみないか? レドックス家の売買ルートを使えば一般より多少は安く買えるよ」
少しでもたくさんの魔結晶が欲しいシリウスにとってこの申し出は渡りに船だった。
「いいのかい?」
「ほかならぬデュマのためだもん」
「じゃあ、お言葉に甘えるよ。よろしく頼む」
「そっちこそいいのかい? そんなに簡単に私を信用して」
「ガウレアは人の金を盗むような人じゃないだろう? 共に剣を並べて死線を潜ったんだ。それくらいのことは俺だってわかるさ」
こう言われてガウレアの心は天にも昇るような気持になっていた。
「じゃあ、その信用に応えないとな」
シリウスは躊躇いなく1千万クロードをガウレアに預けた。
一夜にして大金を稼いだシリウスに反して、トランは今夜も大損をしていた。
魔闘士としてトランの腕は決して悪くない。
それなりの収入だってある。
だが、ギャンブル好きが高じてかなりの借金ができているとの噂だ。
そんなトランの身をガウレアは案じた。
「また借金を増やしたんじゃないのかい?」
「だ、大丈夫です姐さん。そんなに負けは込んでないんで……」
そう言いながらもトランの顔は青い。
普段ならトランの異常に気が付いていたかもしれないが、今夜のガウレアはシリウスのせいで浮かれている。
トランの苦境を察してやる余裕がなかった。
◆
カジノの騒ぎを聞きつけたザビロは支配人を呼びつけた。
ここは先日までザビロのライバルがやっていたカジノだったが、ザビロは計略を巡らせて相手を陥れ自分のものにしてしまっていたのだ。
カジノ・オータスの看板も来週には引き下ろし、カジノ・クロー2にする予定である。
新しい主人に呼ばれた支配人は大慌てで事務所に駆け込んできた。
脳裏に浮かぶのは堀に浮かんだ前の主人オータスの惨殺死体だ。
自分はあんな死に方はしたくなかった。
「ルーレットのところがうるさかったようだがいったい何事だ?」
「はい、大勝ちをした客がおりまして、はい……」
額から流れる汗を拭きながら支配人は説明する。
「どこのどいつだ?」
ザビロはカーテンの隙間から店の様子を窺った。
「ルーレットのところにいる仮面をつけた男です」
「あいつか……。こちらの損害はいくらだ?」
「1080万クロードです」
「チッ……」
ザビロはすぐに指示を出した。
「五、六人見繕って金を回収してこい。殺しても構わねえ」
ザビロは汚い商売でのし上がった男である。
金のためなら殺人さえもいとわないのだ。
だが、支配人は声を落として忠告した。
「それはやめておいた方がいいです。あの客はガウレア・レドックスの連れでして」
「レドックスって、あのレドックス家か?」
「はい。炎の魔闘侯の四女だそうです……」
「クソがっ!」
ザビロは近くにあった机を蹴り上げた。
今でこそヤクザの親分をしているが元は上級魔闘士である。
蹴られた机は粉々になって飛び散ってしまった。
「まあいい、今夜の分は勘弁してやろう。いずれガウレア家には知られないように始末をつけてやる。どうせ今夜のことに味をしめてまた来るだろう。そのときがアイツの最期だ」
ザビロは忌々し気に砕け散った椅子の残骸を踏みにじった。
◇
カジノでの騒ぎがあった数日後、スカーレット・フェニックスの本拠に一通の速達便が届いた。
ガウレアの故郷から送られてきた父からの手紙である。
数日前にガウレアは1千万円分の魔結晶を販売してほしいという手紙を書いたのだが、父はそれの応諾書を送ってきたのだ。
これでシリウスとの約束が果たせると喜んだガウレアだったが、手紙を読み進めるうちにだんだんと表情が険しくなった。
周りにいた部下たちは心配そうに様子を窺っていたが、ルクシアがついに声をかけた。
「姐さん、どうしたんですか? 難しい顔をしているみたいですけど……」
「親父からの手紙にいろいろとうるさいことが書いてあるのさ」
「四大魔闘侯のレドックス様ですね。で、うるさいことというのは?」
ガウレアは大きなため息を吐き出した。
「領地の一部を私に任せたいってさ。それと早く婿を取れと言ってきた。会わせたい男がいれば会う。そうでなければ見合いをしろだとさ……」
「婿! 姐さん、結婚なさるんで?」
「べ、別にすぐってわけじゃないよ。あ、相手もいないしな」
「そうですねえ。普段からは想像もできないけど、姐さんってば実はお嬢様ですもんね。それなりの家格の人間じゃなけりゃ、つり合いが取れないもんなあ」
「別に私はそんなこと気にしないよ。人間は中身が大切だからさ……」
そう言いうガウレアの頭の中でシリウスの顔が浮かんだ。
「どうしたんです、顔が赤いですよ」
「き、気のせいだろう? 一度帰って来いとしつこいから近いうちにちょっと行ってくるよ。王都を離れている間はルクシアがチームの指揮をとってくれ」
「わかりました。護衛に二、三人くらい魔闘士を連れて行きますか?」
「護衛か……」
「姐さん、なんなら俺が行きますぜ」
トランが声をかけたがガウレアは聞いていなかった。
そして名案が浮かんだとばかりにポンと手を打つ。
「そうだ、今回はデュマについてきてもらうことにするよ」
「デュマに? まさか姐さん!」
妙な成り行きにルクシアが興奮している。
「か、勘違いするな。私はデュマを親父に引き合わせたいだけだ。たぶん親父とデュマは気が合うと思うんだ……」
「いや、それってますます怪しいですよ! 家族に紹介するって、ほぼ目的は一つじゃないですか!」
「べ、別に婿として紹介したいわけじゃない! あくまでも知り合いとして紹介するだけだ」
普段は豪胆なガウレアが少女のように恥じらうのを見てスカーレット・フェニックスのメンバーたちはクスクスと忍び笑いを漏らした。
ただ一人の例外はトランである。
デュマばかりがどうしてこんなに贔屓されるんだ?
気に入られるだけにとどまらず、今度は婿におさまるというのか?
姐さんに尽くしてきた俺は歯牙にもかけられていなのに!
そりゃあ身分違いは分かっている。
だがそんなことを言ったらデュマの野郎だって同じじゃねえか。
許せねえ……。
絶対に許せねえ!
トランの中に生まれた黒い染みはたちまち広がり、あっという間に心の全てを染めてしまう。
くそ、やめだ、やめだ!
もうこんなところに居られるものか。
俺は出て行ってやる。
それもこれも俺の心を踏みにじったガウレアとデュマが悪いのだ。
こうなったら行きがけの駄賃として奴の1千万クロードを持っていっちまおう。
トランはすでに転がり落ちる岩も同然だった。
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