第12話 メゾン・ド・ゴージャス


 シリウスの服のすそすがりつきながらリセッタが悲鳴を上げた。


「ヒーッ、いつまで続くんですか? かれこれ五百段は登ってきましたよ」


「もう少し頑張れ。ほら、天井が見えてきたぞ」


 シリウスが指さす先は行き止まりになっており、小さな扉が見えていた。


「おお、あんなところに! でも、あの先も階段なんてことはないでしょうね?」


「どうかな……。俺の感覚的にはそろそろ地上に出るような気がするのだが」


 階段の途中で思案していても仕方がないので、リセッタは力を振り絞って階段を上り切った。


「お、扉に鍵が刺さっていますよ」


 金属製の扉には頑丈そうな鍵がつけられていた。

これによって外部からの侵入を拒んでいるようだ。

シリウスは鍵を回して扉を開けた。


「ここは……物置ですか?」


 扉の先はまたもや暗い部屋だった。

ランタンの明かりに浮かび上がったのは壊れてバネの飛び出たソファー、脚が一本折れたテーブル、古い掃除用具などである。


「臭いな……」


「ネズミのオシッコの匂いですよ。ここはデュマのゴミ捨て場でしょうか?」


 リセッタは顔をしかめている。


 部屋の隅にまたもや階段があった。

しかし、こちらの階段は十数段だけで、すぐ上のところにはまた扉がついている。


「とにかく先へ進もう」


 扉を開くと太陽の光が差し込み二人の目を焼いた。


「まぶし……」


 十日ぶりくらいの地上である。

どうやらここは王都イスタルの街中のようだ。


「メゾン・ド・ゴージャス?」


 看板にはそう書いてある。

石造りの古くて小さなアパートで、全体的に煤けており、ゴージャスという雰囲気はどこにもなかった。


「連絡のあった内見希望はアンタたちかい?」


 二人の後ろから四十代とおぼしきの女性が声をかけてきた。

少しふくよかな体型で化粧が濃い。

こげ茶の髪はきつめにひっつめてあった。


「えーと……」


「アタシがメゾン・ド・ゴージャスの大家、ケロット夫人だよ」


 この大家さんはシリウスたちを賃借希望の人と勘違いしているようだ。

しかしこれはチャンスでもあった。


「そうです。ちょうどこの辺りに良い物件がないかと探している最中で」


「アンタ、職業は?」


「魔闘士をしています」


「ふーん……」


 ケロット夫人は値踏みするようにシリウスの様子をうかがった。

魔闘士は死と隣り合わせの職業ではあるが一般的な労働者より稼ぎはいい。

ましてシリウスの服装は上等なものである。

まずは合格という判断をケロット夫人は下した。


「家賃はいくらですか?」


「8万クロードだよ」


「高っ! こんなボロアパートが?」


 茶々を入れたリセッタをケロット夫人はじろりと睨みつけた。


「ここは帝都イスタルのど真ん中だよ。それが相場ってもんさ」


 確かに立地は最高だ。だから強気の商売をしているのだろう。


「部屋ではなく地下室ならいくらで借りられますか?」


「地下室かい? あそこは物置にしているから貸し出しはしていないんだよ」


「私は地下室を借りたいのですが……」


 ケロット夫人は不審者を見る目でシリウスを見つめた。


「そんなところを借りたいだなんて、おかしな借り手だね。へんな仮面もつけているし……」


 このままでは地下室が借りられないかもしれない。

シリウスは慌てて仮面を取り去った。


「失礼、これは防御のための装備なのです。犯罪者で顔を隠しているわけではありません」


「それならいいけど……。っ!」


 ケロット夫人の目が大きく見開かれた。

視線はシリウスの顔に釘付けになっている。


「なにか?」


「アンタ……いい男だねぇ……」


 ケロット夫人はわざわざ眼鏡をかけて絡みつくような視線を寄こした。


「そ、それほどでも……」


「アンタみたいなかわいい子なら地下室を貸してもいいわぁ」


 うっとりとシリウスを見つめるケロット夫人にドン引きしながらリセッタが耳元で囁いた。


(まさか、ここに住む気ですか?)


(ここが借りられれば研究所への出入りに便利だろ?)


 ダンジョンからの出入りは不便である。

ここが確保できるのならそれに越したことはない。


 こそこそと話し合う二人を見て、ケロット夫人が険しい目つきで質問してきた。


「アンタたち、まさか恋人どうしかい?」


「いえ、リセッタは私の侍女です」


 そう答えると夫人は途端に機嫌がよくなった。


「そうかい、きっとアンタはどこぞの若様なんだろうね」


 まあ、そうではあるけど……。


(ご主人様、チャンスです。色仕掛けで堕としましょう)


(堕とすって何を……)


(この熟女をたらし込んで、わからせてやっちゃってください。きっとただで地下室を貸してくれますよ)


(バカ、できるわけないだろっ!)


 ケロット夫人はシリウスににじり寄ってくる。


「アンタお名前は?」


「デュマ・デュマです」


「まあ、変わった名前だこと。でも、デュマだなんてこれも運命かしらね?」


「どういうことですか?」


「デュマ・ロクシタンを知っているかい?」


「有名な魔工師の?」


「それよ、それ。このアパートはね、百年前にデュマの内縁の妻が経営していたものだったんだよ。そういう由緒正しい建物ってことさね。私たちも現代によみがえったデュマとその愛人になったりして……」


 それでいくつかの謎が解けた気がした。

デュマ・ロクシタンは愛人の経営するアパートの地下に秘密の研究所を作ったのだろう。


「それでどうするんだい? アンタになら5万クロードで貸してやってもいいわよ。ちょっと私に優しくしてくれればね」


「優しくというと?」


「食事につき合ってくれたりぃ、観劇にいったりぃ、まあ要するにデートにつき合って欲しいのよ。寂しい後家さんを慰めると思ってさ」


 ここぞとばかりにリセッタが囁く。


(ほら、チャンスですよ。ちょっと付き合って、美味しいご飯でもおごらせてやればいいのです。噂のママ活ってやつですよ)


 なんだそれは?


(きっと家賃だってタダになるはずです。優しくしてやってください)


(女性の好意につけこむようなことはできないよ)


 きっぱり言うとリセッタは肩をすくめた。


「この甘ちゃんが……」


 研究所に直結する地下室は魅力だけど、こちらのご婦人の愛人になるつもりはない。

にじり寄るケロット夫人からシリウスはスッと身を引いた。


「失礼、他をあたります」


 立ち去ろうとするシリウスの背中にケロット夫人の声が反響する。


「ヤダ、冷たいところもステキ! 愛人になれなんて言わないわ。せめて借り手になってちょうだい! デュマちゃんが借りてくれるだけで嬉しいから!」


 部屋を借りるだけならいいか。

むしろそれを望んでいたのだ。


「貸してもらえるのですか?」


「私のことはアンって呼んでね」


「ありがとうございます、ケロット夫人」


「もう、本当に冷たいんだからぁん♡」


 ケロット夫人はタダでいいと言ったが、地下室を5万クロードで借りることになった。

今の状態では5万クロードでも財布に痛手だが、これで研究所への出入りが楽になる。

大家さんは変な人だけど……。


「相手がタダでいいと言っているのに、家のご主人様は本当に清廉ですね。言い換えれば甘ちゃんです」


 嫌味を言いながらもリセッタはご機嫌だった。

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