第10話 ご主人様、エロいです!


   ◇


 お皿を洗う音がして、シリウスは目を覚ました。

はじめは視界がぼんやりとしていたがそれも徐々に慣れていく。

すでに拘束具は外されていたが肉体は鉛のように重く感じた。


「あああっ! シリウス様、ようやく目覚めたのですね!」


 目を見開いた少女が小走りにやってきたが、それは見覚えのない顔だった。


「誰?」


「リセッタですよ。ご自分の侍女をお忘れですか? それとも治療の副作用かしら?」


「いや、見違えてしまって……」


 リセッタは体も服装もすっかり清潔になっていた。

ベタベタだったピンクの髪も今はふんわりと結ばれている。

ガリガリに痩せていた体にもうっすらと肉がのってきてさえいた。


「シリウス様が眠っている間にお風呂を使わせていただきました」


「風呂?」


 この世界では一般庶民はなかなか入れない高級品だ。


「寝室の隣にお風呂とトイレがあるんですよ! 魔道具のおかげで水もお湯も豊富です。ついでだからお洗濯もしました。荷物の中にあったご飯もいっぱい食べましたよ」


 劇的な変化はそのせいか、とシリウスは納得した。

見回してみると埃っぽかった室内も綺麗に輝いている。

自分が寝ている間にリセッタが掃除をしてくれたのだろう。


「俺はどれくらい寝ていた?」


「お日様が上らないので正確にはわかりませんが、たぶん七日は寝ていたと思います」


「そんなにか……」


 まだ一晩が過ぎたくらいの感覚でしかなかったのでシリウスは驚いた。

治療装置には生命維持機能もついており、水分や栄養素は自動的に補給されるようになっている。

そのおかげでずっと寝ていられたのだろう。


「どうです、体の具合は?」


「うん、だんだんよくなってきた」


 起き上がるとリセッタがコップに入った水をくれた。

やけに美味しくて一息で飲み干してしまう。


「美味い。生まれ変わったような心地がするよ」


「それはようございました。ところで、こちらの石板に文字が出ているのですが、これは何を意味しているのですか?」


 リセッタの指さす先は治療装置の石板で、光る文字が明滅していた。


 治療完了度 7%


「治療の進行具合が出ているんだ。俺の魔力循環量を100とすると、まだ7しか魔力を巡らすことはできないようだ」


「ええっ!? たったそれだけですか? あれだけたくさんの魔結晶を使って、しかもあんなに苦しんだのに……」。


「仕方がない。完全に治療するにはもっとたくさんの魔結晶が必要なのさ。これから地道に集めるしかないな。それに7%ととはいえ体に魔力を巡らせられるのはありがたいよ。どれ……」


 シリウスは久しぶりに体を動かしてみることにした。

全身に魔力を巡らせながら、剣を抜いてブルドラン流の基礎となる青門十二式せいもんじゅうにしきの型をなぞっていく。


 斬る、突く、払うなど基本的な動きばかりだが、魔力を伴えば威力が違う。

剣が空を裂くたびに梅枝が閃き、白い花びらが空を舞った。


「動く……、体が動くぞ! ハハッ……」


 以前の切れを完全に取り戻したとは言えないが、指先まで魔力を巡らせられる喜びにシリウスの心は震えた。

早く、高く、剣は伸び伸びと動き、体は優美な軌跡を描いていく。


「華麗です……」


 リセッタは魅了されたようにシリウスに見入っている。

頬は赤く上気し呼吸もやや荒い。


「ご主人様、惚れ直しましたよ。ただの甘ちゃんではなかったのですね!」


「おいおい……」


「ところでその剣はなんです? 振るたびに光の花びらが舞って美しすぎるのですが……」


「梅枝という宝剣だ」


「ばいし?」


「梅の枝という意味だ」


「あら意外……。ご主人様は剣に好きな女の名前でもつけるようなロマンチストだと思っていました!」


 いきなり図星をつかれてシリウスは焦った。

リセッタは妙に勘の鋭いところがある。


「そ、そんなことはない。そんな恥ずかしいことをするわけがないだろう……」


 クソッ!


「なんならその剣に愛しの侍女リセッタと名付けてもらっても構わないのですが」


「つけない。これの名前は梅枝と決まっているんだ。魔力を受けて梅の花びらが舞っているようにみえるからそう名付けられている」


耽美的たんびてきですね」


 宙を切らば白梅が、敵を斬らば紅梅が咲く。


「とにかく、これで少しは力が戻ったことがわかった。今後は治療のための魔結晶と魔装鬼甲の素材を集めようと思う」


「わたくしのお給金も忘れないでくださいよ」


「わかっているって」


「もう一つお願いがあるのですが」


 そう言ってシリウスを見上げるリセッタの瞳はいつになく真剣だった。


「どうした? 給金のことなら心配しなくてもいいぞ。俺にも多少の蓄えはある」


 実家から持ち出した金がまだ20万クロードほど残っているのだ。


「お金のことではありません。私にも武術を教えてほしいのです」


「武術だと? 護衛としての任務をこなすために武術を習う侍女もいるが……」


 驚いているシリウスにリセッタは切々と訴えた。


「もう他人に虐げられる人生は嫌なのです。奴隷としてこき使われるのもまっぴら! 私は強くなりたいのです。どうかお願いします!」


 リセッタの目には強い決意が宿っていた。

自分も身につけた武術があったからこそ、王都での不遇な生活の中を生きてこられたのだとシリウスは思う。

人生には支えとなるものがあったほうがいいに決まっている。

それが趣味であったり、学問であったり、武術であったりするのだ。


「教えてもいいけど、俺はただの準魔闘士だぞ。それでもいいのか?」


「かまいません! 剣を使うときのシリウス様はカッコいいです! エロいです!」


「エロって……」


 シリウスは呆れたが四大魔闘侯の技の中でブルドランはもっとも流麗であり、その動きは官能的でさえあるという批評もある。

リセッタの審美眼しんびがんもあながち間違ってはいないのだ。


 だが問題もあった。

ブルドランの技はすべて頭の中に入っていたが、本家の人間が勝手に弟子をとることは許されないことでもあるのだ。

リセッタを弟子にするには父の了承がいるだろう。

だけど実家には帰りたくない。

まあ、バレなければいいか……。


「わかったけど、俺がリセッタの師匠であることは内緒にしてくれよ」


「なぜ?」


「俺はブルドラン家にゆかりの者なんだ」


「ブルドランって、あの四大魔闘侯の?」


「そうだ。次男だよ」


「だだのボンボンじゃなくてスーパーボンボンじゃないですか!」


「ま、まあな……。だけど自分の正体を知られたくないんだ」


 ブルドラン家の次男が王都で荒んだ生活をしているなんて噂は立てられたくない。

それに正体を知られれば実家に連れ戻されるという恐れもあった。


「承知しました。人前では決して師匠とはお呼びしません。今後はご主人様とお呼びしましょう」


 ブルドラン流はメジャーな流派だから、それなら大丈夫だろう。


「ところで食べ物は残っているか?」


「洞窟探索用の保存食でよければ、まだたっぷりありますよ」


 十日も寝ていたせいでシリウスはフラフラだった。

まずは飯を腹に納めるのがいいだろう。

リセッタはかいがいしく働いてカチカチのパンでお粥を作ってくれた。

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