第8話 治療開始
リセッタが目を覚ますと、シリウスは机に何冊もの本を広げたまま青い顔をしていた。
どうやら一睡もしていないようだ。
「おはようございます。なにかわかりましたか?」
何気なく訊いたリセッタだったがシリウスの反応は熱のこもったものだった。
「とんでもないことがわかったよ!」
「あ、説明は手短にお願いします。理由は二つ。それほど興味がないのと、お腹が空いて死にそうだからです」
「……わかった」
出鼻をくじかれたシリウスだったが、リセッタにもわかるようにかみ砕いて説明す
ることにした。
「まず、予想した通りここはデュマ・ロクシタンの秘密研究所だった」
「伝説の魔工師ですね」
「その通り。そしてここが作られた目的は二つあった。デュマは俺と同じ病気を患っていたのは話したよな?」
「たしか、先天性リセッタ大好き症候群でしたっけ?」
「感染性魔経路閉塞症だ!」
シリウスは呆れながらも先を続けた。
「デュマはここで病気の治療法を研究していたんだ。しかも魔経路閉塞症を治す治療装置は既に完成している。昨日書斎で見たのがそれだ」
書物に囲まれた部屋の手術台がそれにあたる。
「ああ、あれですか。おかしな趣味を拗らせた変態さんが使うベッドだと思っていました」
「違う! あれは魔結晶から魔力を抽出して、強引に魔経路へ流し込む装置だったんだ」
「で、もう一つの目的はなんです?」
「デュマは優秀な魔闘士でもあったのだが、魔力を巡らせられない体だから戦闘力はとうぜん落ちてしまう。それを補うために開発されたのが魔装鬼甲だよ」
「魔装鬼甲?」
「昨日見つけた鬼の鎧さ」
「ああ、私を驚かせたあれですね! つまりあれを装備すれば私でも強くなれるのですね」
「残念ながらリセッタが身につけても意味はないよ。魔装鬼甲は魔経路閉塞症患者に特化した装備なのさ」
「どういうことですか?」
「一度でも魔経路閉塞症を患うと体内の魔力波長が特殊なものになってしまうんだ。魔装鬼甲はその特殊な魔力波を利用して作動するからさ」
「つまり健康優良児の私では鬼の鎧は反応しないと?」
「そういうことだ。実はこれを見つけた」
そういってシリウスが出してきたのは金属の箱にいっぱい詰まった魔結晶だった。
「うわあ、すごい量ですね。これだけあればいくらになるのでしょう?」
「おそらく100万クロードにはなるだろう」
「100万!」
「リセッタ、頼みがある!」
いきなりシリウスはガバッと頭を下げた。
「どうしたんですか、突然!? 急に頼まれても童貞は貰ってあげられませんよ。私もまだ純潔を捨てる勇気はありません!」
「ちがう! そうではなくて、この部屋は二人で見つけたものだ。本来ならすぐにでもこの魔結晶を山分けしなければならないだろう。だが頼む。しばらくの間、君の分の魔結晶を貸しておいてもらえないだろうか?」
「はあ……」
「魔経路閉塞症の治療装置を動かすには大量の魔結晶が必要なんだ。この体がよくなったら必ず借りは返す。だから頼む!」
真剣に頭を下げるシリウスを見て、リセッタは思わず吹き出していた。
「本当に甘ちゃんなんですね。まさかそんなことを頼まれるとは思いませんでしたよ」
「俺の人生がかかっているんだ。真面目に頼むに決まっているじゃないか」
「いえいえ、そういうことじゃなくてですね……。普通、奴隷の少女にそんなことを頼む魔闘士なんていませんよ。当たり前のように独り占めをして終わりです。最悪の場合ここで私を殺して、レッドゴックと同じように谷の底へ落としてしまえばいいだけです」
「そんな人の道に外れたことを……」
リセッタはヤレヤレと肩をすくめた。
「だから甘ちゃんって言っているんですよ。まあ、そんなシリウスさんは嫌いじゃないですけどね……」
リセッタは嬉しそうに笑った。
「それでどうだろう。魔結晶をしばらく俺に預けてくれないだろうか?」
リセッタの腹はとっくに決まっていたが、それでも考える素振りをした。
「そうですねえ……、一つだけ条件をつけてもいいですか?」
「俺にできることなら何でもするが」
「私をシリウスさんの侍女として雇ってもらいたいのです」
シリウスにとっては思ってもみなかったことだ。
「俺が君を雇うのかい?」
「ご存知のとおり私は奴隷でした。私を買ったのはザビロというやくざ者です」
「そいつにポーターをさせられていたんだよな」
「ええ。年齢を偽っていましたからね。正直に十六歳と言っていたら娼館で働かされていたでしょう」
「それで?」
「このまま地上に戻れば、身寄りのない私などすぐに掴まって奴隷に逆戻りです」
「ご両親は?」
リセッタは大きなため息をついた。
「私の家は小さな食堂をしていたのですが、両親は火事で焼け死にました。身寄りもなかった私は借金のかたにザビロに売られてしまったのです」
聞けば聞くほどシリウスは同情してしまう。
「何とかしてやりたいのはやまやまだけど金はないんだ」
「そんなのはどうでもいいです。奴隷に逆戻りすれば無報酬で働く日々が待っています。満足に食事もできません。うまいこと生き延びたとしてもやがては無理やり娼館で働かされるでしょう」
たとえ薄給であっても自分の侍女になる方がマシということか。
「わかった。リセッタを侍女として雇うよ」
「しっかり稼いでくださいね、ご主人様」
あっけらかんと笑うリセッタの
「それじゃあ、さっそく治療装置を使うことにするよ」
「でも、デュマ・ロクシタンって百年前の人なんでしょう? そんな古い装置を使って大丈夫ですか?」
「それならリセッタが寝ている間に確認した。装置はちゃんと起動したよ。まあ、本当に異常がないかは使ってみないとわからないけどな」
日記や書物を読みこんだが所詮は付け焼刃の知識である。
「なんだか、いきなり主人を亡くして再就職先を探さなければならない未来が見える気がしますよ」
「不吉なことを言うなって。どのみち俺の病気は進行しているんだ。ここで何とかしなければ未来はないさ。日記によるとデュマの症状は治療装置でどんどん改善していたそうだ」
「どんどん改善? 一気に治すことはできないのですね」
「病気の度合いにもよるけど、治療には大量の魔結晶が必要なんだ。それにかなりの苦痛を伴うみたいだから、一気に治すことは無理なんだって」
二人は治療装置の前までやってきた。
シリウスは全ての準備を整えて治療台に横たわる。
リセッタはシリウスの頭に何本もの管の付いたヘルメットを被せ、足にもいくつかの装置を取り付けた。
「体を固定する拘束具を頼む」
痛みで暴れ出さないように革ベルトで締め付けるのだ。
「準備は整いましたよ」
「それじゃあ始めるとしよう」
シリウスは軽く目を閉じて腹を決めると、手元にあるスイッチを押し込んだ。
低い唸りを立てて治療装置が魔力を送り込んでくる。
頭から足へと塞がった魔経路が無理やり開かれ、シリウスは激痛に絶叫を上げた。
「シリウス様! いま緊急停止ボタンを!」
「ダメだ! 絶対に止めるんじゃないぞ! クッ……、このままではどうせ俺は浮かばれない。止めれば永遠にお前を恨むからなっ!!」
「わ、わかりましたよぉ……、そんな目で見ないでください。どうなっても知りませんからね!」
シリウスは痛みに耐えながらも、心の底から歓喜が湧き上がってきていた。
塞がっていた魔経路がわずかながら広がっているのがわかったからだ。
頭から流れ込んできた魔力が、糸よりも細い状態になりながらも足元へ抜けていくのがわかる。
三年ぶりに味わう感覚だ。
だがそれは同時に体の中を細いワイヤーで貫かれるような感覚に似ている。
耐えきれない激痛の中で、シリウスはいつの間にか意識を失っていた。
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