第5話 横穴


「ぎゃああああああっ!」


 レッドゴックに襲われた誰かの断末魔が洞窟の壁に響き渡る。

だが、振り返る者は誰もいなかった。


 シリウスは目の前を走るリセッタに声をかけた。


「荷物なんて捨てるんだ」


「でも!」


 リセッタは重い荷物を背負ったまま走っている。


「バカッ、このままでは追い付かれるぞ」


 すぐ後ろで再び誰かの叫び声が上がった。

続いて骨が砕ける音もシリウスたちは聞いている。

自分たちが追い付かれるのも時間の問題だろう。

だが今のシリウスたちにできるのは脇目もふらずに走り続けることだけだ。


 やがて目の前に吊り橋が見えてきた。

この橋は洞窟内にある深い谷にかかっていて、長さは十メートルほどある。

谷の底は闇に閉ざされ、その奥がどうなっているかは誰も知らない。

吊り橋を見てシリウスは覚悟を決めた。

橋の上で立ち止まると後ろを振り返った。


「ちょっと、なにしているの!?」


 驚いたリセッタまでもが立ち止まる。


「早く逃げろ。ここは俺が食い止める」


「バカはお兄さんじゃない。お兄さんみたいに弱そうな人がレッドゴックに適うわけがないよ」


「どうせこのままじゃ二人ともやられる。いいからいけ!」


 リセッタは頷くと一目散に駆け出していった。


 シリウスの心の中に皮肉な笑いがこみ上げてきた。

今から三年前、修行中のシリウスと元婚約者のセティアを魔物が襲ったことがあった。

そのときもセティアを逃がすためにシリウスは踏みとどまったのだ。


 なんとか魔物は倒せたが、そのときの傷が原因で魔経路閉塞症になってしまった。

それが原因で婚約破棄もされているのだ。

自分の行為を呪うこともあったが、結局またリセッタを助けるために同じことをしている。

これも性分かとシリウスは笑うしかない。

だいたい自分は女に弱いのだと思う。


 絶望的な状況にあったがシリウスの心は落ち着いていた。

勝算は0というわけじゃない。

せめて負けないくらいのことはするつもりである。


 長く待つこともなくレッドゴックはやってきた。

シリウスが自分を待ち構えているのを確認して歩みを緩める。

無暗に突っ込んで来ないところをみると知能も高いようだ。


「どうした、俺が怖いのか?」


「グルルルル……」


 レッドゴックは落ち着いて敵を観察した。

梅枝を大上段に構えてシリウスは橋の中ほどに立っている。

その立ち姿は流麗といえるほど美しかったが魔力の波動はどこにも感じられない。

どうやら敵は弱い人間のようだ。


 ふむ、こいつは虚勢を張っているだけだ。

きっと一緒に逃げていたメスを逃がすために時間稼ぎをしているのだ。

レッドゴックはそう判断して四肢に力を貯めた。


 躍動する筋肉が地面を蹴り、シリウスとの距離を詰めていく。

敵の持つ剣はよく切れそうだが自分の爪も負けてはいない。

あの剣を左手で跳ね上げ奴の喉笛に噛みつけば勝負は一瞬で決まる。

レッドゴックは既に自分の勝利を確信していた。


「っ!」


 無音の発生からシリウスが剣を振り下ろす。

だが剣の軌道はレッドゴックには向けられていない。

シリウスが切ったのは吊り橋を支える二本のロープだった。


「グオッ!?」


 魔物には自分を犠牲にするという思考はない。

それこそがシリウスの狙いだった。

まさか自分が乗っている橋を切り落とすなんて、魔物なら考えないだろうと踏んだのだ。


 突如なくなった足場にレッドゴックは混乱しそのまま谷の底へと落下していった。

シリウスは切れたロープの端に掴まり、どうにか体を支えている。

もし、ただ橋を落としていただけならレッドゴックは谷を飛び越えて二人を追いかけてきただろう。

こうして自分を囮にしたおかげで奴を倒すことができたとシリウスは満足していた。


 やがて眼下の暗闇から腹にこたえるような衝突音が響いた。


「だいぶ深いな……」


 垂れ下がった吊り橋にぶら下がりながらシリウスはつぶやく。

そして痛みに顔を歪めた。

落下する前にレッドゴックの爪がシリウスの肩を切り裂いていたのだ。

傷は決して浅くはなく、流れ出る血が腹の方まで垂れてきている。


 さて、この状態で橋を上ることはできるだろうか? 

いや、登らなくては死が待っているのだ。

ここで人生を終わりにする気はない。


 不意に頭上から人の声が聞こえてきた。


「お兄さーん、生きてますかー?」


 逃げたリセッタが戻ってきたようだ。

カンテラの明かりが眩しくシリウスを照らしてた。


「生きてるよ」


 疲労困憊ひろうこんぱいで返事をするのも億劫おっくうだったが、シリウスはなんとか空いている方の手を振った。

するとグラグラと橋が揺れカンテラの明かりが近づいてきた。

リセッタが下りてきたのだ。


「いやあ、よく助かりましたね。驚きましたよ。それにしても赤の他人を助けようとするなんて、地下洞窟には珍しい甘ちゃんですね」


「皮肉を言ってないで助けてくれ。出血がひどいんだ」


「薬と包帯はあるのですが、こんなところで治療できるでしょうか?」


 リセッタはキョロキョロと周囲を見回した。

つられてシリウスも確認すると谷の岩肌に妙な窪みを見つけた。


「お、こんなところに横穴があるぞ。ちょっと照らしてみてくれ」


 カンテラの明かりに浮かび上がったのはかなり広い穴の入口である。


「ちょうどいいですね。あちらに移りましょう。お兄さん、動けますか?」


「これくらいなら大丈夫だ」


 二人は横穴に飛び移り一息入れることができた。


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