花屋(2)


                  *


その日も患者が目覚めることはなく、アフメドが感じている疲れは手術や忙しさからくるものとは違った。そんなことで簡単に疲れるような人間ではないことをエムレや他の医師も知っていた。


アフメドのことを心配した院長は二日間の休暇を与えたが、アフメドはそのことを素直に喜んではいなかった。患者の夫から遠ざけるためにエムレが院長に相談したのかもしれないと考え、それは正しかった。


朝、時間を気にせずに眠れることは悪くなかったが、それだけでその疲れに似た何かが体から取り除かれることはなく、鏡に映る自分の顔は痩せこけ、老けていた。


一時的なものかもしれないが、顔が変わってしまうほど患者の夫と話すことが大きなストレスになっていたのかもしれない。


ダリヤに手紙を書けば少しは心が晴れるだろうと思いながら、その日の夜、机に座って紙とペンを準備したが、その白い紙が文字で埋まることはなかった。


無駄に過ごした時間にため息をつきながら空気を入れ換えようと開けた窓から薄らと花の香りが流れ込み、その香りはアフメドに何かを思い出させそうだったが、そうはならなかった。


サラと住んだこの家でアフメドには解けていない謎がいくつかあった。窓を開ければ香るこの花の匂いもその謎の一つだった。どこからこの香りが部屋に流れ込んでいるのか?


家の近くを歩いても、その香りに似た花を見つけることができずにいた。部屋に置かれた花瓶のうち、どれがサラのお気に入りなのかは明らかだった。ガラスの透明な花瓶は、特徴的な流線型のデザインが雨上がりの道路に姿を現す水たまりのように見えなくもなかった。


新しく買った花は一度必ずその花瓶に生けられてから、気に入らなければ他の花瓶に移しているサラを何度もアフメドは目にしていた。その花瓶のどの方向に、どうやって花を生ければ花と花瓶が一番綺麗に見えるか、全ての可能性を試そうとしているようだった。


サラは一時間以上、それこそ子供のような純粋な表情で楽しそうに花瓶の角度や花の組み合わせを変えていた。今となっては埃にまみれたその花瓶にアフメドが特別な何かを感じることはなかった。他の花瓶も同じように埃を被り、綺麗と言えるような状態ではなかった。


持て余した時間を埋めるように部屋にあるすべての花瓶を集めるとアフメドはまず埃を拭き取ったが、それでも曇りがとれることはなく、一つ一つの花瓶を洗うこにした。


サラもこうして花瓶を洗っていことを思い出すと、花瓶を洗うサラの姿をソファーから眺めていた日々が勝手に記憶から呼び起こされ、それは鮮明で現実感を伴っていた。


アフメドが全ての花瓶を洗い終わるまで、蛇口の水を止めるまで、アフメドの頭の中にそのサラの姿が映し出されていた。


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