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 職場の昼休憩中、私は電話を切ったあとも、ぼんやりとスマートフォンを眺めていた。


「ねえ」


 隣の席から声をかけられたが、私は呆然としてしまって、答えられない。すると、突然自分の手元に、まんまるの顔がニュッと飛び出してきた。


「わっ」


「ちょっと、聞いてんの?」


 先輩のマルイさんだ。四十代半ばで未婚。背は低いのに、制服のサイズはいちばん大きな3Lだ。


「あ……すみません。ボーッとしちゃって」


「今の電話って、もしかして」


「旅行会社からでした」


 私が答えるとマルイさんは、「やっぱり」と嬉しそうに笑った。


「例の旅行の件でしょう? なに、どうしたの」


「なんか、キャンセルが出ましたって」


 私が言うと、マルイさんは目を丸くした。


 電話は、以前予約を取ろうとして、満室だと断られていたある旅館に、キャンセルが出たという内容だった。しかも、私たちの希望していたその週末に。


「いま決めてくれなければ、別の客に連絡しますって。それで思わずOKしちゃったんですけど、どうしよう」


 やったー、と突然マルイさんが叫んで、その両手を高々とあげた。


 その様子に、周りの社員たちが微笑ましげにこちらを見る。マルイさんはこの会社の、なんというか、マスコットキャラクターみたいなものなのだ。


「ちょ、ちょっとマルイさん」


「よかったじゃない、ほんとよかったじゃない。これであんたにも春が来るわ。いいじゃないいいじゃない、海の見える旅館なんでしょう? 海見るとあれよ、男なんてすぐかっこつけてプロポーズしてくるわよ」


 自分の結婚はもう諦めたというマルイさんは、三十を過ぎても男の影の見えない私を、まるで母親のように心配していた。さすがにお見合い写真を持ってきたことはなかったが、会社の若いOLたちに、私をコンパに連れて行くよう薦めていたのは知っている。


 彼ができた、と報告したのは一ヶ月ほど前のことだ。


 そのときのマルイさんの喜びようはすごかった。今日は飲みに行くわよ、と言ってものすごい勢いで仕事をこなし、そして定時の一時間前に席を立ったかと思うと、今日はナカジマと大切な話があるのでお先に失礼しますと社長に告げ、私の手を引っ張って会社を出た。


 そのまま近所の居酒屋に入り、私は彼の話を夜中までさせられた。


 マルイさんはビールを十五杯飲んで泥酔し、いかに私のことを心配していたか、よさそうな相手が見つかってどれだけ嬉しいかを、涙ながらに話した。そしてそのまま潰れてしまった。


 一浪して当初の志望校よりランク下の大学に入った私は、卒業後、いくつかの会社で働いて、二年前この不動産会社に入った。


 売買よりも賃貸を得意とする会社で、最近では、短期出張のサラリーマンをターゲットとしたウィークリーマンションに力を入れている。


 私がいる部署は、そのウィークリーマンションの問い合わせに対応するコールセンターで、客の要望を聞いて、条件にあったマンションを紹介する。


 これまで就いてきたのと同じく、とくに資格や経験の必要ない、誰にでもできる仕事だ。


 コールセンターのスタッフは十五名、そのうち十三人が女性だ。パート勤務の数名を除いて、みな同じ制服を来ている。紺色の地味なデザインだが、私は気に入っている。


「で、彼にはもう伝えたの?」


 旅行会社からの電話を受けた日、帰り支度をしているとマルイさんが声をかけてきた。マルイさんは167センチある私より頭一つ分背が低い。クルクル巻いた髪は天然パーマなのだそうだ。


「いえ、まだ。なにか緊張しちゃって」


「緊張ねえ。まあ、そうだよね」


 マルイさんは机の上に置かれていた腕時計を取って、左手につけた。デジタル表示の、無骨で大きな、男物の時計だ。そしてチラリと私の方を見て、「やっぱ、怖い?」と聞いてきた。


 私は少し考え、頷いた。


「海に行くのは、十五年ぶりですから」

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