第52話 ~毒~
はあはあと息を切らせ駆け込んだ留置場の一室には、男が床の上に仰向けに倒れている。
その顔は白く血の気がないが、苦しんだ様子は見られず、むしろ穏やかに眠っている様であった。
男の手元には茶色い液体が僅かに残るカップ。ジョシュア皇子はそれを拾うと、中を覗き匂いを嗅いだ。
「……毒だな。すぐに成分を調べろ。遺体は地下へ移し、調査が済むまで厳重に管理しろ」
「はっ」
ロビー・ミラー。アーシャ・ミラー医師の父親。
無職の上に酒と博打に溺れ、必死に働く妻や子供達に暴力をふるった男。更にこの国では幼い少女達を食い物にし、その金で派手に暮らしていた。
これまでどれ程の人間を苦しめて来たのか。死んでも尚醜悪なその人相に全てが表れている。
だからこそこんな風に楽に殺されてはならなかった。きちんと罪を裁き、償わせるべきだったのに。
皇子の胸に怒りと、やるせなさがこみ上げる。
兵が男の遺体を片付け始めた時、外がにわかに騒がしくなった。
「殿下!外で怪しい男を捕らえました!」
「……名を名乗れ」
「ベン・パドスと言います」
捕らえた瞬間から、全て白状するから命だけは助けろとわめきたてたこの男。
ロビー・ミラーと同様、醜悪な人相の裏に何があるのか。
「もう一度聞く。留置場の男に毒を飲ませたのはお前か」
「はい……これを煎じた汁を飲ませました」
先程行った身体検査で、懐から出てきた薬草を指差す。
「何故殺した?」
「マリウス院長に命じられました。娘を返して欲しければこれを留置場の自白者に飲ませて殺害しろと」
「娘?」
「ルカと言いまして……4歳になります。目の病気なんですが、タダで治療させてやると無理矢理連れて行かれまして。それから一度も会わせてもらえないし、返して欲しいと頼んでも、そのまま孤児院に入れるからと突き返されて……」
ベンという男はおいおい泣き始める。
「マリウス院長は、本当は悪どい医師だと噂で聞きました。ルカは器量良しなので……育てて何処かへ売るつもりかもしれません」
「噂……?どこで聞いた噂だ」
「そっ……それは……」
男はしどろもどろになる。
「……まあいい。この薬草は院長から受け取ったんだな?自白者を殺害しろと」
「はい」
数日前から下働きとして雇われていたこの男。
雇用条件の厳しいこの留置場に、このタイミングで潜り込めたのは、恐らく内通者が居るからだろう。
そしてこんなに呆気なく捕まったのは、虚偽の自白をさせてマリウス院長を貶めるつもりか。
……ランドルフ、お前の出方は分かった。
ジョシュア皇子は、彼と共に過ごした学生時代を回想し目を閉じた。
「ハミルトン医師、この薬草は何だ?」
ジョシュア皇子に差し出された小皿。その上に乗せられた緑の薬草に、マリウスは顔を近付ける。
「これは……
「氷結花?氷結草ではないのか?」
「はい。氷結草が成長した物が氷結花です。実際に花が咲く訳ではありませんが、葉先が花の様に開くのでそう呼ばれています」
「……氷結草と同様、毒性があるのか?」
「はい。むしろこちらの方が毒性が強いのです」
「どういうことだ」
氷結草とは麻酔薬として使用される薬草で、量によっては人を死に至らしめる。ロビーの遺体を診た医師は、カップに残った毒の匂いからも、死因は氷結草だと言っていた。
だが、マリウス院長はこれを氷結花だと断定した。果たしてその毒性とは……
「麻酔薬という点で考えると、実は氷結草より氷結花の方が適しているのです。赤子や余程幼い子供でない限り、多量摂取しても命を落とすことがないからです」
「命を落とすことがない……?」
「はい。数時間から数日、仮死状態に陥るだけです。強い刺激を与えても起きないので、痛みを伴う手技には最適と言えるでしょう。しかし……非常に副作用が強いのです。氷結草の毒素が自然に排出されるのと異なり、氷結花の毒素は永久に身体に留るからです」
ゴクリと唾を飲む。
「その副作用とは?」
「摂取した量にもよりますが……全身が火傷した様に熱く、また、刃物で切り裂かれる様に痛むと言われています。それが死ぬまで永遠に続くのです。かつて氷結草と誤って飲んでしまい、その苦しみから逃れる為に更に氷結花を摂取するという悪循環に陥った者も居ました。“悪魔の花”という別名もある程です」
悪魔の……皇子は身震いする。
きっと想像を絶する苦しみなのだろう。
「氷結草と氷結花はどうやって見分けるのだ」
「完全に葉先が開いた物でしたらすぐに分かりますが……開きかけの物は、葉先が白から緑に変化するのです。この時点でもう氷結花とし、決して摘んではいけません」
「医師なら皆知っているか?」
「はい。ヘイル国の医師なら知っているでしょう。ただ、この様に乾燥させてしまうと全体が緑に変化してしまうので見分けるのは非常に困難です」
「貴方は何故分かった?触りもせず、見ただけで」
「それは……」
理由を聞いたジョシュア皇子は、マリウスの知識に感嘆のため息を漏らしながら、小さな紙袋を取り出した。
「これに見覚えはあるか」
「……うちの病院の薬草です。よく使う分量を予め計り、こうしてこの紙袋に小分けにしているのです」
「この皿の薬草は、この袋から取り出した物だ」
マリウスははっとする。
「記録は……薬草の在庫はどうなっているでしょう」
「さっき薬草庫の記録簿を確認した所、丁度ひと袋分足りなかった」
あの看護師が隙を見て持ち出したのだろうか。だが……
「氷結花は特定毒物の為、薬草庫の中でも特殊な場所へ保管してあります。入ったばかりの者には簡単に持ち出せない筈です」
「記録簿の数が足りなかったのは、氷結花ではなく氷結草の方だ」
どういうことだ…………まさか!
「スタッフの誰かが間違えて、氷結草の籠に氷結花を置いていた。それを持ち出された可能性が高いだろう」
マリウスは額を押さえる。
それは絶対にあってはならないミスだ。氷結草を患者に使用する時は必ずマリウスが最終確認をすることになっているが、万一気付かなければ重大な医療事故を引き起こす。
スタッフにも徹底させている為、今までにこんなミスが起きたことはなかった。
神の思し召しだろうか──
誰かが偶然犯したこの大きなミスが、奇跡的にも
「ところで何故、そんな恐ろしい薬草を置いているのだ?」
「……もう助からない患者の苦痛を和らげる為に使用するのです。命に関わる深い傷を負っていたり、末期の癌患者など。一度使ったら最期まで責任を持たねばなりませんし、医療事故が起こるのを避け使わない医師がほとんどです。ですが私は、最期まで患者の苦しみに向き合いたいと思っております」
「……そうか」
知識、人柄、そして志。
彼はこのヘイル国の、
皇子は立ち上がると、兵に指示を出した。
ロビー・ミラーは死んだのではなく仮死状態にある為、身体を傷付けない様にと。
そして、続けて記録係に命ずる。
「席を外せ。少しの間マリウス院長と二人きりにしろ。……責任は私が取る」
記録係は躊躇いながらも、部屋を後にした。
「……さて、ハミルトン医師。ここからは取り調べではない。皇子としてあるまじき行為かもしれないが、ただのジョシュア・ブルゲールとして二人で話がしたかった」
「……殿下」
「私は、貴方とアーシャ先生を救いたい」
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