第1話 ~霧~


 翌日、早朝に皇室の馬車がやって来た。


「ヘイル国皇室より、第8皇女ミュゼット殿下の命で、エラ医師をお迎えに上がりました」


 娘が礼をし、フードを外すと、使いの男と兵は顔をしかめた。

「どうぞ……お乗り下さい」


 首都は馬車で三日程を費やす距離にある。皇室からの正式な客人である為、途中の宿も上等な部屋をあてがわれた。

 目を合わせず、淡々と応対されることを除けば、娘は極々丁重に扱われた。




 数日後──

 やっと足を踏み入れたヘイル国の宮殿に、娘は驚く。

 サレジア国の細部まで彫刻が施された芸術的な造りと異なり、無機質で……まるで箱の様な、一見宮殿とは思えない建物だったからだ。

 庭も手入れはされているものの、花はほとんど咲いておらず、高さの揃った緑の低木が規則正しく並んでいた。


 兵に先導され廊下を歩くと、やがて大きな黒い扉の前に立つ。


「皇女殿下、エラ医師をお連れ致しました」

「どうぞ」

 高く軽やかな声に開いた扉の先には、杖をついた一人の女性が立っていた。

「二人きりがいいわ」

「はい……外におりますので、何かありましたらお呼び下さいませ。では、治療をお願い致します」


 娘が入ると扉は閉められた。





「遠くまで来てもらって悪かったわね。まあとりあえず、その辺の空いている椅子に座って」


 話し掛けられるも、その紫色のの焦点は合っていない。どうやら全く見えていない様子だ。


「いえ……このままで問題ございません」

「そう?じゃあ私は座るわね」


 彼女は数歩進むと、まるで見えているかの様に椅子の前で正確に止まり、腰を下ろした。


「はじめまして。ヘイル国第8皇女のミュゼットよ。貴女、言葉のイントネーションからしてサレジア国の人?」

「……はい」

「やっぱりね。じゃあこっちの皇室を見たら大分驚くと思うわ。ほら、ヘイル国は一夫多妻制だから、皇子だの皇女だの言っても価値なんて無いに等しいわけ。

 私も4人目の側室から産まれた8番目の皇女だし、気楽に接していいわよ」

 ミュゼット皇女は、まるで機関銃の様に喋り倒す。


「で、貴女のお名前は?」

「エラと申します」

「ふーん……まあいいわ。じゃあエラ先生、早速目を診てちょうだい。物心付いた時からよく見えなくて、今ではもう真っ暗なの」


 はいと目を突き出すミュゼット。娘は近づくと、目に手をかざし探っていく。


 角膜、水晶体、網膜……全てに異常なし。

 原因は恐らく視神経。


 娘は手を目から額に移動させる。顔を掠める空気の流れでそれに気付いたミュゼットは、ニヤリと笑った。


「どう?分かった?」

「……はい。御目の原因は恐らく、脳腫瘍が視神経を圧迫している為と思われます。良性のものですので御命に別状は御座いませんが」

 ミュゼットは何故か笑いながら、目をキラキラと輝かせる。

「それで!?治るの?治らないの?」

「確約は出来兼ねますが……腫瘍を縮めつつ視神経を回復する魔術を受けて頂きます。脳に負担がかかりますので、数回に分けて少しずつ。他に異常がなければ、完全とはいかなくとも、大分改善されると思われます」

「腫瘍よ!脳腫瘍!内部疾患の中で一番難しいのよ?貴女、そんな治療も出来るの?」

「……先程お話した通り、確約は出来兼ねますが、力は尽くします」


 すうっと息を吸い込み、宙を探る。ちょんと触れた娘の肩に、ミュゼットは両手を置いた。


「やっぱり……貴女は噂通りの名医だったわ。私の従兄いとこもなかなか優秀な医師でね、原因が脳腫瘍って所までは特定してくれたの。だけど流石に治療は難しいってさじを投げられて」

「そうですか」

 娘は淡々と答える。


「今日から治療は出来るの?」

「念の為全身状態を診させて頂き、問題がなければ早速」

「すごい!!」


 ミュゼットは立ち上がり、全盲とは思えぬ動きでベッドに移動すると横になる。

「さ、早く始めてちょうだい」






 治療を終え、開いた先には “視界” があった。

 それはぼんやりと、全ての輪郭が霧に包まれてはいるが、確かに何かが見える。

 ミュゼットは身体をがばっと起こし、キョロキョロと部屋を見回した。


「施術を行ったばかりですので、安静になさって下さい」

「安静?安静になんてしていられる?逆の立場になってごらんなさいよ」

 その言葉に嫌な響きは含まれない。ただ興奮し、今にも躍り出しそうな勢いで、ベッドから立ち上がった。

 そしてそのまま娘へ向くと、ゆっくり近付き、さっきよりも確実な動作でペタペタと顔を触る。

「これ、貴女の顔でしょう?それで……このモジャモジャが髪の毛」

 下へ手をスルッと滑らせると、肩に置いた。

「これ!肩!さっき触っていた肩!そうでしょ?」

「……はい」


 ──くすぐったい。


 肩から腕、腰など、キャッキャとはしゃぎながら探る手にひたすら耐える。

「すごいわ!まだ一回目なのに。これからもっと見える様になるんでしょう?」

「確約は出来兼ねますが」

「もう!そればかりね。貴女程の腕なら、確約しちゃっていいわよ。次の治療はいつ?」

「お身体に異常がなければ一週間後に」

「あーん、待ち遠しい!」

 叫ぶと、ドサリとベッドへ腰を下ろした。


「それじゃあ、治療を全て終えるのに結構かかりそうね」

「はい、最短で三ヶ月はみて頂けると」

「移動するのも大変だし、全部終わるまで暫く宮殿ここで暮らしてね」

「……はい」


 一刻も早く去りたかったが仕方がない。

 治療した以上は最後まで診る責任がある。

 娘は腹を括った。


「ところで、貴女の本当の名前、なんて言うの?」

「……え?」

「エラじゃないでしょ?」

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