何日かが過ぎた。
何日かが過ぎた。クロエのノアに対する態度は以前となにも変わらなかった。彼女は、まるであのときのことが夢か幻だったかにノアへ接した。
乱暴を働いたノアを咎めるでもなく、もしくは軽蔑したような目で見ることもない。ごくふつうに振る舞うのだった。
ノアは正直ほっとした。勢いでああなったとはいえ、心に疚しさを感じていたのはたしかだ。なによりクロエは神官王の秘密を探る頼みの綱だった。もしや改革派の目論見が台無しになったのではと心配していたのだ。が、それは懸念だったようである。
ふたりのあいだで変わったことといえば、あれ以来のべつまくなしに媾うようになった。もっぱら、それに使われるのは郊外の風車小屋だ。収穫期を過ぎた風車小屋は訪れる者がほとんどおらず、訳ありの男女にとって恰好の密会場所である。
肉欲は人の性。若いふたりならなおさらだろう。クロエのほうから誘ってくるときもあった。なにが修道女だ。好き者め。そう思いつつ、ノアも自分の下で嬌声を漏らすクロエの身体に夢中になり、より深みにはまっていった。
女は魔性という毒薬を持っている。男がそれに侵されれば、容易くどこまでも堕ちてゆく。
あるときノアは行為の最中に、気まぐれからクロエの着ている修道服をすべて剥ぎ取ったことがある。貞淑な修道女を意のままに扱い、悦に入っていた。クロエがいやがることでよけいに嗜虐性を刺激された。そうして彼女のミルクを固めたかの白い肌がすべて露わになると、そこに幾筋の傷痕があった。身体の随所にミミズ腫れのような古傷が、べったりと張り付いているのだ。
クロエは咄嗟に手を回して隠そうとするが、ノアは風車小屋の床に彼女を組み敷いて動きを封じた。
「刃物で切られた傷だ──」
ノアが傷痕を指先でなぞると、クロエはか細い声で呻いた。
「誰にやられた?」
口を噤むクロエの顎を摑んで、無理矢理に自分のほうへ向かせると、ノアは同じ質問をした。
「前の夫よ。酒に酔うとわたしを傷つけて、それを楽しんでた。ひどい人だったわ」
そう言ってノアから顔を背けたクロエの目には、涙がにじんでいる。
酒を喰らって自分の女房を痛めつける男か。クロエはそいつから逃れて修道院へ入ったのだ。彼女が時折見せる暗い表情の正体は、これだったのか。
──いや、ちがう。
違和感があった。彼女は、まだなにかを隠している。ノアはそう直感した。
「……おまえ、そいつをどうしたんだ?」
ノアが耳元で囁くように問う。しかしクロエは答えなかった。
「殺したんだな」
ノアの胸中にどろりとした思いが蟠る。彼は暗い気分になったと同時に、一方でいま腕のなかにいる女への愛しさが募った。彼女の身体に後ろからしがみつき、豊かな蜂蜜色の髪に顔を埋めると、甘い髪油の匂いがした。
「クロエ、おれとこい」
「え?」
「ふたりでこの国を出るんだ」
「なにを言っているの……」
「なんでもいい。言うとおりにしろ」
「ここを出て、どこへゆくつもり?」
「知るか。聞け、この国はもう終わりだ。まもなく神隷騎士団が蜂起する。やつら、オンウェル神殿にいる宗教狂いの横暴に、ほとほと嫌気がさしたんだろうよ」
「そんな……ねえ、それはいつなの?」
「もうじきだ。改革派の神隷騎士は、神官王以下の刃向かう聖職者をすべて虐殺するぞ。しかし弾圧にも免罪符がいる。おれはそれを探るべくおまえに近づいた。神官王には以前から小児性愛の噂があったからな。おまえなら真相を知っているはずだ。そうなんだろう?」
戸惑うクロエはしばらく逡巡した。しかしやがて、彼女は身をよじるとノアの瞳をすがるような目で見つめた。
「いいわ、ノア──」
冷たい手がノアの頬に触れた。
「あなたの知りたがっていることを教えてあげる」
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