第4話 異変
事件はいつも突然に起きる。この日もそうだった。上杉景虎が通うS高校で急にチャーリーゲーム――現代風コックリさん――が流行し、授業前から休憩時間、放課後まで男女集ってワイワイやっているのだ。上杉は横から見物しているだけだったが、皆が揃いも揃って恋愛事から進路、試験に至るまで質問しまくるのは一種異様だった。
これは組み合わせた鉛筆と紙だけでやる降霊術の類いだが、問題は「誰も触れていない鉛筆が動く」という点だった。明らかに人間以外の力が作用している。Eibonの魔術を知っていて自分も人外の力を使えるようになった上杉は、素人がやる降霊術もどきに警戒感を持っていた。そう簡単にこんな事が出来るはずが無い、十中八九ろくでもない存在が関与しているに違いないと。それがEibonが言っていた存在なのか、本当に霊の類いなのかは分からないが、ケンカ屋の直感で確信していた。
悪い予感ほど当たるのが世の常だ。放課後になって始めたグループが騒ぎ出した。呼び出したチャーリー(霊)が帰ってくれないと。そういう場合の対処法も伝わってはいる。特定の決まり文句を唱えて紙を破ればいい。だがそうしても鉛筆が動き続けるのだ。
見物していた上杉が教室を見渡すと、幾つもの机で同じ事が起きている。言葉を失う者、恐怖で泣き崩れる者、喚き散らす者、それぞれの形で恐怖を体現している。
上杉は教室を飛び出し、他の教室を見て回ったがどこも同じ状況だ。学校中が騒然となって教師達も総出で騒ぎを収めようとしている。が、収束の目処は一向に立たない。
「こいつは……本格的にヤバいぞ」
Eibonに「念話」を送った。前日のトレーニングの時に魔術で遠隔交信が出来るように霊的なチャンネルを開かれているのだ。
『おいジジイ、えらい事になったぞ!』
『景虎か。大まかな事は察知しておる。異様な霊波が飛び交っておるでな』
『話が早いな。で、こりゃなんなんだ?』
『降霊術を利用した悪質な……これは……霊波が変わったぞ! 更に何事かが起きるやもしれん! 用心せい』
不意に騒ぎが静まった――のではなかった。見渡す限りの生徒・教師達が一斉に倒れ、人事不省に陥ったのだ。
「おい……!」
危険が間近に迫った事を感じた上杉は魔王尊の力を発現させた。白い修験者の装束に身を包み、闇を固めたような翼を広げる。右手にはヴァジュラ。左手には大きな数珠。既に体は僅かに浮かび、不測の事態に備えている。
『くそ、なんてこった!』
『どうしたんじゃ景虎? 何かあったか?』
『ああ、一大事だ』
『何があった! 言うてみい!』
『変身のポーズもフレーズも考えてなかった! 事が起きるのが早すぎる!』
『知るかバカタレが!』
乱暴な感覚を残して念話が切れた。本物の電話やスマホなら床に叩き付けているであろろう雰囲気だ。
「絶対に必要な事だろうよ。分かってねぇなクソジジイ」
危機感の無い事である。Eibonも自室の寝椅子で水タバコを吸いながら呆れていた。
「まったく……バカな事を言うアホもおったもんじゃ。普通は初の実戦となればオタオタするか緊張で何も出来なくなるかするもんじゃが。あのクソ度胸だけは選んで正解じゃったな。ケンカで踏んだ場数の成果か。まぁ裏目に出なければよいが」
当の上杉は魔王尊の力で邪気が溢れかえる校舎の中を走査し、事件の中心――邪気の中核――を目指して飛んでいた。
倒れた生徒達や教師が並ぶ廊下を高速で低空飛行していく。先日の上級生達も昏倒している。倒れた生徒達の髪や服が巻き起こした風でたなびく。目指すは最上階――四階の理科室。そこに邪気が集まっていくのだ。
理科室前に到着し、窓の縁から中の様子をうかがう。いきなり突撃しないあたり無謀とも思える大胆さと慎重さが両立しているようだ。理科室内では一人の女子生徒が魔法陣を描いた大きな布を前に立ち、叫ぶような異様な呪文を唱えている。こちらからは顔が見えない。
「なんだあれ……『いあいあ』とか……変な呪文だな」
どうしたものか思案しているとEibonからの念話が来た。
『景虎よ、用心せい。あれは旧支配者への帰依を誓う呪文じゃ』
『お? ふて腐れてたんじゃないのか』
『お主と一緒にするでない。大人はやらねばならん事はキッチリやるんじゃ』
『クソ、当て付けかよ』
『とにかく。ショゴスより遙かに危険な相手と思え』
フンと鼻を鳴らすと、いきなりドアを開けて乗り込んだではないか。
『おい!』
Eibonが驚く間も与えず一気にヴァジュラを抜いて構え大声を張り上げる。
「そこまでだ! 何やってんだテメェ!」
こちらを振り向いた女生徒の顔を見た上杉は、奇妙な声を出して一歩引いてしまった。人間の顔とは思えないほどにつり上がった目と口。唇から飛び出した大きな犬歯。引きつった表情筋が作り出す顔中の深い皺――いやもはや溝か。そして額から生えた二本の曲がりくねった角はまさに般若。
それがブレザーの制服と艶やかなストレートロングの黒髪を飾りとして自分を睨み付けているのだから変な声も出る。
「なんだ……上杉君じゃない。変な格好をしてどうしたの? それよりも何で……平気なの?」
「その声は……南野志穂か? 変な格好はそっち……いや、なんでもない」
Eibonと出会った日に彼をカラオケに誘った女子生徒だ。さすがに女子に向かって「変な格好」とは言えなかった。
ちょっと可愛い感じで元気な女子だった筈が何故こんな事をするのか。当然の疑問をぶつけたがすんなりとは答えてくれない。変わりにEibonが解答を見つけた。
『これは……被害者達のアストラルライトを集めて旧支配者への供物として捧げとるようじゃの。要するに生け贄の儀式と同じじゃ。彼奴等は封じられとる故に肉ではなく霊的なエネルギーであるアストラルライトで……といった次第か』
『冗談じゃない。そんな事を見逃せるかよ。てか、なんで俺は平気なんだ?』
『あの降霊術もどきに参加しなかった事に加えて魔王尊の力を宿したおかげじゃな。あれがトリガーになっておったんじゃ。生け贄用の霊的回路を開くためのな。ともあれ、それなりに強い術じゃ。あの遊びに参加しなかっただけでは防ぎ切れなんだろうて』
『さすがは俺が選んだ天狗だな!』
念話の間も南野とのそれっぽいやりとりは続けている。この辺りは大した物だ。
「じゃぁ一つだけ教えてくれ。その……ヤバげな姿はなんなんだ? それが本当の姿ってやつなのか?」
「私にも分からないのよ。両親もこうなれるからそれが普通だと思ってた」
「んなワケあるか!」
「とにかく! 邪魔は止めてよね。私は神様にお供えするんだから」
「いやいや、お供えなら饅頭とか花とか賽銭とか……」
「そんなインチキと一緒にしないで!」
断ち切るような一喝。いつもとは完全に別人だ。何が彼女をここまで変えてしまったのか。それともこれこそが彼女の本質だったのか。考えても分からない。分かるはずも無い。
ならばやるべき事は一つだ。だが彼女を傷つけずに出来るだろうか?
『おいジジイ』
『景虎か、なんじゃ? 弱音か?』
『そんなワケがあるか。あの子を無事に保護する事は出来るか?』
『無理じゃの』
『テメェ!』
『あの娘は邪神の従者種族と地球――この国本来の神々の中で闇に堕ちた者との混血種族のようじゃ。名付けるなら《猛き者》とでも言おうかの。肉体レベルでああなんじゃからどうにもならん』
あっさりと割り切る辺り、やはり古代人である。だが現代人はそうもいかない。なんとか知恵を絞らねば。
「仕方ねぇな。取りあえずは止めてもらうしか無い」
「インチキを信じてる人達には分かってもらえないよね。本当の神様ってね、残酷なのよ」
「残酷?」
「そう。簡単に人を殺めてしまう。国だろうと星だろうと滅ぼしてしまう。だからお供えをして勘弁してもらう。それが本当の神様なのよ。福の神? 守り神? そんな甘っちょろいもんじゃ無いのよ! 上杉君、あなた神様に守ってもらった事がある? 幸運なんてありはしない。不運なら幾らでもある。それが現実。理不尽な事故や病気、それをもたらすのが神様なのよ!」
文字通り般若の形相で言われればそんな気にもなる。旧支配者の存在を知っているし、彼等を神とするならば当たってもいよう。だが上杉にとって旧支配者は神ではなく化け物だ。それも超弩級の。
「やむを得ん。力尽くでも止めてもらうぞ。目の前の無茶は見過ごせん」
「やってみれば? ヒーロー気取りには現実を教えてあげる」
こちらを向いて身構えた姿の禍々しさたるや鳥肌ものだ。普段のケンカとは次元の違う凶気に冷たい汗が流れる。だが弱気を見せたらそこで勝敗が決まる。上杉はそれを肌で知っていた。
「姿が変わっても女の子だ。荒っぽい真似はしたくなかったが……許せよ!」
「嫌よ! 冗談じゃ無いわ!」
叫ぶと同時に南野が飛びかかってきた。三メートルはある距離を助走無しでひとっ飛びだ。
「うおぉ!」
驚きの声を上げて天井まで舞い上がる。
「くっ! 飛べるなんて……卑怯者!」
「卑怯上等!」
悪びれる事無く反撃に移る。ヴァジュラを構えて急降下。思いっきり振り抜いた。南野がかろうじて身をかわす。
「ちょっ……殺す気なの!?」
「そっちこそ!」
お構いなしにヴァジュラをブンブン振り回して追い詰めていく。
「くそ……! やめて、ケダモノ!」
「おい、それじゃ違う意味に聞こえるだろう! 聞こえても全員ぶっ倒れてるけどな。誰かさんのせいで!」
「この!」
南野がまた跳躍した。今度は廊下側に。体を丸めて窓ガラスをぶち破る。派手な破砕音と共に廊下に飛び出して床を回転して起き上がった瞬間。
「はい捕まえた」
「なっ!?」
後ろから羽交い締めにされ床に転がされる。さらに胴体に足が巻き付き、仰向けで締め上げられた。「胴締め羽交い締め」とでも言おうか。
「なん……で……」
「天狗と言えば幻術だろ? 知らないのか?」
「天狗……上杉君……一体……」
「こっちも色々とあってな。ワケありなんだなこれが」
上杉は攻撃を躱して天井に舞い上がった際に、南野の視線が外れたタイミングで分身像を作り、自分は姿を消して隙を伺っていたのだ。実体の無い分身像だからこそ思いっきりヴァジュラを振り回せたのである。一気に猛攻に出なければ実体が無い事を見破られたかも知れない。
「悪いけど、このまま落ちてもらうからな」
「こ……のくらいでぇぇぇぇぇ!」
絶叫と共に南野の体が熱を帯び、筋肉が膨らんだ。制服が張り詰める。歪んだ顔や首筋に血管が浮き上がり汗が滲み出る。
「ちょっ……マジかよ!」
上杉が渾身の力を込めている羽交い締めを力尽くで引き剥がした。到底女子生徒のパワーではない。制服の背中や肩も裂け、南野の白い肌が露出する。だが変な気を起す暇さえ与えず、上杉の胴締めが続く上半身をパワーだけで引き起こし、四つん這いになって上体を捻り込んだ。
「えやぁぁぁ!」
なまじ胴締めに力を込めていた上杉はその動きについて行く形になって床に叩き付けられた。
「がは!」
頭部を床にぶつけて目の奥に火花が飛び散る。だが胴締めは外していない。大した根性だ。
南野が上杉を背負ったまま立ち上がり、次の行動に移る――前に腕を頸に巻き付けた。
「こんなもの!」
「だよな!」
今やパワーで勝る南野が引き剥がす前に、そのまま天井まで舞い上がった。自身の体重で細い頸――今は筋肉質だが――が締まる。
「くぅっ……こ……の……」
「とにかく眠ってもらうぞ!」
時間を作ってから対策を考えればいい。そのつもりだった。ただ一つだけ誤算だったのは、南野が思いの外タフだった事だ。
いきなり鼻先に熱感と激痛が弾けた。
南野の筋肉盛り上がる右足が跳ね上がり、見事な半円を描いて背後に位置する上杉の顔面に爪先蹴りを入れたのだ。
「ぶは!」
苦鳴が漏れると共に腕から力が抜けた。南が不自然な体勢のまま落下し、背中と後頭部を強打する。
「がは!」
後頭部を抱えて転がる南野と距離を取って滞空する上杉。魔王尊の力が蹴りの威力を「ある程度」だが打ち消してくれた事で鼻血程度で済んでいる。変身前に食らっていたらお陀仏だったことは疑いない。
「女の子に酷い事するわね……あられも無い格好までさせて。責任は取ってもらうわよ。生け贄になってもらうから」
「誰も見てないんだからいいだろ。俺もそれどころじゃ無かったしな。誰かさんのおかげで」
袖口で鼻血を拭って、ふと浮かんだ疑問を投げつけた。
「さっき……御両親もそうなれるって言ってたよな。じゃぁ……御両親もこういう事をやってるのか?」
「そうよ。あの術も両親から習ったのよ」
どこか自慢げに答える。凄い事が出来ると言いたいのか、それとも彼女の言う「本当の神様」への貢献を誇っているのか。
「ついでにもう一つ。アストラルライトを抜かれた犠牲者達はどうなるんだ?」
「どうにもならないわよ。どうにもね」
「治らないって事か?」
「そういう事。神様のお腹に入るんだもの、二度と戻らない。戻るわけないでしょ」
「……その後は?」
「生け贄は捧げられた後どうなるか知ってる?」
「知らねぇよ、普通はそんな事しないぞ。現代の日本じゃな」
「じゃぁ教えてあげる。昔から何処の国でも……生け贄に捧げられた後は……食べられちゃうの」
上杉は背中に悪寒が走るのを感じた。残虐行為やカニバリズムという言葉では済まない何か――底知れない何かを目の前にしたという感覚。
「……南野も……食べたのか?」
「私はまだその気になれないけど……いつかは……きっと」
これは何が何でも止めるしかない。もしも彼女が生け贄を口に入れたら……きっともうブレーキが効かなくなってしまうだろう。「その気になれない」のはまだブレーキがかかっている証拠だ。
まなじりを決して床を踏みしめた。今度は数珠を両手にかけて構える。
「オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ!」
「なにそれ? スマンとか謝ってるの? ならもう遅いんだけど」
憎まれ口も気にする事無く呪文を繰り返し唱えている。数珠を一つ一つ爪繰りながら。 この呪文は天狗真言と呼ばれる。これで何をするつもりなのか。南野はこれまでのやりとりから迂闊な事はせず、警戒の姿勢を崩さない。
何度目かの呪文を唱え終えた時、上杉が突然身構えた。南野も即座に反応して腰を落とし、仕掛けてくる瞬間に備える。。
「行くぞ!」
上杉が宣言した。南野が半歩下がった。この宣言さえも罠かも知れないのだ。当然の警戒だが、続く展開は予想を違う意味で超えていた。
いきなり上杉の体が無数に増殖したのだ。それが一斉に飛び立ち南野を取り囲む。
「な……! キモ!」
「失礼な! でも今は構わん!」
一斉に多重音声で言われると更にキモい。パワフル般若状態の南野もメンタルはまだ女の子としての部分が残っているようだ。反応が鈍くなっている。
そのチャンスを逃す上杉ではない。一斉に襲いかかる――ように見せてヴァジュラの柄を鳩尾にたたき込んだ。南野の正面の一体。これが本体だ。
「……!」
声にならない苦鳴を漏らして南野が崩れ落ちた。床にぶつかる前にそっと抱き留める。この辺りはまともだ。
『ふむ、上出来じゃな。で、この後はどうするつもりじゃ?』
『取りあえずそっちへ連れて行きたいんだがな。真っ昼間にこの姿で移動は出来ん。どうにかならんか?』
『よかろう、待っとれ』
程なく周囲の景色が渦巻き、Eibonの館の中に変わった。転移の術だ。
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