第2話 邂逅①

 奇妙な男が商店街に現れてからしばらくの間は、「商店街に消えた男」の怪情報が人々の口の端に上った。

 いわく、「実はジェ○イの騎士だ」「遅れてやって来た最終戦争の戦士だ」「シャンバラから秘密結社を作るためにやってきたグランドマスターだ」「地底世界アガルタの住人で、人類に真のアセンションを促すべく活動している」等々……。

 だが口さがない人達はすぐにそんな噂も忘れ、新たなネタに食いつく。その絶好のネタは翌年から現れたのだった。


 年度が替わって4月後半――商店街にほど近い県立S高校。新入生も、進級した上級生たちも新しい生活に慣れた頃。放課後の体育館の裏に不穏な空気が漂っていた。薄暗く黴臭い空気と人目の無い独特の環境。湿った土には雑草が点在していて、手入れが行き届いていない事が見てとれる。

 そこに不穏な空気をまとった最上級生が三人たむろしている。いや、誰かを待ち構えている。制服を着崩して気怠げながら剣呑な気配。待っているのは誰なのか、気の毒になってくる。

 そんな三人を体育館の陰から見ている少年が一人。平均的な体格とサラサラの黒髪をたたえた優男風の一年生だ。彼は呼吸を整えると足音を最小限にしてダッシュした。目標は例の三人。

 さすがに気付かれた。が、既に少年は肉迫し空中に浮かんでいた。左端の上級生に跳び蹴りが炸裂する。綺麗な裏蹴り。被害者は声も無く吹っ飛び地面に激突した。少年は着地と同時に中央の上級生の股間を蹴り上げた。言語化不能な呻き声と共に沈む体をどけると、その上から上段回し蹴りが飛ぶ。最後の上級生に炸裂した。鈍い音が響き三人目が吹き飛ぶ。

「はい終わり。いいっスか? 先輩方」

「て……めぇ、噂通り卑怯な……この『ケンカ屋・上杉』が……」

 股間に甚大な被害を受けた上級生が被害箇所を両手で押さえたまま悪態をつく。

「三対一の方がよっぽど卑怯なんじゃないっスかねぇ?」

 冷めた表情で右足を飛ばして追い打ちをかけると、被害者は両手の上から更なるダメージを受けて悶絶する。

「や、止めろ! 今日はお前の勝ちでいい!」

「生意気だわ態度はでかいわ卑怯だわ、覚えてろ、この悪魔め!」

 不良上級生達がお決まりの捨て台詞を残して去っていくのを見届けた少年は一つ伸びをしてその場を後にした。「ケンカ屋」と呼ばれてはいるが別にケンカを売って歩くワケではない。が、華のある雰囲気故か入学してすぐに「生意気だ」と因縁をつけられ呼び出されたのだが、結末はこの有様だ。彼の武勇伝は様々にあるが、更に増えた事は間違いない。

 教室に戻って鞄を手に取ると隣の席でたむろしている男女数人が陽気な笑顔で話しかけてきた。

「上杉君、帰りにカラオケに行く予定なんだけど一緒に行かない? HIASOBIの曲、上手いんでしょ?」

「あー聞きたいー」

「あたしもー」

「確かにありゃ上手かったなぁ」

 口々にそう言われれば悪い気はしない。幸い今日はバイトもない。三年生との「野暮用」も一方的に終わった。

「おー、お安いご用だ……? あれ? 今日は……なんかあったような……」

 何の予定も無かったはずだ。今日はのんびりと過ごすつもりだったのだ、今までは。だが急に何か重要な約束がある気がしてきた。胸の奥がざわめくような、落ち着かない独特の感覚。

「悪りい、また今度誘ってくれ! そん時ゃ奢るから!」

「絶対だぞ!」

 念を押す声を背中に受けながら教室を飛び出した。

 学校からすぐの商店街を歩きながら記憶を探るが、どうしても何も思い当たらない。何度考えてもだ。なのにこの奇妙な感覚は何なのか。気のせいなどでは断じてない。このモヤモヤが消えるならむしろ気のせいであって欲しいくらいだ。

 そんな事を考えながら歩いていると、ふと左側から奇妙な感覚を受けた。まるで磁石が引き寄せあうような、体の中を引っ張られる感覚。

 妙な感覚に従い左側を見て言葉を失う。体をねじ込んだら身動きが取れなくなるであろう狭隘極まる隙間に広大な空間が広がっているのだ。一面に広がる芝生と奥手側に茂る森。その手前に石造りの小さな建物がぽつんと建っている。

 生まれた時からこの町に住んでいる上杉だが市内に、それも商店街にこんな場所があるとは聞いた事もない。

「なんだよこれ……」

 そこは既に空家になっている元時計店と洋服店の間――かつて風変わりな男が姿を消した場所だった。

 目をこすって狭い路地を覗き込む。やはりこれまで見た事も聞いた事もない、有り得ないはずの光景が広がっていた。落ち着いて見てみるとなにか違和感がある。まるで密度の高い空気を通しているような、或いは何か透明な液体を通して見ているような、そんな印象を受けるのだ。

手を伸ばしてみると、境界面と思しき所で「何か」が手に触れた。

「なんか有るぞ。なんかこう……変な感じだ」

 誰でも言えそうな感想だが、わけが分からないのだから仕方がない。

「行けるか……? 正直分からんが……行けなくはないかもしれん」

自分を引き寄せる「何か」がそこにある。それを放っておける性分ではないのだ。

 こうと決めたら躊躇う理由はない。どうせ自分を呼び寄せている(と思われる)以上、危害を加える意思は無かろうという推測もある。無謀に見えるがアホではないのだ。

 一気に身体をねじ込んで行くと「境界面」を越える時、何かを通り抜ける感覚があった。温かい水面を割って行く感覚に近いか。

 通り抜けてしまえば意外と大したことは無い。が、すぐに気付いた。空気が体に纏わりつく感じがある。だがそれだけではなかった。視覚情報が違うのだ。

 液体を通して見ているような印象は相変わらずだが、普段よりも輪郭がくっきりしており、色彩も普段より数段鮮やかだ。

 ずっと奥の方に茂っている森に視線を移した。恐らく二百メートルは離れているだろう。

 遠い筈なのに木の葉が一枚一枚はっきりと識別出来る――どころか葉脈まで分かるではないか。通常の視力では有り得ない事だ。

 こうなってくると恐怖や警戒心よりも好奇心が圧倒的に勝る性格だ。状況を調べる手がかりは……森の前に建っている、古い石造りの建物しかなさそうだ。年代物のようだがガッシリとした印象を受ける。よく見ると古ぼけた看板らしき物もある。

「なんだこれ? E……i……bo……n……エイボン?」

 とりあえず窓から中を覗こうとするが、蔦が絡まっていて何も見えなかった。

「仕方ねぇな、入るしか手は無しか」

 ドアノブに手をかけようとした、まさにその瞬間。ドアが勢いよく「内側から外へ向けて」開いた。

 盛大な激突音をたてて上杉がぶっ飛び、後ろの柵にぶつかる。額を押さえて地団駄を踏む背中に陽気な男の声が響いた。

「おお、やっと来たか! さぁ入れ入れ、遠慮はいらんぞ!」

 涙目の上杉が男を視界にとらえた。一目でヨーロッパ系と分かる初老の男が自分を無邪気な笑顔で迎えている。明灰色のローブをまとい、時代を感じさせる巻き上げ式のサンダルを履いている。そんなわけの分からない格好をしている男が入れと言っているのだ。アヤシイ事この上ない。

「ちょ、ちょっと待て! 人にドアをくらわしといて、その態度はなんだ!」

 言葉はちゃんと通じるようで、ローブの男はドアと上杉を見比べた。

「ふ~む、なかなか頑丈じゃの、お主もこのドアも」

「なに感心してやがんだこのジジイ!」

 上杉が猛然と立ち上がり男に食ってかかる。

「まぁ落ち着くがええ。取りあえず中に入らんか、手当もしてやろうて」

 手当と聞いてやっと気も鎮まってきたようで、大きな息を一つ吐くとドアをくぐった。

 中に入ると石造りの床と壁が広大な空間を作っていた。外から見ると八畳あるかどうかというサイズの建物だ。それがどう見ても体育館クラスの空間を擁しているのだった。

「……!」

 驚いた上杉はダッシュで飛びだし、建物の外をぐるりと回って戻ってきた。予想外の事態に眼をまん丸くしている。

「おいジジイ! こりゃどういう悪戯だ!」

「悪戯なものか。説明はこれからじゃが……まずは手当といこうかの」

 男が上杉に歩み寄る。出血こそないが、額は一目で分かるほどに腫れ上がっていた。驚きで忘れていた痛みが蘇る。

「いてて……」

「どれ、じっとしとれ」

 男が上杉の頬に右手をかざして何やら呟く。手を離すと痛みも青あざも腫れも嘘のように雲散霧消していた。

「消えた……」

 横の鏡で確認した。間違いない。

「おいジジイ、何をしたんだ!」

「文字通り『手当』じゃよ」

 上杉の悪態も涼しい顔で受け流している。男はすぐ横にぽつんと置いてあるテーブルにピョンと飛び乗った。外見からは想像出来ない軽快な動きである。

「行儀が悪いジジイだな……」

 老人は少年の呟きも気にせずテーブルの上にしゃがむ。

「おお、椅子がなかったの。ほれ」

 男が指さすと上杉の横に背もたれ付きの椅子が現れた。ポンと現れたのではなく、床からむくむくと湧いてきた――そんな印象だった。

「おい……これ……」

 強度を確かめるように揺すってみたり、脚や背もたれ叩いたり、一通り確かめて腰を下ろしたところで男が口を開いた。

「よう来たの、上杉景(かげ)虎(とら)よ。儂の名はEibon。見ての通り魔道師じゃ」

「ちょっと待てジジイ! 何で俺の名前を知ってるんだ何が魔道師だ何が見ての通りだ!」

「質問は一度に一つ!」

 Eibonが人差し指を立てて制止した。上杉が立ちあがって腕まくりをする。乗る気のようだ。

「何で俺の名前を知ってるんだ!」

「占術でお見通しじゃ」

「何が魔道師だ!」

「本当なんじゃから仕方あるまい」

「何が見ての通りだ!」

「いかにもと言った風体じゃろう。トム・クルーズにでも見えるか?」

 テーブルの上から言われるとからかわれているようにしか思えない。上杉もペースを掴めず調子を狂わされているようだ。

「ああ……、分かった、分かったからEibonさんよ。サッパリわけが分からんのだ、改めて説明してもらおうか」

「うむ、そうじゃの。さて……どこからどう話したものか」

「発端から初めて順序よく話せばいいんだ!」

 上杉が腕組みをして踏ん反り返っている。とことんケンカ腰だ、出会い方が最悪だったからだろう。それにしても困ったものである。

「そりゃそうじゃの」

 上杉の憎まれ口もどこ吹く風だ。しかも上杉が悔しがる様子を横眼で見てニヤニヤしている。

「さて……まずここにいる儂は本物ではない。アストラル体なんじゃ」

「なんだそりゃ」

「論より証拠、儂の手を触ってみるがよい」

 言われた通りにEibonの手に触れるとふわふわとした感触はあるが指は苦も無く手をすり抜けた。磁石の同極同士を近づけた感触に似ている。

「取りあえず、納得はできたかの」

 頷いて座りこむ上杉にEibonは続けた。アストラル体とはアストラルライトで出来た、いわば霊的な身体である。アストラルライトとは宇宙に満ちた普遍的なエネルギーで、これでできたアストラル体は魔術などの霊的な現象を起こす本質的な能力があるという。

「儂はこれを様々な時代や場所や世界線に投影する事で、同時に多数存在できるわけじゃ」

「時代や場所って……どういう事だ?」

「うむ、儂はな。お主らからすれば遥かなる太古――有史以前のハイパーボリア大陸に生を受けた。そしてわけあってサイクラノーシュ、つまり土星へと逃れたのじゃ。そしてサイクラノーシュからお主らの前に、アストラル体を投射しておるというわけじゃ」

「ハイパーボッタクリ……」

「どんな大陸じゃバカタレ」

 細かいボケも見事に潰され、どうしてもペースを握れない。悔しそうな上杉を放っておいて続ける。

 アストラル体は時間も空間も飛び越えて投射出来る。一度投射したアストラル体は、周囲のアストラルライトを取り込む事で永続的に存在を保つ事が可能だ。そして自分の意識――或いは念を乗せる事で「もう一人の自分」として活動させる事もできる。

「それが今ここにいる儂じゃ」

 突拍子もない話だ。が、目の前にある現象は否定できない。

「じゃ、Eibonのジジイよ、あんたは本物じゃないけれど、本物と同様の人格というか考えだって事だな?」

「うむ、一つの意識を共有する群体の一つとでも言おうかの」

 更にこの空間は自分の魔術で作り出した異空間――半ばアストラル界と重なった特殊な空間であり、それ故に内部では思い通りの空間を作り出せるのだと言う。

「まぁ納得か……」

「そうじゃ、この狭い路地裏にこんな広い草原なんぞ有り得んじゃろう」

 たしかにその通りなのだが、自分の記憶を疑ってしまうのも仕方あるまい。

「それにほれ、いつもとは感覚が違うじゃろう」

 最初に自覚した空気が纏わりつくような感覚。異様に高まった視覚。更に注意して感覚を研ぎ澄ませば、遥か遠くを吹き抜ける風の揺らぎや匂い、揺らされた草のきしみまでハッキリと認識できる。上杉は、この現実を受け入れる覚悟を決めつつあった。

「それはの、お主のアストラル体が刺激され、肉体の束縛から解放されつつある証拠なんじゃ」

「……それは何のためにだ?」

 当然の、そして核心に迫る問いを投げかけた。

「ハッキリ言おう。儂と契約して魔法少年にならんか?」

「な……なに言ってんだこのジジイ!?」

 こうなるのも無理はない。普通は「魔法少女」と相場が決まっている。そこへ「魔法少年」とは。しかも自分が――である。

「正気かジジイ?」

「無論じゃ。男女平等の時代なんじゃろう?」

 あっさりと返された上杉は言葉を失った。一体、このEibonという老人は何を考えているのか、何をやろうとしているのか。そもそも彼の言う事は本当なのか。様々な考えが上杉景虎の頭の中を駆け巡る。

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