魔法少年 景虎

秋月白兎

第1話 プロローグ

 二十一世紀初頭の日本で皮肉交じりに「大都会」と呼ばれている岡山県。その南部S市の寂れた商店街を風変わりな男がひょこひょこと歩いていた。一見して外国人と分かる彫りの深い目鼻立ち。端正な顔には初老と思しき皺が刻み込まれている。明灰色のローブと同色の髪が、夕暮れ時のそよ風になびいていた。

 それはいい。が、珍妙な履き物が目を引く。古代ローマを思わせる革を巻き上げたようなサンダルだ。カリガと呼ばれると呼ばれるものでグラディエイターサンダルとは少し違う。名前まで分かる者はなかなか居ない。さらに不似合いな事に、唐草模様の風呂敷包みを背負っていた。

 この商店街は市が立ち上げた「商店街再生計画」によって新たな経営者を募り、今風のおしゃれな店がチラホラと出店している。が、どこからどう見てもこの男は場違いだ。そもそも彼が似合う町並みなどあるのだろうか。

 現に道行く人々が「何だこいつは?」と言いたげな目でチラチラ見ている。なのにこの男は何一つ気にする様子もなく進んでいく。周りをキョロキョロと見ているが、一体何を探しているのか。

 薄暗くなってきた商店街を半ばまで来た時、不意にこの男は足を止めた。

「おう、ここじゃここじゃ。やっと着いたわい」

 そこは既に空家となって久しい、元時計店と洋服店の間――猫ぐらいしか通れそうにない隙間だった。ローブの男は隙間を覗き込み一人で納得している。

「ふむ、準備は整っておるな。よしよし」

 流暢な日本語だ。そして男が「隙間」をノックした――ノックの音さえ聞こえてきそうな、極めて自然な動作。だが次に起きたのは、不自然極まりない現象だった。

 隙間から見えていた光景がぐにゃりと曲がり、捻じれ、渦を巻き始める。その表面に波紋が広がった。それが広がりきって、ゆっくり鎮まると、そこにはあり得ない空間が広がっていた。

 狭い隙間の中に公園を思わせる広大な空間が広がっている。いや、何ヘクタールあるのかという空間が狭隘なスペースに収まっている。矛盾するはずの光景が混ざり合い融合し、見事に共存していた。その様子を見ていた主婦達が両目と口を全開にして停止した。

 出現した空間をローブの男が覗き込むと、ズームがかかったように風景が拡大された。辺り一面に広がる芝生。その奥に茂る鬱蒼とした森。それを背景にして、古びた石造りの館が鎮座している。小さな館は蔦に絡まれ、窓枠に使われている僅かな木材もほとんど見えなくなっていた。

 年季の入ったドアの上には看板だろうか、浮き彫りで「Eibon」と刻まれた材質不明の大きな板が傾いたまま取り付けられていた。建て付けは雑なのかも知れない。

「さてさて。役者が揃うには少々待たねばならんな。ゆっくりと準備を進めるとしようかの」

 よっこらせと風呂敷包みを背負い直し、広大な空間を抱え込んだ隙間に歩を進めると空間の境目に波紋が起きた。向こう側の光景もローブの男の後ろ姿も歪み、波打ち、狭隘な空間をすり抜けて向こう側に立っていた。それも小さな館の入り口だ。

 男がドアを開けると呼び鈴の乾いた音が響き、ドアが閉ざされると同時に出現した空間も消え――元の狭隘な隙間だけに戻った。

 一部始終を見ていた主婦達が目を見合わせ、言葉にならない会話で驚愕と不思議を共有している。だが一しきり騒いで落ち着きを取り戻すと、皆が揃って思い至るのだった。古来この時間帯がどう呼ばれてきたのかを。


 昼と夜が混ざり合い、この世ならぬ者達が姿を現す魔なる時――「逢魔が時」と。

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