悔しがる愚か者たち


 大祭司はあまりの怒りに、わなわなと震えていた。


「林檎半島の〝翼獅子の港〟には、教会を恐れぬ不信心な商人どもが集まっている! あの町は罪の都だ! だからこそ〝聖なる魔導書〟の定めに従って、罰がもたらされたのだ! 大嵐によって、あの町の罪は洗い流されるはずだった!!」


 魔術師はいつでも椅子から立ち上がれるよう、身構えた。


 大祭司が、今にも飛び掛かってきそうだったからだ。


「にもかかわらず、大嵐は進路を変えた! 一体なぜだ!?」


 魔術師はごくりとつばを飲んだ。慎重に言葉を選びながら答える。


「……大祭司様は、何か、重大な思い違いをなさっているようです」


「思い違いだとッ!?」


「天候操作の魔法は、いまだに完成しておりません。また、もしも仮に完成していたとしても、百人を超す術者による複雑な儀式が必要で――」


「私は魔道教会の大祭司だ。私を騙せるなどと思わぬことだな」


「もちろん騙そうなどと思っておりません! ただ事実を述べているだけです!!」


「事実ぅ? おのれ小娘! 私を愚弄するか!?」


「なぜそうなるのです!?」


「おのれぇ~~~~~!!」


 大祭司の振り上げた右手が、まばゆい光を集め始める。


 感情に任せて、高レベルの魔法を叩きつけようとしているのだ。


 もちろん〝竜王〟の放った魔法の数々に比べれば大したことはない。

 魔術師なら余裕で耐えられる。

 が、問題はここが大図書館だということだ。

 大祭司と魔術師が全力でぶつかれば、この建物は更地になる。


「――〝沈黙(シレンツィオ)〟!!」


 若い女の叫び声とともに、大祭司の右腕から光が消えた。


「なっ!? 阻害魔法……!?」


「いい加減にしてよ、パパ!」


 大祭司の背後から僧侶が駆け寄ってくる。

 その後ろには勇者と盗賊もいた。


「おっ、お前たち……」


「お義父上、どうか落ち着いてください!」


「オレからもお願いします。魔術師の言う通り、天候操作の魔法は完成していないと聞いています。それに、もしも怪しげな儀式が行われたという情報があれば、真っ先に大祭司様のお耳に届くのではありませんか?」


 大祭司はへなへなと座り込んだ。


「それは……そうだ……」


 そして両手で顔を覆った。


「しかし、ならばなぜ大嵐は進路を変えたのだ? 〝聖なる魔導書〟の定めはどうなる? 私は解釈を間違えたのか? 罪深き商人たちに罰を与えぬとは、魔導書は何をお望みなのだ?」


 若者たちは顔を見合わせる。


「そんなの知らないわよ」


「私は、その判断をする立場にありません」


「オレたちは聖職者ではありませんから……。大祭司様のご教示をいただきたいぐらいです」


 勇者がぽつりと言った。


「ただ一つ、僕たちにも言えることがあるとすれば――」


 彼は悔しさに顔を歪めた。


「――僕たちは〝遊び人〟に負けたということです」


 オティウム・ルーデンスが大儲けしたという情報は、とっくに王都まで届いていた。


 彼らもいずれ徴利禁止令の〝穴〟に気づくだろう。

 その穴を現実的には塞げないと理解して、愕然とするはずだ。

 その瞬間の表情を見てやれないのは、少し残念だ。


 ともあれ、俺は勇者たちをまんまと出し抜いたのである。




   ◆


 その晩――。


 俺とアルパヌは屋根裏部屋で、金貨の山と対峙していた。

 資産の大半は〝林檎家〟の倉庫に保管しているが、まだ数え終わっていないカネが残っていた。

 一枚ずつ天秤にかけて、贋金でないことを確認していく。


 ゴールド金貨を見つめながら、アルパヌは言った。


「ねえ、ご主人。なぜお隠しになったんです?」


「隠す? 誰に何を?」


「マリア様との会話、ボクにも聞こえていたんですよ」


 どうやら魔族とのハーフは、基本的な身体機能が人間よりも高いらしい。

 耳まで良いとは。


「〝大市〟の期間中、ご主人はそのベッドで寝込んでおられました。長机に陣取って、両替でお金を稼いだのはボクです。女奴隷が相手では、誰もまともに取引しようなどとしませんからね。ボクは幻術でご主人の姿になる必要がありました」


「お前に読み書きを教えておいて正解だった」


「ではなぜ、そのことをマリア様にまでお隠しする必要が?」


「教えても一ゴールドの得にもならないからだ。儲けはしばしば〝情報の非対称性〟から生まれる」


「なんですか、それ?」


「相手の知らないことを知っていれば、それだけ有利な取引をしやすくなる……ってことだ」


 本物であることを確認した金貨を、俺は革袋に投げ込む。


 ちゃりんと涼しい音がした。


「それからもう一つ。ご主人は、なぜ死ななかったのです?」


「何の話だ?」


「〝豪運〟の力には代償が伴うと聞きました。大嵐を遠ざけるという大それたことをしながら、なぜベッドで寝込む程度で済んだのですか?」

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