〝長机の男〟


 結論から書こう。


〝秋の大市〟は無事に開催された。


 だが、そこにアルパヌの姿は無かった。


 大嵐は、十中八九、林檎半島を直撃するはずだった。

 しかし林檎半島の人々は、残りの一〜二の可能性を引き当てた。

 大嵐は、進路を変えたのである。


〝秋の大市〟の一週間前には、海は元通りの青さを取り戻していた。

 大気は不安定で、空には巨大な綿菓子のような雲がいくつも浮かんでおり、時々、激しい雨を降らせた。

 それでも、重たい雨雲はどこか遠くに流れていった。


 前回の〝大市〟に比べれば、初日に集まった商人の数は少なかった。


 それでも日に日に、港に着岸する貿易船の数は増え、広場はテントや屋台で埋め尽くされていった。

〝大市〟が始まって一週間が経つ頃には、〝春〟と同じくらいの盛況さを取り戻していた。


 そして広場の片隅には、この俺――かつてアルレッキーノと名乗り、現在ではオティウム・ルーデンスと呼ばれている〝遊び人〟――の姿があった。


 石灰商人のテントと鋳物商人の屋台に挟まれて、一台の長机(バンコ)が設置されていた。

 机の上には天秤と、見本の金貨・銀貨が数枚と、インク壺に羽ペン。

 そして大量の羊皮紙が準備されていた。

 その机に陣取って、ルーデンスと呼ばれる男は自らの商売に没頭した。


 まとまったカネを手にした商人たちは返済のために長机に駆け付け、そして新たにカネを借りていく。

 この〝大市〟で取引されるありとあらゆる金貨・銀貨・魔石・紙幣を、俺は扱った。

 無利子で貸して、回収して、とっておきの〝策〟で儲けを出し続けた。


 以前からこの港町に出入りしていた商人なら気づいたかもしれない。


 ルーデンスの隣には、いつも彼の引き連れている女奴隷がいなかった。

 魔族とのハーフの娘の姿が、彼の隣から消えていた。




 かくして、俺の予言は現実になった。


〝秋の大市〟が終わるまでに、誰よりも儲けたのはこの俺だったのだ。




 通りがかった人々のなかには、不思議そうに俺のことを見る者もいた。

 従者や人足、メイドのような商業に明るくない者の目には、俺の姿は奇異に映ったことだろう。

 机の上に商品らしい商品を一つも並べていないにもかかわらず、俺が羽振り良さそうにしていたからだ。

 羊皮紙にペンを走らせるだけで、莫大な富を生み出していたからだ。


 きっと、どこかの国の言葉の訛りが加わったのだろう。


〝大市〟に集まった人々は、俺のことをこう呼ぶようになった。


「長机(バンク)の男」と。




   ◆


 しかめっ面で帳簿を睨みながら、ルクレツィアは言った。


「……五、六、七。キン紙幣を詰めた木箱は以上だな?」


「ご対応に感謝いたします」


 俺は慇懃に頭を下げる。


 俺たちの周囲で忙しく働く衛兵たちの鎧が、かちゃかちゃと心地いい音を立てていた。


 俺たちは〝林檎家〟の城の裏庭、古い武器庫が並んでいる場所にいた。

 半地下の倉庫に繋がる鉄の扉が、五つも六つも並んでいる。

 火矢をかけられても燃え落ちないよう、地面に埋められた倉庫の上には、こんもりと土が盛られていた。


 かつて〝王国〟の戦乱期には、この倉庫のすべてにたっぷりと武器防具が詰め込まれていたという。

 今では、武器庫として使われている倉庫は二つにまで減り、残りは空いていた。

 そのうちの一つを、俺のカネを保管する金庫として貸してもらったのだ。


 小さな蝶や羽虫が、俺たちの周りを舞っていた。


 盛り土の上には、秋の草花が咲き乱れていた。


「――お金は揃ったかしら?」


 声の方を向くと、マリアが歩み寄ってくるところだった。


「ええ、本日の分は。あとは異国の貴人たちが回収に来るたびに、少しずつ渡していてけばいい。ご迷惑をおかけし大変恐縮です」


「林檎半島の商業振興のためですもの。手間ではないわ」


「マリア様! 施錠を終えれば、本日の作業は完了です!!」


 ルクレツィアが、剣の切っ先を地面に向けたまま胸の前に掲げる。

 この地域の敬礼だ。


「よろしい」とマリアは微笑む。「それでは引き続き、作業に励むように。私はご客人を城の門までお見送りするわ」




 石畳の通路を歩きながら、マリアが言った。


「どんな手品を使ったの?」


「手品と申しますと?」


 俺はおどけて返事をする。


「あなたが林檎半島の商人たちにお金を貸し付けている間、私が何もしなかったと思う? この城に出入りしている商人の中には、あなたと契約を結んだ人も珍しくなかった。私が少しの心付けを渡すだけで、喜んで契約書面を見せてくれる人もいた」


「文面に、何か問題がありましたか?」


「逆よ」マリアは立ち止まる。「契約書の文面は、一見すると何の問題もなかった。利子を取らないことが明記されている上に、魔道教会への祈りまで捧げられている。あの契約書がある以上、教会は異端審問にかけたくてもできないでしょうね」


「俺も地獄には落ちたくないですからね」


「心にもないことを。……私が種明かしして欲しい手品は二つあるわ。一つは、利子も取らずにどうやって儲けを出したのか」


「俺はみなさんへの恩返しのために、無償奉仕したのですよ」


「あくまでもとぼけるつもりね?」


 俺は答えず、穏やかに微笑むだけだった。


「いいでしょう。ならば、私の推理を話すわ」


「お聞きしましょう」

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