老人たち
魔道教会の教えでは、一夫多妻を固く禁じている。
正妻以外の女の肌に触ることは禁忌だ。
にもかかわらず国王は後宮を持ち、多数の側室や侍女を集めて、その多くを妊娠させている。
国王は健康上の理由から回復魔法をかけ続ける必要があり、女と交わることは魔法の儀式の一環なのだと、王室側は主張した。
そして、教会側はそれを批判するどころかお墨付きを与えた。
国王は聖なる魔道書より王権を授けられており、その治世を続けるためであれば、後宮を持つことも正統な教義と矛盾しない、というのだ。
俺に言わせれば、王室と魔道教会はどちらもデタラメを並べている。
王宮に出入りする大臣たちにとっても、魔道教会の聖職者たちにとっても、国王に後宮を持たせたほうが都合が良かっただけだ。
この色情狂のジジイは、女さえあてがっておけば満足する。
政治の細かな判断には口を挟まず、どんな書状にもサインをする。
国王は侍女の胸の谷間から顔を上げた。そして再び、勇者たちに目を向ける。
「ならば、なぜ来た? 朕が多忙であることを知らぬわけではあるまい?」
「ですから、僕たちは竜王を――」
国王はカッと目を見開き、出し抜けに叫んだ。
「竜ぅぅぅぅぅ王ぉぉぉぉぉおお!!」
眼窩から目玉が飛び出すのではないかと周囲が不安を覚えるほどだった。
恐怖にガタガタと震えながら、国王は続けた。
「覚えておる! 覚えておるぞ!! あれは百年前、朕はまだ物心がついたばかりじゃった! かの忌まわしき竜王は〝虚(うつろ)の儀式〟を行い、人間の姿を捨てて黒龍となった。地の底から無数の魔物を呼び覚まし、海を血で染め、陸には猛毒の雨を降らせた! 男も女も老いも若きも区別なく凌辱され、生きたまま魔物の餌となったのじゃ!!」
その瞬間、国王の目は謁見の間ではなく、百年前の記憶を見ていた。
赤ん坊のように侍女の腕に抱かれながら、魂は五歳ほどの子供に戻っていた。
「ああ、ちちうえ。おそろしゅうございます! お空が、海の向こうのお空が、まるで血のように赤く染まっています。どうか、ちちうえ! お守りください――」
次の瞬間、国王の魂は大人に戻る。
勇者たちは呆気に取られて、国王の演説を眺めていた。
「――我らは竜王を許してはならぬ! やつの身に血が通ってる限り、この地上には災禍が撒き散らされる! やつの肺が呼吸を続ける限り、この大気は腐り続ける! 必ずや、やつの首を討ち取らねばならぬ! その肢体を八つ裂きにし、傷口という傷口に糞尿をすり込み、考えうる限りもっとも侮蔑的な方法で辱めねばならぬ!!」
そこまで一息に叫ぶと、国王はゼーハーと激しく息をした。
くちびるのふちから飛んだ唾の泡を、周囲の侍女たちが丁寧に拭いてやる。
勇者は老人を安心させるように微笑んだ。
「ですから、その竜王はもういません。僕たちが倒したのです」
国王は片手で顔を覆った。
その指先は、老いのためか、それとも感動のためか、ぶるぶると震えていた。
「おお、おお……。そうか、話には聞いておった。お主らが竜王を倒したという五人か――」
そして謁見の間を眺めて、不思議そうに呟いた。
「……そうじゃ、五人じゃ」
国王は首をかしげる。
「竜王討伐に成功したのは五人のパーティじゃったと、朕は報告を受けておる」
勇者たちにとって、国王の反応は想定内だった。
勇者は盗賊に目配せした。
盗賊は軽くうなずいて、口を開いた。
「いいえ、四人です。恐れながら、国王陛下はお忙しいご公務のせいで記憶違いを起こしておられるのでしょう」
こういう場面で嘘を突き通すだけの度胸と機転を持っているのは、四人の中で盗賊だけだった。
「しかし、朕は――」
「四人です。オレたちは最初から四人で旅立ち、四人で竜王の首を討ち取って参りました。冒険の最中にもずっと、そうご報告していたではありませんか。賢帝と名高い国王陛下であれば、すぐに思い出せるかと存じますが……」
「えっと、ええっと……」
不安を押し殺すように、国王は侍女の乳房を揉みしだいた。
枯れ枝のような指が、真っ白な絹布に食い込む。
侍女は痛みに軽く顔をしかめたが、何も文句を言わなかった。
やがて国王は安心したのか、にっこりと笑った。
「そ、そうじゃったのう。四人じゃ! お主らは最初から四人じゃった!!」
まるでミイラが笑っているかのような光景だった。
◆
アルレッキーノ――つまり、この俺――を捕らえることができなかったという連絡は、その日のうちに王都まで届いた。
大祭司は声を荒らげた。
「見つからなかっただとっ!?」
聖人たち石像が見下ろす講堂で、大祭司――僧侶の父親である男――は、怒りに体をわななかせていた。
彼の手元では、透視術(クレアボヤンス)の水晶玉がろうそくのゆらめきを反射している。
王都には二つの巨大建築がある。
一つは国王の宮殿、もう一つは魔道教会の大聖堂だ。
七人の大祭司にはそれぞれ、一人一棟ずつの講堂が割り当てられている。
『ええ、いかにも怪しげな男は見つけたのですが――』
水晶玉の向こう側で冷や汗を拭っているのは、林檎半島の教会の下級祭司だった。
ルクレツィアの狙いに俺が気付いたのは、彼女がこの下級祭司と会話している姿を目撃したからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます