「遊び人のくせに。」


 アルパヌはグラスを床に置くと、立ち上がって一歩、俺に詰め寄った。


「ご主人は、竜王を倒したパーティの一員だったのですね? ボクが見た〝勇者〟は、本物の勇者様だったのですね? 彼らはご主人を邪魔者扱いしていた――。だから偉い人に嘘をついて、ご主人を詐欺師として告発した。……違いますか?」


 アルパヌは時々、驚くほどの察しの良さを見せる。この時もそうだった。


 絞り出すように俺は答えた。


「おそらく、その通りだ」


 目を潤ませながら、アルパヌは言う。


「竜王を倒した英雄だということを、どうして今まで隠していたんですか?」


「俺は隠してなどいない。お前が信じなかっただけだろ?」


「そりゃあ、信じなかったボクも悪いですけど――。なぜもっと頑張って説得しなかったんですか? トカゲ一匹をドラゴン百万匹だと思わせるご主人の舌ならば、ボクに信じさせることくらい朝飯前だったはずでしょう?」


「なぜ俺が頑張らなくちゃなんねーんだ」


 努力。俺の一番嫌いな言葉だ。


「なぜならボクは、ご主人の奴隷だからです! ご主人のことは何でも知っておかなければなりません!!」


「お前こそ、なぜ俺にそんなにこだわる? 俺は一文なしの根無草。いまや指名手配犯でもある。まともな奴隷なら、もっといい主人の元に行きたいと考えるはずだ」


「ご主人は、バカです!!」


「……は? バカ?」


「そうです、大バカ者です! 本当に分からないんですか? なぜボクが幻術を使ったのか。なぜご主人をお守りしようとしたのか。なぜご主人のことを知りたいのか――」


 アルパヌは叫んだ。


「『楽しいから』に決まっているじゃないですか!! それ以上の理由が必要ですか!?」


「だけど俺は――。お前のことを道具扱いして、ひまし油を飲ませるような主人だぞ?」


「ええまあ、ひまし油はもう二度と飲ませないで欲しいですけれども……」


 味を思い出したのか、アルパヌは顔をしかめた。


「それでも! ご主人はボクに綺麗なドレスを着させてくれました。お腹いっぱいご飯を食べさせてくれました。色々な商人さんとの知恵比べや、ルクレツィア様との追いかけっこを見せてくれました。ボクはご主人といると楽しいんです。ボクの短い人生の中で、ご主人と過ごしたこの二週間は一番楽しかったんです!!」


 アルパヌはベッド脇から剣を取り上げると、俺に差し出した。


「第一、ご主人はボクのことを道具扱いなどしていません。出会った当初ならともかく、今のご主人は、ボクのことをただの道具だとは考えていません」


「勝手に決めつけるな。俺にとっては、他人はすべて道具だ。お前だけじゃない。勇者たちも、林檎半島で出会った人々も――。すベて、目的を達成するための手段でしかない」


 働かずに生きていくという目的の。


「でしたら、この剣をお取りになればいい。そして、ボクを刺せばいい。そうすればご主人の弱みを握る者はいなくなり、強請られる心配もなくなりますよ」


「……」


 俺は、剣を握ることができなかった。


「ご主人は、バカです……」


 アルパヌは繰り返した。


「ボクの『楽しい』という気持ちが分からないんですか? 他人の『楽しい』という気持ちが? 〝遊び人〟のくせに」


 返す言葉を見つけられなかった。


 相手から目を逸らして、うめくように俺は言う。


「だけど、それでも……。俺は、お前の要求が知りたい。さもないと安心できないからだ。何の見返りも求めずに他人を守るなんて、俺には理解しがたい。何かが欲しくて、お前は幻術を使ったんだろう? 何が欲しいのか、俺に言ってくれ……」


「ボクに欲しいものがあるとすれば、ご主人のお役に立ちたいということだけです」


「そんな抽象的な答えじゃ取引にならない。もっと具体的なものを要求してくれ」


「でしたら、ご主人――」


 床に、二つの水滴が落ちて跳ねた。


 ハッとして顔を上げると、アルパヌの両頬は涙に濡れていた。


 それでも彼女は、無理やり微笑んで見せた。


「――ボクに、読み書きを教えてください」


 俺は手を伸ばし、その涙を拭ってやる。


「いいだろう。……だけど、俺は床屋ほど愚かじゃないぞ?」


「ボクだって、ロバ耳の王様ほど強欲じゃないですよ」


 階下からひときわ大きな笑い声が上がり、リュートの楽しげな音色が流れ始めた。


 あの音楽とともに、俺の貸したカネも順調に増えていくことだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る