俺氏、絶体絶命(みからでたさび)
ここから先は頭を切り替えた方がいい。
剣のつかを見られたら、どう言いつくろっても、俺がアルレッキーノだという疑いを晴らすことはできない。
俺が詐欺師として身柄を拘束されれば、〝踊る翼獅子亭〟のエミリアーノ・ボッテは喜ぶはずだ。
カネを返さなくても済むからだ。
一方、林檎半島の領主マリア・グランデ=メーレは、嬉々として担保のアルパヌを引き取るはずだ。
そして俺は無一文に逆戻りし、地下牢に鎖で繋がれるというわけだ。
さて、どうやってその状況から這い上がるべきか――。
「むむっ! これは一体どういうことだ?」
ルクレツィアはつぶやいた。
「はい?」
恐る恐る、俺は目を開ける。
「なんというか、これは――」とルクレツィア。「大変な失礼をしてしまったかも知れぬ。お前の言う通り、私の思い違いだったようだ」
脱獄の方法を考えていたから、状況を理解するのに少しだけ時間がかかった。
ルクレツィアの手からわずかに力が緩み、俺は手首に血の気が通う感覚を覚えた。
俺は、自分の剣を見た。
剣のつかには菖蒲家の紋章などなく、つるりとした表面が周囲の人々の困惑顔を映していた。
初めから紋章など入っていなかったかのように、無銘の剣に姿を変えていた。
何が起きたのかを理解して、俺は大きく息を吸った。
「いいえ! 失礼だなんてとんでもありません。ルクレツィア様は騎士団長という責任あるお立場です。仕事に熱心であられることは、誇りさえすれ、恥ずべきことではございません。ましてや、今のあなたがお探しになっていたのはコソ泥の卑劣漢。罪を白状させるためなら、厳しい態度になるのも当然でございましょう!!」
ルクレツィアは俺の手首を解放すると、腕を組んで考え込んだ。
「ううむ、私としたことが……。たしかにあの日、菖蒲家の紋章が入った剣を目撃した気がするのだ。私の記憶では、お前が装備していたはずなのだが――」
「あの日はマリア様が昼食会を開いていました。たくさんの来訪者がルクレツィア様の前を通り過ぎたはず。きっと、そのうちの誰かの姿と記憶が混ざってしまったのですよ。よくあることではありませんか」
「しかし、やましいことがないのになぜ逃げたのだ?」
「ですから申し上げたじゃないですか、ルクレツィア様が追いかけてきたからです!」
「まるで野ウサギではないか……」
「ルクレツィア様のお姿が、狩りをする獅子のごとく凛々しかったものですから」
俺は思いつく限りのおべんちゃらを並べ立てた。
ルクレツィアは羞恥に頬を染めつつ、居心地の悪そうな表情をした。
「と、ともあれ……。私の勇み足だった。非礼を詫びたい」
「お詫びなど要りませんよ。そもそも俺は怒っていないのですから」
「そうはいかん! お前はマリア様とも取引のある商人だ。こんなつまらぬことで、貸し借りを作りたくない」
「でしたら――」と、俺は店の棚を指差した。「〝王家の赤薔薇〟を俺に買ってくださいませんか?」
「なるほどチーズか。たしかにそれを買えば、店内で騒ぎを起こしてしまったことに対する、そちらのトーポ殿へのお詫びにもなるな」
「いえいえ、お詫びなどとんでもない!」
トーポは口ではそう言いつつ、お盆とトングを手に取った。
ちゃっかりしている。
「いやぁ〜。たんまり儲けさせてもらいましたわ!」
陽気な声とともに店のドアが開いた。
「おや? あたしのおらん間にえらい賑わってはりますな?」
猫族の商人セルヴァティコ・ガットーが尻尾をピンと立てて入ってきた。
上機嫌である証拠だ。
手首をさすりつつ、俺は答える。
「今ちょうど、〝王家の赤薔薇〟の最後の一個が売れたところですよ。首尾はいかがでしたか?」
「そらもう、ばっちしや! 〝やんごとなきお方〟はニッコニコで帰路につかれたで」
本当に大急ぎで売ってきたらしい。
「借りたお金も耳揃えてお返しします」
「いい取引ができましたね、お互いに」
ガットーは満足げに微笑んだ。俺も笑顔を返す。
ふと見れば、アルパヌもニコニコと笑っていた。
けれど、今の俺にはそれが取り繕うような笑顔に見えた。
彼女はハーフサキュバスであり、男の目を曇らせるような演技ができる。
俺の胸には、アルパヌに対する疑念が渦巻いていた。
出会ってから二週間、俺は初めて彼女のことを怖いと感じた。
――彼女はなぜ、こんなことをしたのだろう?
チーズの包装を終えて、トーポが言った。
「では失礼ながら、お代を頂戴しても?」
「もちろんだ」とルクレツィアは財布を出す。「いくらだ?」
「一二〇〇ゴールドでございます」
「高ぁ!?」
世間知らずな騎士団長は叫んだ。
◆
その日の夜――。
俺は屋根裏部屋で一人、考えに耽っていた。
ベッドの上で膝を抱えて、階下の物音に耳を澄ませる。
大市が始まってからというもの、〝踊る翼獅子亭〟は連日満員だ。
一階の酒場からは酔っぱらいたちの笑い声が聞こえてくる。
予定通り、ボッテのエールは普段の倍の値段で売れている。
臨時の給仕を二人も雇うほどの賑わいぶりだ。
俺も彼らのように気楽に笑うことができればどれほど良かったか。
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