いくら「騎士」でも小娘だろ?
ルクレツィアは恥ずかしそうに、おずおずと手を伸ばす。
俺は彼女の手を優しく掴んだ。
あとは手のひらに口づけの一つでもすれば、間違いなく陥落だ。
経験の浅い十代の娘を落とすことぐらい〝遊び人〟たる俺にとっては朝飯前で――。
「あだだだだだ!!」
「ええい! こっちがウブな女だからってバカにしおってぇ!!」
伸ばした手をルクレツィアに捻り上げられた。
一見すると細くしなやかなこの腕のどこに、これほどの力が隠されているのだろう。
万力のような握力で、俺の手首がギシギシと悲鳴をあげる。
骨を砕かれそうだ。
顔を真っ赤に染めたまま、ルクレツィアは続けた。
「それ以上、き、き、綺麗だとか、そ、そういう不埒なセリフを吐いてみろ! 二度と喋れんように、お前の喉笛を切り飛ばしてくれる!!」
「ああっ、それは困ります騎士団長様!」とトーポが叫ぶ。「並んだチーズに人間の血がかかったら売り物になりません!」
俺もトーポに便乗した。
「そ、そうですよ、ルクレツィア様! どうかここは穏便に――」
「店内ではどうか刃物をお納めください。店の外でしたら、舌を引き抜こうが腹をかっ捌こうが好きにしていただいて構いませんが……」
「ちょっとトーポさん!? 俺は構いますよ!!」
「ご主人を殺さないでくださーーーい!!」
と、アルパヌが飛びついてきた。
「アルパヌ!! お前は俺の身を案じてくれるんだな!?」
「ボクはまだご主人の〝精〟を味わっていません!!」
「そっち!?」
「あと、〝クラーケンの卵〟も食べさせてもらってません!!」
「俺の存在意義!!」
ルクレツィアは、ふんっと鼻を鳴らす。
顔から赤みが引き始めていた。
「ともあれ、私はこの領地の治安を守る者として、お前の身柄を取り押さえねばならん」
「ですから、何かの間違いですって! きっと他人の空似ですよ!」
「間違いなどであるものか」
「でも確たる証拠はないんでしょう? その似顔絵では役に立たないと、あなたもおっしゃったじゃないですか!!」
「たしかに、この似顔絵と背格好の情報だけなら、私はお前を疑わなかった。しかし――」
ルクレツィアは笑った。
「この書状によれば、〝遊び人〟は菖蒲家の紋章が入った剣を持ち歩いているらしい」
「!!」
「先日お前が城に来たとき、私ははっきりとこの目で見たのだ! お前の剣のつかに刻まれた菖蒲の紋章を!!」
「えっと、えーっと……それは、その……」
この状況をどうすれば切り抜けられるか、俺の脳は高速で回転していた。
何よりもまず、この店に長居しすぎたことが失敗だった。
さっさと宿に戻って必要な荷物をまとめ、酒場を巡って何が起きているのか情報収集するべきだった。
しかし、起きてしまったことを後悔しても意味がない。
解決すべき問題は、片手をルクレツィアに捻り上げられているという、目の前の状況だ。
彼女は空いたほうの手で、俺の上着をめくろうとしている。
剣のつかを確認されたが最後、言い逃れの余地はなくなる。
俺がかつて〝アルレッキーノ〟を名乗っていた男だとバレてしまう。
俺は〝遊び人〟だ。
大した能力は持っていないし、この状況下で取れる選択肢は少ない。
初手でルクレツィアを口説き落とす作戦に出たが、むしろ状況を悪化させてしまった。
純粋な戦闘力ではおそらく彼女に敵わない。
何より、抵抗すれば自分の罪状を認めたようなものだ。
(ついでにトーポにも迷惑をかける)
だとすれば、できることはあと一つ。
〝豪運〟の力を使うことだけだ。
「待ってください、騎士団長! 俺の話を聞いて――」
「もはや訊くことなどない!!」
俺には〝豪運〟がある。
副作用が強いから滅多に使わないが、強く念じれば幸運を引き寄せることができる。
しかし、何を念じればいい?
俺の力は『現実的に充分に起こりうる偶然』しか起こせない。
たとえばサイコロの狙った目を出すとか、トランプの引きたいカードを引くとかだ。
ここから急に転移術(テレポート)する、なんてことはできない。
いきなり俺が魔術に目覚めて、透明化(インビジブル)の術を使えるようになる、なんてのも無理だ。
子供の頃に魔術の才能に目覚めなかった者は、死ぬまで魔術は使えない。
ついでに言えば、『起こりにくい偶然』を起こすほど、その代償も大きくなる。
コイン投げで好きな面を出すだけなら、半日も寝ていれば体力が回復する。
しかしサイコロの好きな目を出せば二日間は寝込むし、トランプで狙った一枚を引こうとすれば十日間ほどベッドから起き上がれなくなる。
能力の副作用は〝起こりにくさ〟に比例するのだ。
「観念するんだな」
ルクレツィアの手が、俺の上着に触れた。
たとえば、ここで偶然にも衣服の縫い糸が突然ほどけて彼女が裸になってしまったら――。
絶対に起こりえないとは言い切れないし、もしもそうなれば羞恥心から彼女は俺の手首を放してくれるだろう。
だが、起きる可能性は極端に低い。
したがって、〝豪運〟でそれを実現した場合の代償は凄まじいものになるはずだ。
命を失うだけで済めば、まだマシだろう。
ルクレツィアの手が、ついに上着の裾を捲った。
――もはや、ここまでか。
俺は目を閉じる。
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