目の前に「儲け話」があれば見逃せないよね!
俺は一歩進み、棚の向こうを覗き込んだ。
「何やらお困りのようですね?」
俺が声をかけると、店員と客は揃ってこちらに目を向けた。
鼠人族の店主と猫族の客がカウンターを挟んで話し合っていた。
「失礼。少々取り込み中でしてね」
そう応えたのは、鼠人族の店主だ。
鼠人族は小柄な種族で、人間でいえば十歳の子供と同じくらいの背丈にしかならない。
その名の通り、首から上は鼠にそっくりだ。
艶やかな灰色の毛並みには見覚えがあった。
「こちらにお店を出していらしたんですね、トーポさん。せっかくご挨拶したのに足を運ぶのが遅くなり申し訳ない」
「あなたはたしか……。ルーデンスさんとおっしゃいましたかな?」
アヴィード・トーポはこの町で一番のチーズ商だ。
商工ギルドでの発言力も強い。
酒はさほど好きではないらしいが、しばしば社交のために〝踊る翼獅子亭〟に飲みにくる。
トーポが扱うような高級チーズは、栄養価も薬効も高く、大抵は教会や修道院で生産されている。
棚に並んだチーズの種類と数は、彼のコネクションの広さの証だ。
「お見苦しいところをお見せしてしまったかもしれませんな」とトーポ。「少しばかり無茶な値切り交渉を受けていまして」
「値切り交渉ちゃいますわ! ちゃんとお代は払うゆうとるやないですか!!」
そう叫んだのは猫族の商人だ。
文字通り、猫のような頭部を持つ種族である。
背丈は人間とほとんど変わらない。
言葉の訛りを聞くかぎり、おそらく〝公国〟の出身だろう。
衣服はいずれも一級品で、キジトラのベルベットのような毛並みにも手入れが行きとどいている。
夜中に路地裏を歩かないほうがいい身なりだな、と思った。
見るからに金持ちだ。
「あたしはただ、そこにある〝王家の赤薔薇〟を六個、譲っていただきたいだけですわ」
「ですから、即金でなければお譲りできないと申し上げているでしょう?」
いつの間にか、俺の後ろにアルパヌが立っていた。
「ご主人〜? 〝王家の赤薔薇〟って何ですか〜?」
「俺も初めて聞くが……。チーズの銘柄ですよね?」
「さよう」とトーポ。「定期的に赤ワインを塗りながら熟成させる、いわゆる〝ウォッシュチーズ〟の一種です。ほら、ご覧なさい。塗りつけた赤ワインの跡が染みになって、まるで薔薇の花のような模様になっているでしょう?」
鼠人族のチーズ商は、棚の一角を指差した。
一段につき三個ずつ並んだ薄紅色のチーズが二段、計六個陳列されている。
たしかに彼のいう通り、円盤状のチーズの上面には、薔薇の花を思わせる波紋が浮かび上がっていた。
「香りは強烈ですが、味はまろやかで舌の上でとろけますよ。いかがですかな? お一つ一二〇〇ゴールドでご提供しております」
「高ぁ!」と叫んだのはアルパヌだ。「たかがチーズで、そんなのぼったくりですよう!!」
「こらアルパヌ! 滅多なことを言うもんじゃない」
「でもでも! 〝踊る翼獅子亭〟の一番いい部屋でも、一ヶ月に三〇〇〇ゴールドですよ? その半分に迫る金額じゃないですか! 一二〇〇ゴールドあればご主人のお好きなエールが一五〇杯も飲めるんですよ!?」
「だから言っただろ、この店のチーズはどれも一個で俺たちの食費より高いって」
猫族の商人が口を挟む。
「ですからね、〝王家の赤薔薇〟をあるだけ全部頂戴するわけにはいかんでしょうか? この通りですわ! お代は後ほど必ず支払います」
「しかし持ち合わせが五〇〇〇ゴールドしかないのでしょう? 失礼ながら、話になりませんな」
王家の赤薔薇は一個一二〇〇ゴールド、六個で七二〇〇ゴールドの計算だ。
ところが、この猫族の商人は五〇〇〇ゴールドしか持っていないらしい。
「ほなら、五つでどうでっしゃろ? どうかお譲りください!」
「簡単な算数ができないわけではないでしょう? 五個で六〇〇〇ゴールド、あなたが今お持ちの五〇〇〇ゴールドでは足りません」
「馬鹿の一つ覚えみたいに同じこと言わさんといてください。足りひん一〇〇〇ゴールドは必ず、本日中に必ずお支払いしますよってに」
猫族の必死の訴えも虚しく、トーポは無言で首を横に振るだけだった。
「ていうか待ってください」と俺は口を挟んだ。「なぜ〝王家の赤薔薇〟をそんなに欲しがっているんです? 高級なチーズだ。ご自宅で消費するってわけじゃないでしょう?」
(ねえねえ、ご主人)と、アルパヌが俺の袖を引っ張る。(こんなところで油を売っていていいんですか? ボクたちはルクレツィアさんたちに追われているんですよ?)
俺も彼女に耳打ちする。
(見るからに『儲け話』が転がっているじゃんか。無視して逃げろってのか?)
(捕まったら元も子もないんじゃありませんか? なぜ追われているのかは知りませんけど)
(勝利のためには、ときにはリスクを取ることも大切だ。ゲームも商売も同じだ)
(ご主人がそうおっしゃるなら、まあ、ボクはご判断を信じますけど……)
アルパヌは不安げな表情を浮かべている。
一方、猫族の商人は何かを決意したかのように深々と息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます