商売って一筋縄ではいかないんです


 俺は舌打ちを一つして、アルパヌの手首を掴んだ。


「待て!! どこに行く!?」


 ルクレツィアがなおも叫ぶ。

 俺は無視して、人混みの中に飛び込んだ。


「えっ? ご主人!? どうしたんです!? 〝クラーケンの卵〟はあっちですよぅ!!」


 アルパヌの腕をぐいぐいと引っ張りながら、テントや屋台の間をジグザグに駆け抜ける。

 ぶつかりそうになった人々が「わあ」とか「きゃあ」と声を上げるが、構わずに俺は突き進んだ。


 売り物の鶏の籠を蹴り飛ばしてしまい、数羽が逃げ出す。


「何しやがんだー!!」


 店番をしていた男が、俺の背後で拳を振り上げる。


「そこをどけ!!」


 ルクレツィアと衛兵たちが、同じ場所を通り抜ける。

 店番の男は突き飛ばされて、尻餅をつく。


「な、何しやがんだーーー!!」


 俺も、ルクレツィアも、振り返らずに走り続けた。

 広場に混乱が広がりつつあった。


「ご主人!? どうして逃げるんですか!?」


 俺の隣を走りつつ、アルパヌが訊く。


「話せば長い! 今はあいつらを巻くことだけを考えろ!!」


 背後からルクレツィアが叫ぶ。


「――なぜ逃げる!?」


「ほらご主人! ルクレツィアさんも同じことを訊いてますよ?」


 俺は振り返り、肩越しに叫んだ。


「あなた方が追いかけてくるからでしょう!? ていうか、そちらこそなぜ俺を追うのです!?」


「お前が逃げるからだ! ――覚悟ッ!!」


 次の瞬間、ルクレツィアは宙を舞った。


 俺は目を疑った。

 彼女は重量級のプレートメイルとロングソードを装備していながら、二階建ての建物と同じくらいの高さまで、ひらりと跳び上がったのだ。

 頭上に剣を高々と構えて、そのまま俺の方に落下してくる。


「――っと、危ねぇ!?」


 反射的にアルパヌを抱きかかえ、俺は横っ飛びに攻撃を避ける。


 ボワッ!!


 着地の瞬間、小さな子供なら吹き飛ばされそうなほどの風が周囲に広がった。

 まるで空気の壁が押し寄せてきたかのだ。

 籠や布切れ、軽い商品が、土埃とともに舞い上げられる。


「くそっ! 峰打ちを避けられたか……」


「いやいや、そんなの峰打ちでも死んじゃいますよ!?」


 再び駆け出しつつ、俺は思わずツッコミを入れる。


 いわゆる〝お姫様抱っこ〟の姿勢で、アルパヌを胸に抱いていた。

 こいつに〝精〟を分け与えなくて良かった。

 元気のみなぎった状態でなければ、ルクレツィアの猛攻を避けることはできなかっただろう。


 角を曲がると、絨毯商たちが店を出しているエリアだった。


 ――しめた!


 並んだ屋台やテントには、それぞれ売り物の絨毯が所狭しと吊り下げられている。

 分厚いカーテンが何重(いくえ)にも下げられているようなものだ。

 どの絨毯にも、草花をモチーフにした緻密な模様が織り込まれていた。


 俺は目についたテントの一つに飛び込んだ。


「ちょっとお客さん? 一体何の用だ――!?」


 驚いて立ち上がる商人たちを尻目に、俺は絨毯をめくって裏に隠れる。

 そこにはさらに、絨毯のカーテンが続いていた。

 ――これなら、行ける!

 俺がさらに絨毯をめくると、テントの裏に出た。

 見渡す限りの、絨毯、絨毯、絨毯――。


「これなら逃げ切れそうですね! 頑張れ、ご主人!!」


「んな人ごとみたいに!?」


「もう少し揺れを減らしていただけると乗り心地がいいのですが」


「自分の足で走りゃあー!!」


 アルパヌをお姫様抱っこしたまま、俺は絨毯の迷宮を駆け抜ける。


 背後からはルクレツィアたちの声がした。


「見失ったか!?」


「いや、どこかにいるはずだ!」


「お待ちください、騎士団長様! その絨毯は売り物でして――」


「探せぇ!!」


 ジグザグに走ったおかげだろう、声はどんどん遠くなっていく。


 気づけば俺たちは、広場の東側の端まで辿り着いていた。


 石造りの建物が並び、どのドアにも商店の屋号が刻まれている。

 一番手近にあったドアの一つに、俺たちは飛び込んだ。


 胡桃材のドアが、俺の背後でバタンと閉じる。


 直後、ドアの外からルクレツィアたちの声が聞こえてきた。


(絶対に逃すな!)

(こっちに行ったはずだ!!)


 鎧や武器の擦れるかちゃかちゃという音と、バタバタという足音が、ドアの外を通り過ぎていく。


 アルパヌを抱き抱えたまま、俺はしばらく耳を澄ませていた。


 やがて、彼らの足音や叫び声は聞こえなくなった。

 俺はホッと胸を撫で下ろす。


 俺の首にしがみついていたアルパヌが、ぽつりと漏らした。


「――ご主人、臭いです」


「なっ!? 失敬な!」


「違いますよう! ご主人じゃなくて、このお店が、です!!」


 言われて、ようやく俺は店内の様子に目を向けた。


「ここは高級チーズ屋だ。顧客は豪商や貴族ばかりで、普段は訪問販売している。店頭販売なんてしないはずだが――」


 こじまんまりとしたパン屋のように、店内には商品を並べる棚がぐるりとしつらえられていた。


 どの棚にも、乳白色や桃色、黄色のチーズの塊が、ぎっしりと並べられている。

 いずれも洗面器くらいの大きさがある、円盤型のチーズの塊だ。

 真っ黒なカビで覆われたものもあった。

 どれも強烈な臭気を放っている。


「〝大市〟の最中には、店頭で買っていく客がいるんだろうな。どのチーズも、ひと塊で俺たちの一ヶ月分の食費よりも高いはずだぞ」


「なるほどー」


「ていうか、そろそろ降りてくれないか?」


「えー? 降りなきゃダメですか?」


「腕が痺れてきた」


「ボクはもう少しご主人の匂いを堪能していたいのですが。とくに首筋のこの辺りがすごく良い匂いでして――ふぎゃ!?」


 俺は両手を放した。




 店の奥で、何やら揉めている声がする。


「何度も言うとるやないですか! お金はきちんとお支払いします」


「でしたら、今ここで払っていただかなければ困ります」


「払えるもんなら払いたいですわ。せやけど、持ち合わせが足りひんのです」


「ならばお売りすることはできません」


「あーもー! 何べん同じやりとりせなあかんの?」


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