お金の価値は


 アルパヌは小さな鼻をひくひくさせる。


「いろいろな匂いが混ざっていますが……。間違いありません、これはゆで卵とアンチョビの匂いです!!」


「俺は何も感じないが……?」


 というか、広場に集まった商品たちの匂いが混ざり、判別不可能だった。

 一番強く感じるのは香辛料の匂いだ。

 ついで、魚介類の匂い。遠くの方から、家畜のふんのにおいも漂ってくる。


「近くに〝クラーケンの卵〟を売っている屋台があるはずです!」


「話を続けるが〝バレイ金貨〟は質が悪い。金の純度が低く、半分以上が錫や銅でできている」


「ボクの話、聞いてました? 屋台ですよ、屋台!」


「よく流通しているのは五〇〇バレイ金貨だが――。一〇〇〇ゴールド金貨が一枚あれば、大抵、五〇〇バレイ金貨が四枚は手に入る」


「えーっと、つまり……。一〇〇〇ゴールドで、二〇〇〇バレイと交換できる……?」


「その通り。一ゴールド=二バレイ、逆に言えば一バレイ=半ゴールドだ」


「ゴールドにクーリットにバレイ……。頭が痛くなってきました」


「最低でもあと二つは覚えないと困る。ほら、あそこの鳥人族を見ろ」


 俺は立ち止まり、生糸を売っているテントを視線で示した。


 テントの前で、首から上がオウムのような亜人種が、人間の生糸商と商談を交わしていた。

 鮮やかな青に染色された一巻きの糸を手に、価格を交渉している。

 話がまとまったようで、彼は飾り羽根をひくひくさせながら、紫色に光る宝石を財布から取り出した。


「はて? 代金を宝石で支払おうとしているようですが……?」


「あれは〝サルディ〟の魔石だ。自由都市同盟の共通通貨だよ」


 大陸の南方には、王国や公国の支配が及ばない都市国家が点在している。

 どの都市も独立国家として存在しているが、安全保障と経済の事情から同盟を組み、通貨と言語を統一したのだ。


「よく見ろ、宝石の中に何かの記号が浮かんでいるだろう? あれは彼らの数字だ。あの魔石なら、一個で二五〇サルディの価値がある。自由都市同盟の造幣所には専門の魔術師がいて、魔石の中に特別な魔法で数字を刻印しているんだ。『サルディ』というのは、元々は『塩』を意味する言葉だったらしい」


「二五〇? ずいぶん中途半端ですね」


「四個でぴったり一〇〇〇サルディになるだろ? ちなみに、一〇〇〇サルディが欲しければ一万ゴールドは必要だ」


「つまり交換レートは、一サルディ=十ゴールド?」


「正解」


 立ち止まって会話している間も、俺は周囲に気を配っていた。

 曲がり角の向こうから、いつルクレツィアが現れるか分からない。


 生糸商の男は、鳥人族の商人に数枚の紙幣を渡した。


「ご主人、あの紙切れは何ですか? 契約書のようには見えませんが……」


「あれは釣り銭だな」


「お釣り? 紙切れなのにお金なんですか!?」


「東方帝国のことを聞いたことは?」


「ええっと、たしか……。東の大砂漠の、さらに向こうにあるという?」


「驚くなかれ、この林檎半島には遠路はるばる東方帝国の商人たちも来ている。彼らは紙のお金――紙幣を使っている。単位は『キン』、あちらでは油の重さを表す単位だそうだ」


「たしかに紙は貴重品ですが……」


 アルパヌはハッとした表情を浮かべ、俺の袖を引っ張った。


「ご主人! これですよ! 紙のお金なら簡単に偽造できます! あのお金の偽物をたくさん作りましょう! そうすれば働かずに生きていけますよ!!」


 俺は肩をすくめる。


「東方帝国には、紙幣を作る専門の呪術師がいるらしい。呪力のこもったインクで文字が刻まれているから、見る人が見れば紙幣の真贋が分かるんだよ。贋金作りはリスクが高い。何よりキン紙幣ではウマ味が少ない」


「ウマ味?」


「キンは価値が低いんだ。たとえばあの商人は今、一枚一〇〇キンの紙幣を釣り銭として渡した。あれを十枚集めても、一ゴールドほどの価値にしかならない」


「一〇〇キン紙幣が十枚ということは……。一〇〇〇キン=一ゴールドですね?」


「もしくは、一キン=千分の一ゴールドだ。東方帝国の商品を手に入れるためにはキンが必要だけど、反面、この地域ではそれ以外のものと交換しにくい。だからキンの紙幣を欲しがる人は少ないし、価値も低くなってしまう」


「そもそも紙ですもんねえ」


 アルパヌはうんうんとうなずく。


「俺たちの王国のゴールド、お隣の公国のバレイ、島嶼連邦のクーリット、自由都市同盟のサルディ、東方帝国のキン。この五種類の貨幣は、覚えておいて損はない」


「ところでご主人! ボクはついに見つけましたよ!!」


「何を?」


「さっきから、この辺りを通りがかる人たちに〝クラーケンの卵〟を食べ歩きしている人が多いと思っていたんです。さもありなん、あそこを見てください! ボクは文字が読めませんが、それでも分かります。あそこの看板には〝クラーケンの卵〟と書いてあるのではありませんか!?」


 アルパヌの指差した先を見て、俺は「ゲッ」と声を漏らした。


「……げ?」


 アルパヌは目をぱちくりさせながら俺を見る。


 彼女の言う通り、看板には『クラーケンの卵』と書かれていた。

 一個十五ゴールドという、ぼったくり価格だ。

 しかし俺が声を漏らしたのは、その値段に驚いたからではない。


 看板の前に、ルクレツィアがいたからだ。

 背後に衛兵を二人引き連れて、店員に何やら聞き込みを行なっている。


 通貨の説明に時間をかけすぎた。

 さっさと広場を出るべきだった――。


 俺が顔を背けようとした瞬間、ルクレツィアがこちらを見た。

 完全に偶然だった。

 彼女は何気なく周囲を見回そうとして、俺と目が合ったのだ。


 ルクレツィアが叫ぶ。


「――見つけたぞ、ルーデンス!!」


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