〝大市〟とクラーケン


 二週間が過ぎ、ついに〝春の大市〟が始まった。


〝踊る翼獅子亭〟の亭主エミリアーノ・ボッテは、以前、大市の期間中は小さな港町が世界の中心のようになると言った。

 彼の言葉は、誇張ではなかった。

 広場には所狭しと屋台やテントが張られ、〝西の海〟の沿岸各国から持ち寄られた商品がずらりと並ぶ。


 色とりどりの絨毯、反物、絹糸に木綿、ガラス細工や工芸品。

 見たこともない魚や獣の干物。

 山盛りになった赤や黄、緑の香辛料。

 樽詰めや瓶詰めで届いたワインや酢、酒精。

 生きたまま連れてこられた豚や羊、鶏の鳴き声――。

 木箱いっぱいの林檎を売っているのは、きっとこの半島の豪農だろう。


 王都の大市場(グラン・バザール)に勝るとも劣らない賑わいぶりだ。


 賑わいは町の隅々にまで広がっていた。

 普段は閑散としている裏通りにまで人が溢れて、商談を戦わせながら歩いている。

 手には串焼き(アロスティチーニ)や氷菓子(ジェラート)。

 ただの漁師の民家でしかない建物にも、看板や垂れ幕が出されて、民宿として宿泊可能だと謳っている。


 集まった人々の種族も様々だ。


 一番多いのは人間で、二番手はダークエルフだ。

 人間は陸運、ダークエルフは海運が得意という違いはあるとはいえ、どちらも商売に聡い種族として知られている。

 さらに猫族、兎耳族、ブラウニー、鳥人族、鼠人族のような亜人たち。

 果てはオークやオーガ、ゴブリンまでいる。

 大抵のゴブリンは言語能力すら怪しい知的能力に劣る種族だが、ごく稀に高い知能を持つ個体が生まれて一族を率いているという。

 人間たちに混じって商魂逞しく交渉しているのは、きっとそういうゴブリンなのだろう。


「聞きましたか、ご主人?〝クラーケンの卵〟という料理が絶品だそうですよ!!」


 人混みをかき分けながら、俺たちは並んで歩いていた。


「なんでも〝大市〟の時期にだけ作られる郷土料理だそうです。クラーケンって卵を産むんですねえ。どうやって収穫するんでしょう? どんな味なんでしょう……?」


 今にもよだれを垂らしそうな顔でアルパヌが言う。


「〝クラーケンの卵〟はあくまでも料理名だ。実際にクラーケンの産んだ卵が使われているわけではないぞ」


「へ?」


 ブラブラと歩きながら俺は説明する。


「ゆで卵を半分に切って、黄身をくり抜く。その黄身を、細かく刻んだタコと香草、アンチョビとあえて、カクテルにする。そのカクテルを元の白身のくり抜いた穴に盛り付けた料理だ。海と陸の食材をふんだんに使うから、貿易の盛んな港町でしか食べられない。キリッと冷やした辛口の白ワインとよく合う」


「ええ〜? 本物のクラーケンの卵じゃ無いんですか? そんなの――」


 アルパヌは目を輝かせた。


「すっごく美味しそうじゃないですか!!」


 彼女の尻尾がぶんぶんと揺れる。


「ご主人! ボク、食べてみたいです!!」


「売ってる屋台を見つけたらな」


「ならば探しましょう! 今すぐ探しましょう! この広場のどこかで絶対に売っているはずです!! あの、すみません! そこの商人の方々、つかぬことをお尋ねしますが――ぴゃあ!?」


 道行く人に声をかけようとするアルパヌを、尻尾を引っ張って黙らせた。


「何するんですかぁ〜、ご主じぃ〜ん……」


「しっ」


 俺の目は広場の一角に釘付けだった。


 石造りの教会の前に、ルクレツィアがいた。

 魔道教会の聖職者と喋っている様子が、人混み越しに見えた。

 雑踏のざわめきに遮られて、何を相談しているのかまでは分からない。


 妙だな、と俺は思った。


 彼女は〝林檎家〟に仕える騎士団長であり、この半島の治安維持の最高責任者だ。

〝大市〟の期間中は異邦人が増えるし、彼女の仕事は忙しくなるだろう。

 とはいえ、最高責任者である彼女が現場の最前線に出てくるのはおかしい。


 騎士団長には、何よりもまず領主を守護するという任務があるのだから。


 会話を終えたルクレツィアが、片手を剣のつかにかけながら広場を見回した。


 何となく嫌な予感がして、俺は頭を低くする。

 彼女に見つけられたらマズい気がする。


「……ご主人?」


「こっちだ」


 アルパヌの手を引いて、俺は広場の反対側に向かった。


 今はまだ予感でしかないが、〝遊び人〟としての俺の本能が言っている。

 ルクレツィアから距離を取った方がいい!


 まるでトランプで遊んでいる時のような気分だ。

 テーブルの上に何の変哲もないカードが並んでいるだけでも、「ちょっと待てよ?」と感じる瞬間がある。

 対戦相手のわずかな仕草、視線、息遣い――。

 遊び人であれば、そういうちょっとした証拠から〝ヤバさ〟を判断できるものだ。


「あのう、ご主人? ボクはクラーケンの卵を――」


「そうだな。売っている店を探そう」


 答えながらも、俺は上の空だった。


 広場の至るところに衛兵が立っている。

〝林檎家〟の紋章が入った槍を手に、人々に目を光らせている。

 俺が突然ここで走り出せば、間違いなく目立つ。

 絶対に怪しまれる。

 あくまでも平静を装いながら、俺たちは屋台の間を歩いていった。

 足元の地面はぬかるんでいた。


 俺に手を引かれながら、アルパヌが言う。


「それにしてもご主人〜」


「なんだ?」


「この広場に集まった人たちは、ボクの見たこともない硬貨を使っています」


「は? 硬貨?」


 意識の外にある話題を振られて、思わず聞き返してしまった。


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