VSボッテ戦①
「――ゴミ捨ては終わりましたかな?」
酒場のドアを開けて、亭主がこちらを見ていた。
「待たせて悪い。すぐ行くよ」
俺はアルパヌに囁く。
(余計なことを言うんじゃないぞ。とくにカネの出どころは絶対秘密だ)
(分かりましたけど……エールを作らずにどう儲けるのです?)
(まあ見てろって)
◆
テーブルの上に並べた金貨を見て、酒場の亭主エミリアーノ・ボッテは押し黙った。
「……ご覧の通り、王立造幣所の刻印が打たれた金貨三百枚だ」
十枚ずつの金貨の山が、五行六列に整列している。
金貨の重さは、二枚で鶏卵一個分ほどしかない。
が、この数が集まると流石に重かった。
城から持ち帰る途中、革袋の縫い目が弾けるのではないかとヒヤヒヤした。
一枚あたりの額面金額は千ゴールドだ。
「これがルーデンス様のおっしゃっていた、王都から届いた開業資金ですかな?」
「申し訳ないけれど、俺の資産がどこにいくらあるのかは教えられない。防犯のためにね」
「なるほどおっしゃる通りです。近ごろは強盗が多いですからな。さて、それで――」
ボッテは鋭い眼光で俺を見た。
おや、と俺は思った。
この男はこんな表情もできるのか。
客を相手にするときとはまったく違う、険しい目だ。
商売が分かっている人間は、しばしばこういう顔をする。
「――この三十万ゴールドを、私にどうしろと?」
これは、真剣にゲームを遊ぶ者の顔だ。
俺はゾクゾクした。
余計なことを言わないか心配で、ちらりと隣に座るアルパヌを見た。
しかし、彼女は好奇心に目をキラキラさせていた。
いいだろう、見せてやる。〝遊び人〟のカネの使い方ってやつを。
「これだけあれば、〝大市〟の期間の仕入れには困らないはずだ」
「おや、なぜそう言い切れるのです? ルーデンス様はエール醸造の心得がおありで?」
とぼけたことを抜かしやがる。
ボッテは俺を試そうとしているのだ。
いわば、剣闘士が切っ先を向けながら、お互いの間合いを図っているようなものだ。
温厚な顔をしていても、根は商売人なのだろう。
こちらが無知だと分かれば、遠慮なくカネをぶん取ろうとするはずだ。
舐められたら終わりなのは、決闘も商談も同じ。
「心得などなくとも分かるさ」
「ほう?」
俺は木製のジョッキを手に取った。
「亭主には醸造用の木桶を見せてもらった。直径は俺が両手を広げたよりもやや大きく、深さは俺の身長よりもずっと深い――。容積から言って、このジョッキで三万六〇〇〇杯は作れる。それが四つだから、十四万四〇〇〇杯。これが、この酒場の生産能力の限界だ」
ボッテは「ふむ」と、うなずいて見せる。俺は続けた。
「この店ではエール一杯を八ゴールドで販売している。ということは、木桶四つ分のエールをすべて売り切れば、十四万四〇〇〇杯かける八で、一一五万二〇〇〇ゴールドの売上が見込める。一方、エール一杯の値段に占める大麦の原価は、ざっくり二割から二割五分ってところだろう」
ボッテは俺をまっすぐに見つめている。少しでも自信のない態度を見せたら負けだ!
俺は目を逸らさなかった。
「つまり、四つの木桶を満たすときに必要な大麦の価格は――多めに見積もって――一一五万二〇〇〇ゴールドの二割五分、すなわち二八万八〇〇〇ゴールドになるはずだ。これよりも大麦が値上がりしたら、エールの利益が減って商売が厳しくなる。……そうだろ?」
相手は、ふっと微笑んだ。
「さすがは王都ご出身の方だ。酒の醸造のことは知らずとも、商売のことは熟知していらっしゃるらしい」
「細かい数字の計算に多少慣れているだけさ」
賭け事でもゲームでも、暗算が得意で損することはない。
ボッテの反応を見るに、どうやら俺のことを「話の通じる相手」と見做してくれたようだ。
言い換えれば、ごまかしの効かない相手だと見做してくれた。
前哨戦は突破、というところだろうか。
ハッタリが通じて、俺は内心ホッとする。
肝心なのはここからだ。
「この三十万ゴールドを、あんたに貸し付けたい」
「私に借金を背負えと?」
「もちろん俺がこのカネで大麦を買いつけて、あんたと一緒にエールを醸造・販売してもいい。だけど残念ながら、俺はこの業界では素人だ。エール作りでは足手まといになるかもしれないし、麦問屋との交渉だってあんたに任せたほうがいいだろう」
「まあ、経験なら私のほうが長じておりますからな」
「だとすれば、絶対に分け前で揉める。俺は『麦がなければエールは作れなかった』と主張して、たんまり分け前を寄越せというだろうし――」
「――私も『エールを作ったのは私だ』と主張するでしょうなあ」
俺たちは冗談めかして言い合い、はははと笑った。
心の底では、お互いに相手の腹を探りあっていた。
「そこで、だ」俺は真面目な顔に戻る。「この三十万ゴールドを丸ごとあんたに貸してしまって、利子を受け取ったほうが話が早い、と考えたわけだ」
相手は口を開きかけた。が、それを遮って俺は続けた。
「できれば〝冒険貸借(たいしゃく)〟の形式で契約を結びたい。あんたにとっても悪い話じゃないだろう?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます