落とせ!妙齢美人の領主様!!


「むむっ! ご主人、このアップルパイすごく美味しいです! シナモンと、何かよく分からない草のニオイがします」


「草のニオイ言うな。丁子と八角の香りだよ」


「ご主人、お料理もできるのですか?」


「俺は〝遊び人〟だぞ? 美食はこの世でもっとも原始的な娯楽だ」


「なるほど~」と答えつつ、アルパヌは頬っぺたを押さえる。「このキジ肉も最高です! ジビエ特有の香りに林檎の甘酸っぱさがよく合います……!!」


「ドレスを汚すなよ? ほら、これで指を拭け」


 俺はハンカチを渡してやる。


「はーい! ご主人、ボクの口の周りを拭いてください。自分ではどこが汚れているか見えないので」


「ったく、子供かよ」


「美味しいものを食べると童心に帰りますねえ♪」


 ガキ扱いしたのに、アルパヌはニコニコしている。

 腹が満たされると機嫌が良くなるタイプらしい。

 化粧が崩れないよう、丁寧に拭いてやった。

 奴隷を甘やかしすぎだと笑われるかもしれないが、これも計画のためだ。


「――お料理は気に入っていただけたようね?」


 アルパヌの紅をさし直していると、背後から声をかけられた。


「お待たせしたわね。占星術師との相談が長引いてしまったの」


 こういう領主の城には、お抱えの占星術師が雇われているものだ。

 領内の政治はもちろん、俺のような突然の来客と顔を合わすかまで、領主の相談相手になっている。

 どうやら「面会しても問題ない」という占星術の結果が出たのだろう。俺にとっては、ありがたいことに。


 俺は姿勢を正し、その場でひざまずいた。


「これは領主様! ご拝謁に賜り、恐悦至極です」


「その呼び方はおやめなさい。この地の正式な領主は、今でもわたしのお父様です」


 マリア・グランデ=メーラ、三十二歳。


 噂通り、豊かなブルネットの髪をたたえた美人だった。

 頬にはシミ一つなく、肌は十代のように艶やかだ。

 しかし真っ赤な口紅が似合うのは、その成熟した顔立ちゆえだろう。


 彼女は襟ぐりの大きく開いたドレスを着て、たわわな胸元を露わにしている。

 一昔前なら娼婦の恰好だったかもしれないが、(俺にとっては眼福なことに)最近では貴婦人の間でも流行っているデザインだ。

 豊満な乳房にはうっすらと青い血管が浮かび、谷間の入り口にはほくろが一つ。


 できることなら、ぜひとも一晩のお相手を願いたいほどの美女だった。


 俺は、考えうる限り最高にキメた表情と、最高のイケボを作った。


「それでは、マリア様とお呼びしても?」


 俺にこの声で囁かれて、心のぐらつかない女はいなかった。


「ああ、マリア様……。口にするだけで心をとろかすような美しい響きだ。あなたの美貌と並んでは、星やダイヤモンドですら色褪せて見えるでしょう。あなたを前にすれば、薔薇の花ですら己の見窄らしさを恥じて、しおれてしまうに違いありません」


 思いつく限りの褒め言葉を並べる。


 が、彼女はあっさりと俺を無視すると、アルパヌの隣に座った。


「あなたね? 城門の前で倒れたというお嬢さんは」


「はひ、ほうへふ」


 俺は思わず口を尖らせる。


「口にモノを入れたまま喋らない!」


「でも、ご主人。このパイが美味しすぎてですね――」


 うふふ、とマリアは笑った。


「いいのよ、食欲があるのは元気になった証拠だわ。あら、ほっぺたに食べかすまで付けてる。可愛らしい子」


 アルパヌの口元からパイくずをつまみ上げると、マリアはそのまま自分の口に運んだ。


「あ、ありがとうございます?」


 アルパヌは困惑しているようだ。


「あなたのこの綺麗な角と髪……。魔族とのハーフなのかしら?」


「はい! ボクはハーフサキュバスのアルパヌです!」


「サキュバスの血が混ざっているということは、夜伽はお好き? 立ち入ったことを訊いてごめんなさいね」


「よとぎ?」


「お前の捕食行動のことだよ」


「あっ、あー……。好きというかですね、ボクにとっては健康維持のための鉄分摂取みたいなもので……」


「嫌いではない、と?」


 マリアはさりげなく、アルパヌの手を取った。

 この領主、距離感の詰め方が早い。


「えっと、まあ……生きるために必要な行為ですので?」


 目をぱちくりさせながら、アルパヌはマリアを見つめ返す。

 彼女も、マリアの馴れ馴れしさに違和感を覚えているらしい。


 ひざまずいたまま、俺は口を開いた。


「今日この城に参じましたのは、ほかでもありません。俺の商売への応援を頂戴したく存じまして、ご挨拶にうかがいました」


「応援?」


 マリアは俺の方に体を向けた。アルパヌの手は握ったままだ。


「この地では、領主から開業許可を得る必要はありませんよ。その辺りのことは商工ギルドに一任しています」


「もちろん存じております」


「だったら、何かの専売特許が欲しいのかしら?」


 俺はおどけてみせる。


「くれと言ったらいただけるんですか?」


「もちろん無理ね。わが〝林檎家〟は、商工ギルドの収める税に支えられているわ。どんな商品であれ、よそ者に専売特許を与えたりしたら、彼らを怒らせてしまう」


「それは残念」


 俺は肩をすくめる。もちろん、俺の本当に欲しいものは別だ。


「お金をお借りしたい。四十万ゴールド。春の〝大市〟が終わるまでにお返しします」


 マリアの顔から笑みが消えた。


「帰ってもらえるかしら?」

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