潜入!領主様のお城!!
ルクレツィアは顔を赤らめて、うつむいた。
「そ、そうか……。お前の目には、私がそのように見えているのだな……?」
効果はバツグンだ!
「だがしかし! そのような御世辞で任務を忘れるようでは、騎士団長は務まらぬ!!」
彼女は緩みかけた頬を引き締めると、再び剣を俺に突きつけた。
「おっと、これは参りましたね……」
俺は苦笑した。
「ルクレツィア様がこれほど生真面目な方だったとは。たとえ袖の下を渡しても、通していただけるどころか、侮辱になってしまうでしょうね」
「無論だ。私に賄賂を一ゴールドでも出してみろ。二度と金勘定できないよう、十指を切り飛ばしてくれる」
俺はガックリとうなだれる。
「ならば、諦めるよりほかないでしょう。非礼・無礼の数々、どうかご容赦ください」
「うむ。気をつけて帰るように」
ルクレツィアは満足げに腕を組むと、仁王立ちで俺たちを見下ろした。
ここから作戦の第三段階だ。
「さあ帰るぞ、アルパヌ。……アルパヌ?」
俺のすぐ後ろで、アルパヌがうずくまっていた。
スカートの裾を土で汚さぬように抱え込んで、じっとりと地面を見つめている。
彼女の肩が小刻みに震えていた。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
「だ、誰の……せいだと……思ってるんですかぁ……」
息も絶え絶えにアルパヌは答えた。
こめかみには脂汗がびっしりと浮かんでおり、血の気の引いた顔はまるで白磁のようだ。
涙で潤んだ目で、彼女は俺を睨む。
ルクレツィアは剣を納め、アルパヌの前にかがみ込んだ。
そして発熱の有無を確かめるために、おでこや手首を撫でる。
「いかんな、手足が冷えている。これは医者に見せた方がいい」
「いいえ……これは、ボクのご主人が……ですね……」
「無理して喋るな!!」
ルクレツィアは病人を𠮟りつける。
俺は大袈裟に頭を抱えた。
「なんてこった! こんな土地勘のない場所で、仲間が病に倒れてしまうなんて!!」
「仲間? この首の刺青は奴隷のものだろう?」
「心優しいルクレツィア様ならお分かりいただけるでしょうが、旅を共にしていれば『仲間』です。身分など関係ありませんよ!」
「なんとまあ……。卑しい商人かと思いきや、これほど気高い慈悲深さを持っているとは……」
「教えてください、ルクレツィア様! この近所に、お医者様のお知り合いはいませんか?」
「えっと、それは――」
ルクレツィアの目が泳いだ。
「私はいつも、この城の侍医に診てもらっていて、だな……」
あと一押しだ!
次の瞬間、アルパヌが激しく顔を歪めた。猛烈な腹痛に耐えているのだろう。
「ごっ、ご主人っ! ボク、もう……限界……か……も……」
「諦めたらダメだ、アルパヌ! しっかりしろ!!」
そのドレスは借り物なんだぞ!?
俺は思わず彼女に駆け寄り、肩を掴んだ。我ながら迫真の演技だ。
横で見ていたルクレツィアが「くっ」と息を飲むのが分かった。
「――もういい、中に入れ!! その子をこの城の侍医に見せろ!!」
「アルパヌ、頑張れ! 頑張るんだ!!」
「うわーーーーダメですーーーー!! 揺らさないでくださーーーーい!!」
「アルパーーーーヌ!!」
「だから中に入れと言っているだろう!?」
俺の背後でルクレツィアが叫ぶ。
俺は彼女にバレないように素早く指先を舐めると、目尻をつばで濡らした。
「ご厚意に感謝いたします」
涙(※つば)で頬を濡らしながら、俺はルクレツィアに頭を下げる。
「しかし、俺たちは招待状を持たない身。勝手に領主様のお城にお邪魔するわけには……ヨヨヨ……」
相手は「ああもう!」と小さく漏らす。
「だから私が全責任を負うと言っているのだ! さっさとその子をこちらに連れてこい! 今すぐ侍医を呼んでくる!!」
ルクレツィアはくるりと背を向けると、城内に向かって走っていった。一歩ごとに、彼女の銀色のポニーテールがぽんぽんと跳ねた。
計画通り、最初の関門は突破した。
しかし気は抜けない、次こそが本命だ。
この城の主、マリア・グランデ=メーラを攻略しなければ。
◆
幸運にも、トイレを借りただけでアルパヌはすぐに回復した。
ハーフサキュバスの肉体は、人間よりも頑丈なのかもしれない。
専用のトイレがあるのは、さすがは小さいとはいえ領主の城だ。
この国では、農村の家にはトイレなど無い。
町に出れば、川や運河に直接流すタイプの公衆便所がある。
とはいえ、一般家庭では大抵〝おまる〟を使っている。
そして毎日、路肩のどぶに――酷い場合は道に直接――汚物を投げ捨てている。
「まったく、ご主人はボクのことを何だと思っているんですか!?」
ソファの上にあぐらをかいて座りつつ、アルパヌは口を尖らせる。
ドレスのスカートが大きく膨らんでいた。
肩にはルクレツィアから渡された毛布を羽織っていた。
俺たちは、応接ホールに通されていた。
ホールの片隅には二人掛けのソファが二つ、向き合って据えられている。
俺はアルパヌの正面に座っていた。
「そういうお前だって、俺のことを〝ちょっと健康にいい鉄分〟ぐらいにしか思ってないだろ」
「不本意です! これでもボクは誠心誠意、ご主人に無償奉仕したいと思っているのですよ?」
「へえ、殊勝な心掛けじゃん」
「見返りにちょっぴり〝精〟を分けてもらいたいだけで」
「〝無償〟の意味、知ってる?」
ホールの窓にはガラスが嵌められていた。
換気のために、窓は少しだけ開いている。
こぶしほどの幅の隙間から、中庭のざわめきが聞こえる。
領主であるマリア・グランデ=メーラの〝昼食会〟が続いているのだ。
中庭には天幕がいくつか張られ、近隣の名士たちとその従者たちで賑わっている。
その様子を、ガラス越しの歪んだ像として眺めることができた。
「ともあれ、城には入れたし、メシにもありつけた」
「それはまあ、そうですけど……」
ソファには彼女と並んで、食べ物のたっぷり入った籐のかごが置かれている。
丸いままのりんごが山盛りにされ、さらに切り分けたアップルパイや、キジ肉のアップルソースがけが並んでいる。
林檎尽くしのメニューだ。
手軽に入手できる野生種の林檎は、この地域ではもっとも身近な食べ物なのだろう。
酸っぱくて甘味は弱いが、代わりに香りはすこぶる良い。
アルパヌは、もそもそと料理に手を付ける。
そして、パァっと顔を輝かせた。
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