新章開幕!無一文の朝!!
~~~第二幕「薔薇の名前」~~~
翌朝――。
俺が何か気がかりな夢から目覚めると、自分がベッドの中で一匹のハーフサキュバスに襲われていることに気づいた。
「グウェッヘッヘェ……。ご主じぃ~ん、ボクはもうお腹ペコペコですぅ~~~」
「うわーーーーー! やめろ!! 何してんだ!?」
酒場の屋根裏には、小さなベッドが一台あるだけだった。
他に家具らしい家具はなく、床の一角にクッションが寄せ集められている。
アルパヌの就寝スペースだったはずの場所だ。
天井は低く、腰をかがめなければ歩けない。
窓が小さいせいで、朝だというのに薄暗い。
「何って、そんなの決まっているじゃないですかぁ♪」
彼女の華奢でひんやりとした手のひらが、俺のシャツの下に滑り込んでくる。
「俺から離れろって言ってんだよ!!」
「あっ、すごい! ご主人のここ、準備完了してますよ?」
「朝だからだよ!」
「嬉しいです! ご主人もその気になってくださったのですね!」
「話を聞けよ! 生理現象だっつの!!」
アルパヌはニコニコしながら、俺の下半身に顔をうずめようとする。
「いいじゃないですか、減るものでなし――」
「減るだろ! 俺の〝精〟が! お前に吸い取られて!!」
サキュバスに襲われた人間は、ミイラのような干物になって死ぬ。
そんなのまっぴらごめんだ。
俺は体を起こして、無理やり彼女を引き剥がす。
彼女はベッドの上にちょこんと座り、人差し指を立てて講釈をたれる。
「ご安心ください! ボクにとっての〝精〟は、人間にとっての鉄分のようなもの。ごく微量で充分です。ちょっとばかり吸い取っても、ただちに健康に影響が出るレベルではありません!」
「いつかは影響が出るんだろ!?」
アルパヌは、ヨヨヨと目じりを押さえてみせる。
「ひどいです! ご主人はボクが栄養失調になっても良いのですね……」
「泣き落としは通用しねえぞ」
彼女はちらりとこちらを見る。
「どうしてもダメです?」
「ダメだ」
そして飛びついてきた。
「お願いです! 先っちょだけだから!!」
「ダメっつってんだろ!!」
「ふぎゃっ!?」
俺は思わずアルパヌを突き飛ばした。
女に手を上げるのは俺の主義ではないが、全体重をかけて飛び掛かってきた彼女の側にも責任がある。
というか、ハーフサキュバスであるこいつを普通の「女」として数えるべきかどうかには議論の余地があるだろう。
何しろ、夢魔は相手にあわせてサキュバスになったりインキュバスになったりする。雌雄同体の存在なのだ。
いずれにせよ、こいつの〝食欲〟の発散手段も早めに考えたほうが良さそうだ。
俺の健康を考えたら、カネの工面と同じくらい急ぐ必要がある。
ベッドから落ちたアルパヌはそのまま床をゴロゴロと転がり、自分の就寝スペースであるクッションにぶつかって止まった。
ぼふっ、という音ともにホコリが舞い上がる。
「あー、すまん。怪我してない?」
「……」
「おい、聞いてるか?」
「……ふっふっふっ」
頭のまずい場所を打ったのだろうか?
クッションに埋もれたままアルパヌは笑った。
「ボクは幸せ者です」
「何が?」
「こんなお金持ちのご主人に拾われたからですよ! もうペコペコのお腹に悩まなくて済むんです! 朝ごはんは何にしましょう? スッポンのスープ? ウナギのシチュー? マムシの白焼きなんてのも良いですね!」
「ずいぶん偏ったメニューだな……」
「媚薬効果の高いものを食べれば、ご主人もその気になってくれるかと」
「なるかバカ。つーか、今日は朝食抜きだ」
アルパヌは世界の終わりみたいな顔をした。
「ええーっ! なぜですか!?」
「カネが無いからだ」
「朝食ぐらいツケで払えばいいじゃないですか! 王都にはたんまり財産があるのでしょう?」
「ああ? ねえよ、んなもん」
「……え?」
「店主は勘違いしてくれたが、俺はただの〝遊び人〟だ。正真正銘の一文無しだよ」
「ええええーーーーっ!?」
「あんまデカい声を出すな」
「大きな声も出ちゃいますよ! ご主人は思い違いをなさっています。一文無しどころかマイナスじゃないですか! 昨日のエール一杯分と家賃で、あわせて一七八ゴールドも負債を抱えているんですよ!?」
「バカ、家賃は日割りだから八十五ゴールドだよ。敷金は一か月分だったから、月末までに支払わなければならない金額は計二六三ゴールドだ」
「細かい数字はどうでもいいですよ! ただでさえお金がないのに、負債を増やしてどうするんですか!?」
「どうでもいいわけないだろ。賭場では細かい計算ミスが命取りだ」
アルパヌは深刻な表情で考えこむ。
「ボクがお客を取れば、毎月二人分の生活費くらいは稼げると思いますが……」
俺は笑った。
「そんな非効率な仕事はやめろよ。もっと楽して稼ごうぜ?」
「でもでも! あの店主さんにはエール用の大麦を用意するって約束しちゃったんですよ? どうにかしてお金を作らないと――」
「だからカネの心配すんなって! 奴隷のくせに」
「小さいとはいえ、ここは港町です。沖仲仕(おきなかせ)の働き口なら、すぐに見つかるかもしれませんが……」
沖仲仕とは、船の荷揚げ・積み込みを行う港湾労働者のことだ。
地域や時代を問わず、大抵は日雇いの歩合制。
健康な肉体一つで、すぐに現金を作れる。
だが――。
「俺は〝遊び人〟だぞ? そんな真面目な仕事をするわけがないだろ!!」
「ドヤ顔で言うことじゃありませんよう!!」
「ともあれ、お前にも役に立ってもらう」
「へ? ボクに?」
俺はベッドの脇に置いた背嚢に手を伸ばした。
ヒトクイガエルの皮革を縫い合わせた背嚢には、旅の荷物一式を詰めてある。
そこからタオルと石鹸――といっても木灰を脂で固めただけの即席品だが――を取り出して、アルパヌに渡した。
「店主に頼んで、たらいと井戸水を借りろ。全身を清めてこい」
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