第2話 知っている人、知りたい人

「昨日のニュース映像、見たかい?」


 窓ガラスの向こうには、都心とは思えないような鬱蒼とした樹々が、満々と水を蓄えたお堀の向こうに広がっているのが見下ろせた。

 真っ白なシャツにグレーのネクタイを締めた男は手に持ったペットボトルから一口水を飲んでから、横の女性に聞こえるようにつぶやいた。


「はい。音響光学研究所の井上博士がお亡くなりになった件ですね」


 セミロングの髪をシュシュで頭の後ろに軽くまとめ、ブルーのワンピースの上に白衣を羽織った女性が、男の言葉に同意するかのように頷いていた。


「確か、緊急搬送した病院で脳細胞の強制スキャンを行い、記憶領域の80%程度は回収出来たと聞いておりますが……」


「うん、そうだ。さっき、その回収情報をライブラリ化する予算を担当課長に申請するように指示した」


「ただ、実際には有効な情報を拾い出すにはかなりの時間と労力がかかるとか。たしか、半導体技術センターの小山田センター長の時には二年以上の時間をかけて超微細半導体の露光技術をライブラリ化したのではありませんでしたか?」


「そうだったな……。まったく。科学者や技術者って人種はどうして自分の持っているノウハウを文章化して残さないんだ? そんな技術者が多いから、テクノロジーの継承が上手くいかないんだ。くっそ!」


 彼は飲み切ったペットボトルを両手で力強くひねり潰してから、資源回収のゴミ箱に投げ入んだ。


 * * *


「みんな、今日は転校生を紹介するぞ」


 朝のホームルームが始まる時間、担任はロングヘアの綺麗な女子生徒を伴って教室に入って来た。


「ご両親の都合で海外から日本に戻って来たそうだ。日本のちょっと変わった実情には疎いから、お前らちゃんとフォローしてやってくれよ。とりあえずの座席は……。筆谷、お前の隣の空いている席だな」


「神宮寺華子です、よろしくお願いします」


 彼女は担任の指示に従って筆谷啓介の席までゆっくりと歩いて行き、ニコリとほほ笑んで彼の横の席に座った。


「あ、う、うん。こちらこそ、よろしく」


 彼女の笑顔に、ホホを少し赤くした彼は慌てて返事を返した。


「ようし、じゃあ今日の授業始めるぞ。今日はイオン化傾向の勉強だ。リチウム電池を使うスマホには必須なバッテリー交換の免許四級の試験には出るからな、ちゃんと覚えておけよ」


 先生はそう言いながら電子黒板に向かって、化学式を書き始めた。

 

 * * *


「華子さんて、外国に長く住んでたの?」


 昼休み、華子の回りを囲むように筆谷と須々木、星川が座っていた。最初に興味深そうに須々木が華子に声をかけた。


「ええ、ずっと海外を転々としていたので日本の事情には詳しくないの。なんでもスマホを購入したりするのに、免許証が必要なんだそうね。それ以外にも日常生活で必要な免許証が沢山あるっていう噂は外国でも聞いていましたけど、それは本当なのですか?」


 お弁当袋を片付けて、ポットから注いだお茶の入ったカップを、スカートの上に置いた両手で握りしめながら、華子は問いかけた。


「うん、本当さ。大昔と違い、人口が減り続けてる今じゃ技術の継承が大問題になってるから。技術の継承危機に対するモチベーションを保つために始めた日本独自の仕組みなんだよ」

「まったく、あんな事してもさ、実際のところ技術を開発した科学者やエンジニアが後世に残すようにしなけりゃ意味無いんだけどな。技術開発とは無縁な俺たち庶民にはいい迷惑だよ、まったくさ」

「うーん。けいちゃんの言いたいこと分かるわよ。そうだけど、そうなんだけどねさ。でもね、人間の悪いところ、ほら、喉物過ぎれば熱さ忘れる? ていうことわざもあるでしょ。あれみたく、一般庶民のレベルで危機感を持ち続けるのも大事なのかなー、ては思っちゃうんだよね、私的にはさ」


 新一と啓介、小名木の三人は、華子に向かってそれぞれの想いを語った。


「へー、そうなんですか。優れた技術を残すため、国民全員に危機意識を持たせるため、の免許制度なんですね。でも、四十五世紀の今なら、人間と区別が出来ないほど優れたアンドロイドとAI技術をもってすれば、技術の継承問題なんか、ぱぱっと解決しちゃうんじゃないですか?」

 

 三人の意見を聞いていた彼女は、人差し指をホホに当てて首を少しかしげて聞き返す。


「甘いね、華子さん。AIは膨大なデータ処理を前提にディープラーニングとして自分自身を賢くしていくことは出来るけど、それは過去に公開されたデータを利用しているんだ。でも、今問題になっているのはノウハウと呼ばれているエンジニア個々人が持っている非公開の情報なんだよ。そんなの常識だと思って公開しないのか、それとも自分の権威を維持したいからなのか、それは分からないけど、そんな個人が抱えた情報が後継者がいないまま消えていくのが問題なんだよ」

「うん、そうなのよね。しんちゃんが言う通り。だから最近では、科学者やエンジニアが亡くなると、その人の脳をスキャンして記憶を取り出す技術が生まれたらしいわ。それでも取り出せるノウハウは多くないらしいの」

「まあ、人間の脳の記憶領域をスキャンするなんて、ずいぶん前からこっそり行われてたらしいけどな。それが、ここに来て故人対象だからと大っぴらになっただけらしいし。もう、なんか、知識を残すためならなりふり構わない、そんな感じだよな。そのうち、科学者やエンジニア全員が生きたままスキャン対象になるんじゃないか?」

「けいちゃん、止めてよそんな話。そんなの冗談でしょう?」

「いや、わからないな。けいすけの話、まじでありそうだよな。なんせ携帯電話の通信方式なんかブラックボックス化して基礎理論が忘れられて二千年以上そのままなんだぜ。これ以上技術の継承が抜ければ、俺たちの生活基準は二十一世紀なみになっちまうんだ。政府の一部なんか絶対にそんなの認めないだろ?」


 『生きた人間のスキャン』の話を聞いた時、真剣に彼らの話を聞いていた華子の目が、一瞬怪しく瞬いたのには誰も気が付かなかった。


 * * *


「まだ見つからないのか?」


 皇居を見下ろすビルの最上階で、年配の男は怒りをあらわにしていた。


「は! 全力で探しているのですが、どうも顔認証システムの認識阻害技術を使用しているらしく……」

「うるさい。そんな言い訳は欲しくない。ワシが欲しいのはアイツの頭脳じゃ。どんな方法を使っても構わん。国家公安委員会にはワシから話をとおしておくから多少違法な手段を使用してもかまわん。お前らは自分達の仕事をしてこい」


 年配の男からげきを飛ばされた黒いスーツの男たちは、その男に無言で一礼をすると流れるようにその部屋から消えて行った。

 皇居の森と皇居のお堀が、その建物の最上階からはまるで箱庭のように見えた。年配の男の背後にたたずみ、大きな窓ガラスから箱庭を見下ろしていたグレーのネクタイの男はソファーに腰を下ろして年配の男に向かって静かに語る。


「まさか彼がこのタイミングで逃げ出すとは、思いもしませんでした。例の事件以来、我々の命令に従順であったので、我々の使命を理解してくれていると思ったのですがね……」

「ふ、おおかた我々の仲間になったふりをして機会を伺っていたのじゃろ? このワシもまんまと騙されたわい」


 * * *


「──で、結局、携帯電話の免許証はお持ちですよね? お客様……」

「ですから……、先ほどから説明していますように、わたくし外国から帰って来たばかりなので、免許は持っておりません」

「でしたらお売り出来ません。申し訳ありませんが、そういう決まりなものですから」


 学校帰りに、筆谷達と連れ添って携帯電話ショップでスマホの購入を試みた華子だったが、免許を持っていないため予想通りあっさりと断られてしまう。

 と、携帯電話ショップから落胆して出て来た華子たちに、ショップの駐車場に止まっていた黒塗りのワゴン車から一人の男が現れて声をかけて来た。


「お嬢ちゃん、免許持ってないから携帯買えなかったのかい?」

「はい、そうですけど。ところで、アナタはいったいどなたですの?」


 華子達は声をかけて来た男に一瞬ひるんだが、勇気を出してその男に聞き返した。


「俺のことはどうでも良い。それよりも、免許証が無くても携帯電話を売ってくれる所を紹介してやるよ」

 その男は、そう言ってショップ裏にある目立たないビルの入り口を目で示した。


 華子達がその男の示したビルに恐る恐る入ると、驚いたことにそのビルの中には携帯電話のショップが普通に営業していた。

 その受付で、帰国したばかりで免許証がないが携帯電話を購入したいと告げると、受付の女性は微笑みながらショップの奥に声をかけてから華子達を奥の契約カウンターに案内してくれた。


「えー、私ここら辺よく来るけど、こんな場所に携帯ショップがあるの知らなかったわ」

「はい、ここは非公式な携帯ショップですので公開してないんです。お客様のような諸般の事情で免許証を持っていらっしゃらない方に、無免許で携帯電話をお売りしている場所ですので。お客様達も、どうかこの場所はご内密にお願いします」


 小名木が物珍しそうにショップ内をキョロキョロしながら呟くと、一緒に歩いていた受付の女性は彼女達に向かって答えた。


「なるほど、蛇の道は蛇、というヤツですね。表向きは免許証を制度化することで、動作原理を理解出来ない者は使用できないと思わせておくけれど、その実、実社会でどうしても必要な人達のための抜け道がしっかりと準備されているんですね。あ、口外しない兼承知してます。なにしろ我々も無免許で携帯電話を購入する側ですからね」


 ずり落ちたメタルフレームを元の位置に戻しながら新一は感心していた。

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