第41話 ボーリング
時刻は夜七時半、書店からほど近い場所にあるボウリング場。
「……これ、どうやって投げるんですか?」
細長いレーンを前に、ボウルを両手で持つ文月が首を傾げる。
「流石にボウリングの知識は本に書いてなかったか」
「ピンポイントでボウリングの解説書を読む機会なんてありませんから」
「ピンだけに?」
「帰りますよ?」
「ひとりになっちゃうから止めて!」
「ピンになってしまいますね」
「それはうまい」
「茶番はいいですから、早く教えてください」
「えっとねー、まず、この三本の穴に利き腕の方の指を入れて……」
「こうですか?」
「あ、そこの穴には人差し指じゃなくて中指を入れるんよ」
「な、なるほどです……」
文月は正真正銘の初心者らしく、恐る恐るといった様子で穴に指を入れている。
ちなみに視界不良でのボウリングは危ないので、今の文月は前髪を上げたバージョンだ。
「それからここら辺に立って、まず右足を出して……」
「右足……」
奏太の動きを真似して右足を踏み出す文月。
入店するまで明らかに乗り気じゃない様子だったが、乗ったからには真面目にやろう決めたらしく、奏太の説明を熱心に聞き入っていた。
ちなみにシューズを買うというシステムを知らず、そのままローファーでエリアに入ろうとした文月が店員さんに注意されたり、最初に持ったボウルが予想以上に重く、持ち上げようとして童話の『おおきなかぶ』みたいになったりと、見ていてほっこりするエピソードがあったのは胸の中にそっとしまっておこうと思う。
「それで、あそこに並んでいる十本のピンに狙いを済ませて……」
まず最初はお手本として奏太が投げた。
フォームがわかるようにゆっくりと投げたが、大きさの割に重量感のあるボウルは綺麗な軌道を描いてピンに向かっていく。
ガラガラコーンと爽快感のある音がして十本のピン全てが倒れた。
『ストライーク!』
ぱんぱかぱーんとSEが鳴り響き、頭上に取り付けられたディスプレイに、「イェイ♪ イェイ♪」と踊るヘンテコなマスコットキャラクターが映し出された。
なんとテンションの上がるアニメーションだろう。
「おお……」
文月が感嘆の声を漏らす。
「……と、まあこんな感じかな?」
一投目でちゃんとお手本のようなボウリングを披露することが出来て、奏太は胸を撫で下ろす。
ボウリングはいつメン達とそれなりにしてきたが、実力で言うと奏太は中の上くらいで、三回に一回ストライクが出たらいいかなというレベルであった。
「ぱっと見は簡単そうに見えますが、いざやってみると難しいのでしょうね」
「最初は真っ直ぐ投げるのも難しいと思う」
「両サイドの溝の存在が意地悪です」
「絶望の溝、ガーターね。あれにどれだけのボウルが散っていったことか……」
「そんな大袈裟な……もう、投げていいんですか?」
「いっちゃえゴーゴー!」
「先に言っておきますが、運動神経には自信がないので期待しないでくださいね?」
「そんな肩肘張らずに楽しも。ボウリングは一回のターン……つまり一フレーム毎に二回まで投げられるから、初手でミスしても大丈夫だよ」
「なるほど、では……」
てくてくと、ボウルを持った文月が足を踏み出す。
基本を忠実にこなしたいタイプなのか、ぎこちなさはあるものの文月は奏太のフォームと同じような動きでボールを放った。
放たれて一秒後、がこんっと音を立ててガーターに吸い込まれるボウル。
『ガーター!』
SEが鳴り響き、頭上に取り付けられたディスプレイに、「オーマイガー!」と泣き崩れるヘンテコなマスコットキャラクターが映し出された。
なんとテンションの下がるアニメーションだろう。
「やっぱり意地悪です」
しょんぼりと肩を落とす文月。どうやら彼女なりの全力だったらしい。
「どんまい! 最初はそんなもんよ、気にしない!」
ここでやる気を無くされてしまっては元も子もないので、奏太は可能な限りのフォローを入れる。
相手のテンションを上げるのは奏太の得意領分だ。
場を盛り上げるために、悠生や陽菜たちをひたすらヨイショしまくってきた経験が生きた形である。
奏太のフォローの甲斐あってか、「まあ最初から出来たら苦労しませんよね」と文月は気を取り直してくれた。
「真っ直ぐに投げるコツなんだけど……」
それから少し時間をとって、奏太は文月にレクチャーを施す。
いつメン+αで遊ぶ際など、ボウリングが初めてのメンバーに教える事もちょくちょくあったので、その時の経験が見事に生きた。
「……という感じ意識すると、かなり真っ直ぐいきやすくなると思う」
「なるほど……やってみます」
こうして奏太から伝授されたコツを踏まえて放たれた文月の二投目は、ど真ん中とは言わないもののガーターに落ちることなく、六本のピンを倒して気持ち良い音を立てた。
「やった、倒れました」
四本に減ったピンを指差して文月が奏太を見る。
珍しい石を見つけた子供が親に見て見てと言ってるみたいだ。
「お、良いじゃんその調子!」
奏太が大袈裟に誉めると、文月はまんざらでもなさそうに口元を緩める。
「でも、やっぱり少しずれてしまいましたね。何故でしょう……」
「ボウルを離した後の腕が少しだけ右に寄ってたからかな? リリース後の腕の方向は真っ直ぐ! を意識すると良いと思う」
「わかりました、やってみます」
文月は真面目な表情で頷いた。
理屈を学んだ後は練習あるのみだと、それからお互いにボウルを投げあう。
何度か投げているうちに感覚を掴んだのか、文月の球筋が少しずつ安定してきた。
一投目で残ったピンを二投目で倒すスペアも出したりして、スコアも伸びてくる。
彼女は下手にアレンジや自己流に走ることなく、言われたことに全神経を注いで素直に実践するという、勉強やスポーツの上達において重要なマインドを持ち合わせていた。
言うなれば、とても素直だった。
という旨を奏太が伝えると、文月は目を左上に向けてから口を開く。
「アメリカの作家、ナポレオン・ヒルは言いました。物事の基礎を学ぶうえで、他人の真似をすることは、好ましいことである、と」
「まさにその通りだね」
「結果を出したいのであれば、結果を出している人の言う通りにするのが近道なので」
言われて、奏太の心が小躍りする。
ボウリングという遊びの領域ではあるが、文月に『結果を出している』と評されるのは嬉しいものだった。
我ながら単純だと思う。
そうして迎えた、十フレーム目。
ボウリングは一ゲームで十フレームなので、最終ラウンドである。
このラウンドは他のフレームと違って三回投げることができる。
一投目と二投目でなんとかスペアを出し、迎えた三投目。
最後ということもあり、いっそう集中して投げられた文月のボウルは真っ直ぐにピンへと向かっていき──。
ガラガラコーン!
『ストライーク!』
ぱんぱかぱーんとSEが鳴り響き、ヘンテコなマスコットキャラクターが「イェイ♪ イェイ♪」と踊る。
「……っ。やりましたっ」
「ナイストライク!!」
まさか一セット目からストライクを出すとは思わず、奏太は心底から湧き出た「すごい!」と大きな拍手を送る。
控えめながらも小さなガッツポーズをして文月が奏太の方を見る。
まるで褒めて褒めてとアピールする子供みたいだった。
「いや本当に筋いいね! 才能あるよ! このまま練習したら世界一も間違いなし!」
「そ、そんな、大袈裟ですよ……」
と言いつつも文月は満更でもない様子だ。
こうして最後に文月のストライクで締まるという後味の良い結果を残して、一ゲーム目が終わる。
スコアは奏太が162、文月は113だった。
「負けてしまいました」
「いや流石にね?」
この経験値の差で負けたら奏太の方が不登校になってしまうだろう。
「この点数は、高いのでしょうか?」
「人生で一回目でそのスコアはめちゃ高いよ! 初心者だと百も超えない事も多いし、俺も初めてやった時は八十とかそれくらいだったと思う」
「そ、そうなのですか? やった……」
嬉しそうに目を細め、胸の前できゅっと拳を握りしめる文月。
思わず敬語が取れているあたり、心の底から湧き出した『嬉しい』だったのだろう。
うぶで愛らしい仕草を目にして、奏太の顔の温度がほのかに上昇する。
思わず見惚れてしまいそうになって、奏太はぶんぶんと頭を振った。
「懇切丁寧に教えてくださり、ありがとうございました」
文月が改まって、ぺこりと奏太に頭を下げる。
「いやいやこちらこそだよ。教えたことを素直に実践してくれるし、教えたら教えた分だけスコアも伸びるから、レクチャーしている側としてはやりがいがあったよ」
「そうですか……それなら、良かったです」
文月の口元に小さな笑みが浮かぶ。
ボウリングに来る前、書店でビンビンに向けられた警戒心はどこかへと霧散したようだった。
「これで、ボウリングは終わりなのですか?」
「一ゲーム目はね。次のゲームに移る事も出来るよ」
「なるほど」
ちらりと、文月が奏太に視線を向ける。
散歩を心待ちにしている子犬みたいにうずうずしていた。
「もう一ゲームやる?」
奏太が尋ねると、文月は目をぱあっと輝かせてこくこくと頷く。
わかりやす過ぎる挙動に奏太は思わず吹き出した。
「な、何笑ってるんですか」
「ははは、ごめんごめん」
「言っておきますけど、ボウリングの知識を感覚として身体に染み込ませたいだけですからね? お金と時間を使って学んだ以上は、無駄にしたくは無いわけで。はしゃいでるとか楽しんでるとか、決してそういうわけじゃないですから」
「はいはい、わかったわかった」
「な、なんですかその扱いは。私は本当に……」
不服そうに頬を膨らませ抗議の声を上げる文月。
(…………本当、素直じゃないなあ)
苦笑しつつ、奏太はパネルを操作し次のゲームの開始ボタンをタップした。
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