第14話 もっと知りたい

「あの漫画、微妙だった」

「そうでしょうね」

「この本は、最高だった」

「当然です」


 放課後、図書準備室に来るなり文月とそんな会話をする。

 いつもの席に座ると、スッと文月が一冊の文庫本を差し出してきた。


「これは?」

「次の一冊です。そろそろ読み終わる頃だと思って、私の方で借りておきました」

「おお、ありがとう! ちょうど読み終わったところだったから助かる! でも図書カードは文月のだよね? 手続きとか色々面倒なんじゃ」

「その辺りは図書委員の権限でうまくやっておきました」

「流石、抜かりない」

「図書委員なので」


 キリッと眼鏡を持ち上げて言う文月がなんだか微笑ましくて、思わず笑みが溢れる。


「なんですか、どこに笑う所がありましたか」

「いんやー別に、気にしない気にしない」

「なんだかはぐらかされたような気がします」


 むう、と文月は不服そうに頬を膨らませる。

 ほとんどの時間を無表情で過ごす文月が時たま見せる年相応の女の子らしい表情に、奏太は少しだけ得した気分になる。


(気は許して……くれるようになったよね、多分)


 文月から貸し受けた本を開いて、なんとなしに思う。

 最初の頃と比べると、文月が奏太に見せる感情のバリエーションは増えていた。


 文月と一緒に過ごすうちに、奏太の方が彼女の表情の些細な変化に気づくようになった、という側面もあるだろうが。


 出会ってからほぼ毎日顔を合わせているとなると、流石の文月も奏太に対する警戒を解いてくれたらしい。

 相変わらず言葉に棘はあるし表情も硬いが、他の生徒に対して一切のコミュニケーションを拒否している事を鑑みると、奏太の立ち位置が文月の中で変化している事は確かだった。


 それからいつものように読書の時間に入る。

 

 しばらくして。


 視線を本に落としたまま、文月が口を開いた。


「面白くなかったのなら、面白くなかったとはっきり言えばいいですのに」


 その言葉が、朝の陽菜とのやりとりの事を指している事はすぐにわかった。


「……やっぱり、聞いてたんだ」

「清水君たちのグループは声が大き過ぎるんです。あと多少、感想は気になったので。本当に多少ですが」


 念を押すように言う文月に、奏太は答える。


「そんな簡単に言えないよ。友達にあんなにも『面白いよね!?』って感じでこられたのを、面白くなかったって返すのは場も冷めるし……陽菜にも嫌われるかもしれない」

「そんな程度で嫌うような友達は、友達じゃないでしょう」

「そうかもしれないけど……」


 奏太が言い淀むと、文月は目を左上に向けてから口を開く。


「フランスの哲学者、モンテスキューは言いました。友情とは、小さな親切をしてやり、お返しに大きな親切を受け取ろうとして結ぶ契約である、と」

「えっと、つまり……?」

「友人関係というものは詰まるところ、個々人の打算的な思惑によって成立しているものです。自分の本心を削ってまで傾倒するほど価値のある関係とは思いません。ましてや、自分の『面白い』『面白くない』の感性まで合わせないといけない関係なんて、大事にする必要はないと思います」

「はえー、なるほど。言われてみるとそうかもしれない、けど……」


 毎度の事ながら謎の説得力を持つ文月の名言引用にたじろぎながらも続ける。


「今はもう、関係が出来あがっちゃってるし……なんにせよ、その場の空気は読んだほうが良いっていうか? そのほうが事はうまく進むし……」

「それって」


 視線を本から奏太に向けて、文月は尋ねる。


「清水くんは一体、どこにいるんですか?」


 その問いは、奏太の胸を抉るように突き刺さった。


 問いかけの意味はわかる。


 人に合わせてばかりで自分の意見も主張も一切ない。

 そんな自分はいないも同然だ。その自覚があった上で、自我のない状態を心のどこかで『これでいいのか』と思っていたからこそ、奏太は返答に窮した。


「……さ、さあ……どこにいるんだろうね」


 ぎこちない笑みと共にやっとの事で吐き出した返答に中身はなく、どこか弱々しかった。

 文月は嘆息し、再び本に視線を落としてから言葉を紡ぐ。


「すみません、少し意地悪な質問をしました。そもそも人間は社会的な動物なので、仕方がない事だとは思います」

「……どういう意味?」


 まるで、自己弁護の材料を探すかのように訊き返す。


 ぱたんと本を閉じ、再び文月は奏太に視線を向けて説明を始めた。


「すべての生き物が生きる一番の目的は子孫を残すこと。そのため生き物は基本的に、生存と生殖を最適化するように作られています。生き延びなければ生殖出来ないし、生殖が出来なければ子孫を残すことができませんので」

「なんか突然スケールが大きい話になったね」

「ちゃんと繋がるので安心してください」

「というか、生殖って……」

「真面目に訊かないのであれば話しません」

「ごめんなさい真面目に聞きますのでどうか話してください先生!」


 奏太が大袈裟に言うと、文月はため息をついて続ける。


「人間も例に漏れず生き物なので、一番の目的は子孫を残すことです。しかし人間の身体は弱く、ライオンといった外敵に太刀打ち出来ません。このままだと生き延びる事ができない、子孫を残す事が出来ないと思った人間は、『群れ』を作る事で生き延びようと考えました」

「一人じゃライオンに勝てなくても、十人二十人ならって事ね」

「です。そうやって人間は何十、何百と群れをなして、集団として生き延びる可能性を高める事で子孫を繁栄させてきたのです」

「なんだかドキュメンタリーを聴いてる気分になってきた。それでそれで?」


 胸に生じたワクワクを抑えることが出来ず、奏太は僅かに身を乗り出す。


「逆に考えると、集団から外れて一人になるという事は、人間にとって死を意味する事でもあります。なので人間は、進化の過程で『集団から排除される事を恐れるように』なりました。その恐れがないと集団が形成できなくて、種自体が滅んでしまいますから」

「ああ、なるほど……」

 

 ようやく、文月が言わんとしている事が見えてきた。 


「今生きている私たちは、集団に属する事で生き延びてきた先祖たちの末裔です。なので、集団から排除される事に強い恐怖心があります。だから、清水くんが自分の居場所を守りたいと思うのは当然のことですし、自分を出して人に嫌われるくらいなら、人に合わせて好かれた方が良いと考え、行動するのは、ごく当たり前のことなんですよ」


 説明が一区切りついたらしく、文月がほうっと息をつく。


 一方の奏太は、しばらく次の語を告げられなかった。

 いかがでしたかと文月に目で尋ねられて、ようやく言葉を口にする。


「……凄いね、ほんと」


 そう表する他なかった。


「褒めても何も出ませんけど」


 文月がどこか居心地悪そうにする。


「いや、ほんと凄かったよ。説明もめっちゃくちゃわかりやすかったし……俺の、人に合わせる癖がなんであるのかって理由も、今まで考えつきもしなかった視点で考えられてて……なんというか、圧倒されたよ」


 奏太が率直な感想を口にすると、文月はますます居心地悪そうに目を逸らした。

 よく見ると、頬にほんのりと赤みが差している。

 

 さっきまでの、冗談を一切言わない厳しい先生のような雰囲気とは一転、年相応の女の子らしい仕草に奏太の方まで顔が熱くなってしまう。


 場の雰囲気を変えるように話の舵をグイッと切る。


「い、いやー、それにしても進化の過程とかよく知ってるね」

「本で読んだので」

「流石過ぎる……」


 毎度の事ながら知識量の凄さに舌を巻く奏太。


「あれ、でもちょっと思ったんだけど……」


 ふと、奏太は気づいた事を言葉にする。


「石器時代とかだと、集団から追い出されたら命の危機! ってなるけど、今はそんなことはないよね?」

「よく気づきましたね」


 文月の瞳が僅かに見開かれる。


「仰るように今の時代はとても豊かで、衣食住全てが保障されています。なので、別に集団に属さなくても……まあ、日本という国単位で見ると属しているとも捉えられますが、普段生活する範囲においては群れなくても命に関わる問題はありません。なので……」


 一拍置いて、文月は本質的な言葉を紡いだ。


「現代では、一人でいたいなら一人でいればいい、という選択が取れるのですよ」


 私のように、と文月が小さく言う。


「もちろん今でも、集団に属している事のメリットはありますが……それと一人でいることのメリットを天秤にかけて、好きな方を選択すれば良いと思います。個人の考え方は人それぞれなので」


 これで話は終わりとばかりに、本に視線を戻す文月。

 一方の奏太は、文月の言葉について考えを巡らせていた。


(天秤にかけて、好きな方を選択……か)


 まさに、その通りだと思う。

 陽菜や悠生、澪たちと過ごす日々も悪くはない、むしろ楽しいこともたくさんある。


 でも、キャラを作って周りに合わせる事に気持ち悪さを感じる自分も確かに存在する。

 

 ──清水くんは一体、どこにいるんですか?

 

 文月の言う通り、今の自分はいないも同然だと思えてきた。


(……ああ、そっか)


 どうして自分が文月に惹かれているのか、少しだけわかった。


(俺、羨ましいんだ)

 

 自分とは違って文月は、強い自我と明確な軸を持っている。

 自分なんかよりもずっと、圧倒的な存在感を放っている。


 そんな、誰にも干渉されず好きな読書に熱中し常に自分を貫いている姿に、奏太はある種の憧れを抱いていたのだ。


 自覚してからは、早かった。


(もっと、文月を知りたい……)


 彼女は一体何を考え、何をして生きているのか。

 自分とはまるで正反対な文月と、もっと時間を、行動を共にしたいと強く思った。


「文月って、休みの日は何をしているの?」


 気がつくと、そんな質問を口にしていた。


「急になんですか。家で読書か、カフェで読書ですかね」


 視線を文章に沿わせたまま、平坦な声で文月は答える。


「カフェで読書! 前も言ってたね。じゃあ、ついていってもいい?」

「な、なんでそうなるんですかっ……?」


 上擦った声。

 小さな顔がバッと奏太の方を見る。


 表情には『意味がわかりません!』と書いてあった。


「なんとなく! カフェで読書、なんかお洒落っぽいし、やってみたくなった」

「なら別に私が行く必要ないでしょうっ。一人で行ってきてください」

「頼むよ、一人でカフェなんて行った事ないからさ、付き添ってほしいんだ!」

「うっ……た、確かに、最初だと少し敷居が高いかもしれませんね……」

「そう、そうなんよ! だからお願い!」

「うー……でもやっぱり嫌ですっ。なぜ貴重な休みの一日を、清水くんと読書で過ごさないといけないんですか」

「そこをなんとか!」

「い、嫌なものは嫌です……っ」


 普通ならここらへんで引き下がるところだが、ここは腐っても陽キャグルに所属する、それなりに女性と話す機会があった奏太。


(もう少し押せば……イケる!)


 そんな自信があった。

 今まで交流してきてわかったが、文月はなんやかんや面倒見が良く、人の頼みを無碍にできない性である。


 なので、ちゃんと筋が通った『一緒にカフェに行きたい理由』も添えてお願いしたら、きっと首を縦に振ってくれるという目算があった。


「いつもおすすめの本を教えてくれているお礼に、コーヒーをご馳走させてほしいんだ!」


 奏太の目論み通り、この言葉に文月の表情が僅かに変化した。


「……私、コーヒーは苦くて飲めないです」


(ここだ……!!)


「じゃあ紅茶でも、飲みたいやつなんでも頼んでいいから!」

「なんでも……」


 文月の目に宿る一迅の煌めき。しかしすぐにハッとして、『ダメですダメです』とばかりに頭を横に振るも、また「むむむ……』と黙考して。


 最終的には何かを諦めたように息を吐いてから、すうっと息を深く吸って言った。


「バニラシロップキャラメルシロップヘーゼルナッツチョコレートチップエクストラホイップホワイトモカシロップパンナコッタライトシロップライトアイスエクストラチップエクストラソースコーヒーフラべチーノ」

「お菓子の国の呪文?」

「私の行きつけのカフェのメニューです。ブラックコーヒーは飲めませんが、たくさんの甘甘トッピングでコーティングされたこの商品は飲んでみたいと思っていました」


 あまりの商品名の長さに、思わずたじろぐ。

 カフェ素人の奏太でも、それだけのトッピングをしたらなかなかの値段になることはわかる。


(でも、ここまで来て渋るわけにはいかない!)

「わ、わかった! そのなんちゃらフラミンゴとやらをご馳走するよ!」

「フラべチーノです。……あと私、モンブランが好きです」

「二個でも三個でもいったれ!」

(アーメン俺のお小遣い!)

「……わかりました。フラべチーノとモンブランで手を打ちましょう」


 こくりと小さく頷く文月。

 押し切れた事への達成感と喜びで、奏太は思わず天井に拳を掲げた。


「やった! ありがとう! 楽しみにしてるよ」

「うるさいです。隣は図書室なんですから、静かにしてください」

「はいごめんなさい静かにします」


 ぴしゃりと言われて秒で読書に戻る奏太に、文月は魂も溢れそうなほど大きなため息をつく。

 そんなこんなで奏太は、今月のお小遣いと引き換えに文月と週末カフェ読書をする約束を取り付けたのであった。

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