なんですか? 森の奥には魔狼の村があるんですか?

第5話 旅に出ちゃうってほんとうですか?

「えっ? ママ、城を出ていっちゃうの!?」


 アメルハウザー伯爵はくしゃくの山城での暮らしも落ち着いてきたころ。

 ソーニャの姿を探し城内を歩いていたアリーセは、庭園ていえんで話し込むソーニャとフテネルの会話の切れ端を耳にする。

 紅い目に涙をにじませ、泣き出しそうな表情でソーニャの胸に飛び込んできた。


「……ママじゃないけどね?」


 ソーニャたちが城に来て、襲撃事件を解決してひと月が過ぎた。

 ソーニャに「」られた村長を始め、改めて伯爵をこの村を治める領主だと認めた村人たちにより、城には年貢ねんぐとして作物が納められている。

 今までの不義理の埋め合わせもあるのだろう。城の倉庫には、ハーフであるアリーセひとりが食べるに充分以上の食料で溢れている。


 壊されたばしや城門は修理され、荒れ果てていた庭園には庭師の手が入り、立派な薔薇園ばらえんまでが作られている。

 ピンクで小振りな薔薇バラは、アリーセの母が好んで育てていた品種だという。彼女が伯爵に輿入こしいれれした頃の、人と吸血鬼が共に生きていた風景を取り戻せたのかもしれない。


「教団のお仕事してないから? ママは聖女様なんでしょ? この村には教会がないんだから、お城を教会にしちゃえばいいよね!」

「ママじゃないけど。聖女ではあるから、魅力的な提案なんだけどねぇ」


 知らない内に、純粋ではあるが強大な力を持つ聖女が、山城を自分の教会に造り変える――伯爵はくしゃくや村長が知ったなら、冷や汗ものの提案だったろう。

 教会のない地域に自らの力で新たな拠点を作り、教義を広める活動ができるのなら、ソーニャとしても確かに腰を落ち着ける十分な理由にはなる。


 計算違いだったのは、マナを集めるソーニャの体質だ。


 アメルハウザー伯爵はくしゃく寝所しんじょは、魔術的に領内のマナを、最も集めやすい場所に作られている。心を入れ替えた村人たちのマナも、わずかづつではあるが、毎日自然に献上けんじょうされる流れが出来ている。


 フテネルの見立てによると、ソーニャがいることにより、その流れが阻害そがいされているらしい。ソーニャは毎日、灰になってしまった伯爵はくしゃくマナを注ぎ込んでいるのだが、


『そりゃ、お前自身が使っちまう分が膨大ぼうだいなんだから、差し引きで効率悪いのも当然ではあるな』

「わたし、そんなに大食いじゃないよう!」


 胸をはずませこぶしを振り回してのソーニャの反論も、フテネルはけらけらと笑いながら浮かんだままでかわし続ける。


 ソーニャにも思い当たる所はあった。


 他人をいやすのは得意である。悪霊あくりょう不死者ふししゃを拳で「分からせ」浄化じょうかするのはもっと得意だ。

 灰になった伯爵はくしゃくを復活させるのそのどちらとも違い、ソーニャがまだ理解し切っていない魔族のマナの流れに干渉する行為。

 やりすぎて伯爵はくしゃく浄化じょうかしてしまっては元も子もないと、試しためし、おっかなびっくりでことを進めていたのは事実だ。


「だからね、フテネルは一度、領地りょうちのマナの流れに干渉かんしょうしない場所まで離れて、様子を見た方が良いんじゃないかって。そのほうが、アリーセのお父さんも早くもとの姿に戻れるんじゃないかなって」


 ソーニャは、抱き着いたままのアリーセの菫色すみれいろの髪を優しくなでながら、あやすように言い聞かせる。


「ちゃんと様子を見に帰ってくるから。それに、今はアリーセ一人じゃないでしょ?」


 ソーニャの視線を受け、庭仕事をしていた元傭兵もとようへい直立ちょくりつし、り気味の満面の笑みを浮かべる。

 伝説の泉の精に取り換えられたかのように、綺麗きれいになった傭兵ようへいたちは、今では心を入れ替え城の雑務ざつむ衛兵えいへいの仕事をこなしている。


 文字通り死ぬような目に合わされ、完全に「傭兵ようへいたちの頭には、城から逃げだし、二度とソーニャの手の届かない地で隠れ住むという選択肢すら浮かばない。


「ま、まあ、むさ苦しい俺らにお世話されるんじゃ、お嬢も気詰きづまりってもんでしょうが――」


 長剣使ちょうけんつかいの男は冷や汗を浮かべ、おもねる笑顔を浮かべながらソーニャに口添くちぞええした。

 言いながら、直接の恐怖の元凶げんきょうであるソーニャを追い出す良い機会だと、内心喜んでいたのだが、そのことをソーニャに気取けどられるのも怖かったので、口を滑らせぬよう、言葉をすことも言い直すこともしなかった。


        §


 ぐずるアリーセをなだめ、修道服しゅうどうふく旅装りょそうを整えたソーニャは、手荷物てにもつ片手に山城を後にした。


 村人の馬車を出そうかという申し出は断った。辺境を見て回り、困っている人々の手助けをするのがソーニャの務め。人手があるなら、アメルハウザー伯爵はくしゃくの領地を建て直すのに使うべきだと思ったからだ。

 

「城の改修や警備にも人手が必要だろうからね」


 にこやかに呟くソーニャに、元傭兵たちは張り付いた笑みでコクコクと頷いていた。


 なついてくれていたとはいえ、やはり父親のことが心配だったのだろう。アリーセはねるそぶりを見せながらも、最後にはソーニャの出立しゅったつを見送ってくれた。


『なんだかんだ、吸血鬼きゅうけつき領地りょうちの中でごすのが一番安全だからな』

「アリーセも、生まれてから領地りょうちの外に出たことないって言ってたから、いつか一緒いっしょに旅に出るのもいいよねぇ」

『半人前のソーニャが子守こもりしながら旅をするのは、まだまだが重いだろ。あたしの気苦労が増えるばかりだぜ』

「いつまでも子供あつかいしないで! もう自分の面倒めんどうくらい自分で見られるよう!」


 広大な森の中の街道を、わずかな荷物を手にのんびり歩くソーニャ。速くはないが、疲れ知らずなので距離だけはひたすら稼げる。


「この森も全部アメルハウザー伯爵はくしゃくの領地なんだよね」

『森が緩衝地帯かんしょうちたいになっていたから、アスタリア王国とは距離を取って共存できたんだろうな』


 伯爵はくしゃくと呼ばれてはいるが、あくまで魔族としての称号だ。敬意をもって扱われるが、アスタリアの国政こくせいに関わることはない。あくまで地方の豪族ごうぞくといった扱いになっている。


「こんなに広いのに、マナの流れは悪いみたいだねぇ」


 木々を眺めながら、ソーニャは首をかしげる。

 マナを感じ取れる者は少ないが、マナは神羅万象しんらばんしょう、この世のすべての物に関わっている。

 枯渇こかつすれば魔法を使うことはもちろん、やがて草木は枯れ、新しい命も産まれなくなってしまう。


『シケてんなぁ。今はどこでもこんなもんかね?』


 フテネル相手に話しながら歩いていたせいで、道行みちゆ農夫のうふには目をらされ、馬車に乗るチャンスを逃してしまう。


「フテネルのせいだからね!」

『あたしの声は聞こえてねーよ。おかしく思われてんのはソーニャ、お前ひとりだ!』


 その日は道端で野宿することになったが、翌日は運良く隊商の一向に拾われた。

 それほどの大きな隊商たいしょうでもないのに、5人ほどの軽装の兵士が護衛ごえいについている。これから向かう町の商工しょうこうギルドの護衛兵ごえいへいに加え、聖堂騎士せいどうきしらしき者の姿も混じっているようだ。

 ソーニャが荷台に座ると、商人の娘が傷物きずもののリンゴを分けてくれた。


「このへんはなにかトラブルあるの?」

「少し前まで狼が出たんだよ。そんなの、わたしは見たことないけどね」


 同じく傷物きずもののリンゴをかじりながら、娘はにかっと笑う。


「ふぅん。襲われなくてラッキーだったね」

『ほかの獣にも出くわさなかったからな』

「これも女神フェルシアの加護かごのたまものだよ」


 斜め上に視線を泳がせながらフテネルと話すソーニャを、娘は不思議なものを見る目で眺める。


「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」


        §


 一度の野営の後、ソーニャたちは陽が高いうちに町の門をくぐることができた。


 トナルの町は、アメルハウザー伯爵はくしゃく領地りょうちの村よりさらに西に位置する。街道かいどうまじわる地ではあるが、都市としと呼ぶにはやや規模は小さい。それでもソーニャは、文化のまじわる土地独特どくとくの、活気に満ちた雑然雑然とした雰囲気ふんいきに、トラーシャとはまた違った魅力みりょくを感じた。

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