第26回 国際線ターミナルで

 翌日。


「龍くん、昨日の佐久間卓氏のことだが」


 HRが始まる前、矢野主将が俺の教室を訪れた。


 例によってカッコイイ上級生の登場にクラスがざわめく中、俺は周りを気にする余裕などなく、身構えて矢野主将との話に集中した。


矢野家うちのサイバーコマンドが彼に関する情報を得ようと試みた」

「サイ……」

 

 サイバーコマンド! 

 否、これは特段、驚くべきことでもない。矢野家は何でもありだ。私設軍隊の一つや二つ持っていてもおかしくはない。


「しかし、怖ろしく厳重なセキュリティに阻まれ、全容を知ることはできなかった」

「それって……彼、ヤバい人、ってことですか?」

「というより、国家ぐるみの秘匿かな。わかったことは、フィンランド行きは政府からの密命を受けて決まったらしいということくらいだ。佐久間氏がどういう経緯で選ばれたのか詳細は不明だが、新卒で入社した会社を退職した後、伊達氏と共に原子力関連の仕事に就いていたようだ。今回、彼は使用済核燃料最終処分の実施事業体が行なう核燃料封入プラントの研究員として派遣されるらしい」

「使用済核燃料……! そう言えば、行き先は核のゴミ捨て場って言ってましたよね。『生きて帰国することはないだろう』とも」 

「概ね安全は保障されているだろうが、リスクが全くないとは言い切れない」

「相当な覚悟がなければ行けないですよ。愛する人を失って自棄になったとか、それとも、償い的な意味で?」

「昨日の感じだと、おそらく両方だね。監督には佐久間氏のことは話した?」

「全部話しました。そしたら、会いに空港へ行くと言っていました」


 最寄りの空港からヘルシンキ行きの夜間便が出ていた。洋人はそれに見当をつけていたようだった。


「心配だよね、監督のこと。龍くん、僕たちも行こう」

「はい!」



 放課後、矢野主将と俺は部活を早めに切り上げて空港へと向かった。




 * * *




「無茶だよ、ヒロ。顔も知らない人をどうやって探すつもりだったんだよ!?」


 先に来ていた洋人と国際線ターミナルで合流した。


「亜斗里、来てくれたのか。矢野くんも。ありがとうな。ほんと頼りになるキャプテンだよ」

 洋人は安堵した様子で俺たちを迎え、頭を掻きながら苦笑した。

「それらしき人を見つけられるかもしれないと思って、かなり早くから来て張り込んでたんだが、全然わからなくて途方に暮れてた。はははっ」


「はははっ、じゃないよ。ったく! 病み上がりの身体で何考えてんだよ!? ってか、いっつも何も考えてないだろ!」


 洋人の無謀さに呆れて俺は思わず怒鳴った。


「龍くん、監督に容赦ないね」


 矢野主将が俺の剣幕にドン引きしていた。


「キャプテン、こういうとこなんです。うちの義兄あに、こういうふうに後先考えないで行動するところがあるんです。身体壊したのもその所為なんです。もうっ、いろんな意味で心配が絶えないんですよ」

「ふふっ、なんだかんだ言って、お兄さん想いなんだね」


「そっ、そりゃ、まぁ……また何かあったら困るっていうか……そのォ……」

 洋人への想いを矢野主将に見透かされている気がして、俺は焦った。そんな折り、照れ隠しに彷徨わせた視線の端に、一人の男の姿が入り込んだ。

「あっ! キャプテン、あの人」


「うむ。彼だ」


 すぐに矢野主将も視認した。


「えっ、いたのか? 何処?」

「今、搭乗手続きのカウンターに並んだ黒っぽいスーツの……」


 俺が件の男を指し示すと、洋人の顔に緊張の色が浮かんだ。


「あの男が……」

 洋人は佐久間卓の背中に鋭い眼差しを向け、ぐっと拳を握り締めた。

「話をして来る」


「ぶん殴ったりしちゃダメだからね!」


 俺の心配をよそに、洋人は迷いのない足取りで男に近づいて行った。


 矢野主将と俺はふたりの会話が聞き取れるぎりぎりの位置にまで距離を詰め、そこで見守ることになった。



「失礼ですが、佐久間卓さんですね?」


 搭乗手続きが終わるのを待って、洋人は冷静に声をかけていた。


「? ……!?」

 背後からの呼びかけに警戒するような素振りで向き直り、声の主を特定したのか、佐久間は目を瞠った。

「……進也、さん……!? いや、そんなはずは……」


 彼は独り言のように呟き、驚きと戸惑いの表情で洋人を凝視した。


「洋人です。伊達進也の息子の、龍洋人です」


「洋人さん……!」

 目の前の青年が自分の恋人だった人の息子であることを、佐久間はようやく理解したようだった。

「すみません。ユニフォーム姿のあなたしか見たことがなかったので。……いや、赤ん坊だった頃のあなたを、私は見たことがありました」


 当時、何の感慨もなく一瞥しただけの乳児が、今、愛した人と同じ姿形となって自分の前に立っている。その現実をどんな気持ちで佐久間は受け留めているのか。

 俺は皮肉めいた思いで彼の心中を推し量った。洋人から父親を略奪した罪の深さを改めて思い知るのだろうか。


「俺は父親の顔を知りません。俺の顔は、そんなに父に似ていますか?」

「若い頃の進也さんにそっくりです。一瞬、彼がもう迎えに来てくれたのかと思いました」

義弟おとうとから、あなたのことを聞きました」


「亜斗里くんと矢野くんには迷惑をかけてしまいました。部活で疲れていたはずの彼らに、醜い大人の話を聞かせ……」

 声を詰まらせる佐久間の双眸が潤んでいった。

「あなたのお父さんを奪いました。今ここであなたに殺されるのなら、私は本望です。進也さんと共に生きた歳月に悔いはありません」


「俺があなたに会って言いたかったのは、恨み言なんかじゃない」

 洋人は首を振り、佐久間の手を取った。

「あなたに、ただ、感謝を……ありがとうと言いたかったんです。父を、愛してくれてありがとう、と。父の最期を看取って下さり、ありがとうございます、と」


「洋人さん……」


 何故と問いたげに、佐久間は涙を浮かべた目で洋人を見つめていた。


「佐久間さん、必ず、帰って来て下さい。生きて、元気に帰って来て下さい。俺が待っていますから」



「なにィ!?」

 佐久間の帰国を洋人が待って何になる!? 聞き捨てならない義兄の言葉に、俺は我を忘れた。

「ヒロ! それはどういう意味だ!?」


「しぃーっ、龍くん、声が大きいよ」


 佐久間と洋人の対話に踏み込んで行こうとする俺を、矢野主将が有無を言わせぬ強い力で制した。

 主将は俺を見据えて黙って首を横に振った。しゃしゃり出るなと、その眼は告げていた。

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