第23回 その男は

 百合ヶ丘高校野球部は当分の間、監督不在のまま部活が行われることになった。

 顧問の山田部長教諭が練習に立ち会うも野球経験がないため、シートノックができないとあって守備練習もままならない。

 そんな状況を見かねて、時々桔梗様がノッカーを買って出たこともあった。


 夏季大会が近づくにつれ、部内に焦燥感が漂い始めた。

 矢野主将と俺が密かに期待している『切り札的存在』の方は、桔梗様からは何の動きもない。



 低迷する野球部だが、わざわざ練習を見に来る人たちがいる。ほとんどが洋人目当てだ。龍洋人効果と云うべきか、甲子園の元スーパースターの姿を見ようと、いつの頃からか学校の内外からギャラリーが集まるようになっていた。

 

 しかし、洋人が静養中のため練習に出て来られないことが知れ渡ると、その数はめっきり減り、替わりにお見舞いの品や激励の手紙などが学校に届いた。



 そんな中、洋人が不在であるにも拘らず、ある時期からずっと見物を続けている一人の男がいた。スポーツ記者という雰囲気でもなく、ましてや何処かの球団のスカウトであるはずもない。部員数ぎりぎりの弱小野球部が記者やプロから注目される要素は皆無である。


 男はブルペンの近くを見物時の定位置としているようで、否応なく近距離で視線を浴びる投手の俺は気になって仕方なかった。

 それは矢野主将も同じらしく、アイコンタクトで俺に伝えた。


「 (今日も来てるね) 」

「 (そうですね) 」


 男の年齢は三十代後半から四十代前半くらいに見えた。スリムな体型に端正な顔立ち。しかし、どこか思いつめたような暗い表情が印象的だった。



 その日。


 部活が終わって帰途に着いた時だった。

 校門を出た所で、件の男が俺に声をかけてきた。


「突然ですまない。君はあの龍洋人さんの義弟おとうとさんだね」

「え? あ、はい……?」


 予期せぬことにたじろいでいると、居合わせた矢野主将が庇うように俺の前に出て男と対峙した。


「どういうご用件でしょうか? 僕は野球部主将の矢野凛太郎です。部員に用があるのでしたら僕を通していただけませんか」


 そう言われて男は一瞬鼻白むような顔をした。


「龍くんと二人で話をしたいのだが」

「それは承服できかねます。どうしてもとおっしゃるのでしたら、僕も同席させていただきます」

「いや。極めて個人的な話だ」


 男は譲らない構えのようだ。

 そこで俺は提案した。


「キャプテンと一緒なら、お話を伺ってもいいです」


「……仕方ない」

 男は渋々といった感じで譲歩した。

「ちょっと込み入った話になるので、何処か落ち着ける所で」



 俺たちは学校から程近い珈琲店に移動した。

 ボックス席に、矢野主将と俺は男と向き合う形で座った。

 相手が面識のない大人であることを考慮し、矢野主将を迎えに来ていた執事の沢村さんには念のため隣のテーブルに控えてもらうことにした。


「申し遅れたが、私は佐久間さくますぐるという者だ。

 龍くんのお義兄にいさん……洋人さんの実の父親、伊達だて進也しんや氏の最期を看取った」

「最期……!」


 不穏な言葉に俺が絶句していると、佐久間と名乗るその男は続けた。


「七年前に伊達さんは亡くなった。病の床からではあったが、甲子園での洋人さんの活躍を嬉しそうに観ていた。……その夏の終わり、伊達さんは静かに息を引き取った。安らかな最期だった。

 彼は洋人さんの姓が変わっていても、すぐに自分の息子だとわかった。身体の自由が利くなら甲子園に応援に行きたいと言っていた。そして、許されるなら父だと名乗り出てじかに会いたい、大きくなった息子を抱きしめたい、と。しかし、そんなことが許されるはずがない、その資格はない、と彼は自分を責めた」


 俺は知っている。洋人が心の底で実の父親を求めていたことを。たとえ赤子の自分を捨てた父だとしても、やはり会いたいと願っていたことを。そして、甲子園のマウンドに立つ雄姿を見て欲しかったということ、父が名乗り出てくれるのではないかと期待して投げ続けたことを。


 洋人の実の父親は亡くなっていた。その事実に、俺はショックを受けた。


 洋人は言っていた。

『親父が現在いまは何処でどうしているのかわからない。生きているのか、それとも……。ただ、息子の俺のことなんか、全く眼中になかったって思うと……情けなくて、哀しい』と。

 そして、『俺は期待してたんだ。自分が甲子園に出たことで、もしかしたら親父が名乗り出て来るんじゃないか、って。姓が変わっていても、自分の息子がわからないはずはないだろ、って。大っぴらにじゃなくても、密かに連絡してくるんじゃないか……って』とも。


 はからずも、父と息子の思いは同じだった。しかし、父子はもう相見あいまみえることはない。

 洋人に哀しい思いをさせた薄情な父親のまま、伊達進也氏は逝ったのだ。


「佐久間さん、あなたは龍先生のお父さんの最期を看取ったと仰いましたが、担当医だったのですか?」


 矢野主将のその問いに、佐久間は答えた。


「いいえ。私は医者ではない。……洋人さんから父親を奪った者だ」

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