第21回 一人では逝かせない

「何だ、こんな時間に」

 PC を閉じて洋人が俺の方に向き直った。

「今まで何処にいた?」


 義兄は少し不機嫌そうだった。

 当然だ。久々に取れた休養日を俺がほぼ台無しにしてしまったのだから。


「矢野キャプテンの家……」


 あの後の行動をかいつまんで話した。



「ヘンタイと罵られた挙句、いきなり殴りかかられて、俺は深く傷ついた」


 話を聞き終えた洋人は仏頂面で俺を睨みつけた。


「悪かったよ。本当にごめん」

 己の妄想を洗いざらい吐露し、素直に謝った。その上で、全裸の理由を尋ねた。

「俺の場合は完全に勘違いだったけど、桔梗様は相当ショックを受けてた。ヘンタイって言われても仕方ないよ。ヒロ、どうして裸だったんだ?」


「シャワーを浴びていた。俺はてっきりおまえが来たと思って……」

「タイミング悪すぎだろ。しかも長年見慣れた弟の顔を他人と見間違うかよ。それも女子と」

「俺の脳内では、亜斗里はいつもキラキラしてて背景に薔薇が咲いてて……そこら辺の女子とは比べものにならないくらい綺麗で可愛いんだ」


 洋人の脳は完全に少女漫画の世界に逝っている。美的補正もここまで来ると病気を疑いたくなる。もしかして、視力が低下しているのでは?

 身内贔屓は有難いが、哀しいかな客観的に見れば、ボ~ッと緩んだ腑抜け顔。それが俺の実態だ。


「そもそも真っ昼間にシャワーなんて浴びてるのが紛らわしいんだよ。それに、来たのが俺だったとしても真っ裸まっぱで出て来ることはないだろ」

「久しぶりにおまえとふたりきりになれると思うと、興奮して一人上手を連発しちまって、汗だくになったんだ。仕方ないだろう。おまえに汗臭いの嗅がせたくないし。んで、そんな時に限ってバスタオルは見つからないわ、ピンポンは鳴ってるわで……めっちゃ焦ったんだよ」


「一人上手、って!」

 しかも連発 !? 俺は呆れた。

 義弟ごときで興奮してもらえるのは嬉しくないこともないが。

「そんなもったいないことすんなよ。俺が来るまで待てなかったのかよ」


「待てなかった。若さゆえの焦燥だ」

「中学生か!」

「いや、中学教師だ」

「ガチで答えてる場合か。ったく! ヒロって、やっぱヘンタイじゃん」

「俺は必ずしもヘンタイではない。ただ、おまえのことが好きなだけだ」


「お……」

 ド直球な言葉に、途端に絆される。

「お、俺の方がヒロのこと、好きだから」


 これまでに何度も伝えた想いなのに、口にする度やはり照れてしまう。


 そんな俺に、優しげに目を細めて甘い声音で洋人が言った。


「可愛いなぁ」


 刹那のデジャヴ。

 そういえば、俺の顔真似をした桔梗様に矢野主将も同じことを言っていた。


「男に可愛い言うな」

「本当のことだ。こんなにも可愛い亜斗里……愛おしいおまえを……誰かに盗られるんじゃないかと、俺はいつも心配だ」

「また……えっ?」


 また無用な心配を、と言いかけた俺を洋人は突然抱き上げ、防音設備のある寝室へ連れ込んだ。

 どうなる!? 今夜こそ。



 俺をベッドに降ろして、洋人も傍らに身を横たえた。


「はぁ~、重かった」

 その言葉を裏付けるように、いつになく洋人の息が上がっていた。

「おまえ……太った? ケーキの食べすぎだろ」


 普段なら俺をベッドに運ぶと速攻でいろんなことを仕掛けてくる洋人にしては、全く動く気配もなく、ただ浅い呼吸を繰り返しているだけだ。


「スイーツ断ちしてるのに太るわけないだろう。ってか、ここ最近、試合が立て混んでスナック菓子だって喰ってる暇ないのに」


 洋人が毎回身体を張って取り付けている練習試合だが、百合ヶ丘は不名誉な連敗記録を更新中である。相手校の一軍にしてみれば、気持ち良く勝たせてくれる頃合いのサンドバッグといったところだろう。

 こんな為体ていたらくが続くようでは、甲子園を懸けた夏季大会は悲惨な結果に終わりそうだ。入場行進を俺と代わりたいと言った桔梗様の与太話が、虚しいどころか、むしろ有難くさえ思えてくる。


「そう……だったな。試合で一勝するまで、か。なんだか……おまえが幸せそうにケーキ……食べてる姿……見れる気がしない」

「監督が何を弱気なこと言ってるんだよ! ヒロ、急にどうしたんだ !?」


 洋人の様子がおかしい。途切れがちに弱々しく繋ぐ悲観的な言葉は、およそ義兄らしからぬものだった。

 明らかに、いつもとは違う。俺をここまで運ぶのに体力を使い果たしたわけでもあるまいに。


「ごめん……」


 何故か洋人は謝り、静かに目を閉じた。

 まるで、本当に最後の力を振り絞った後のような疲れ具合だ。

 

「ヒロってば、早々はやばやと寝てんじゃないよ」


 期待を裏切られて、俺はやけくそぎみに洋人を揺さぶった。


「亜斗里……熱い……エアコン点けて」


「そこまで暑くないだろ。……いや、そういえばヒロの身体」

 薄っすらと汗をかいている洋人の額に掌を当てて、愕然とした。感じたのは異常な体温だった。

「すごい熱だ! これ、ヤバいんじゃない?」


「おまえを想いながら、一人上手をやりすぎたせいだな」

「そういうレベルじゃないよ! 病院に行かなきゃ。例の流行病だったら大変だ」

「一晩寝れば……たぶん、大丈夫……」

「大丈夫じゃないって!」

 

 洋人の具合は目に見えてどんどん悪化していく。

 俺は半泣きになりながら家に電話して義母に洋人の様子を伝えた。




 すぐに両親が来て、洋人を車に乗せて救急病院へ向かった。


 俺も同行し、後部座席でぐったりする義兄の身体を支えながら、ふと最悪のケースを想像した。

 もしも、洋人が死んだら、と。

 そうなったら、俺も生きていたくない。

 絶対に、一人では逝かせない。俺もすぐに後を追う。

 親父、お義母さん、ごめんなさい。俺は死ぬほど洋人が好きなんだ。こんなにも人を好きになったことはない。


 洋人! 生きろ!


 俺は声を殺して泣いた。

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