第20回 リフレッシュ

 意図して黙っていたわけではないと前置きして、洋人と自分が義兄弟であることを桔梗様と矢野主将に明かした。


 七年前に洋人の母と自分の父が再婚したことや甲子園のヒーローだった義兄と比較されるのを憂慮した胸の内などを話すと、ふたりは理解を示した。そして、このことは敢えて公けにしないと約束してくれた。


 俺が泣きながら矢野主将に電話した件に関しては、些細な兄弟げんかが原因だったということにして何とか誤魔化した。


「僕を頼ってくれて嬉しいよ。これからも困ったことがあったら、いつでも連絡してくれたまえ。どんな時も君の力になるつもりだ」

「……すみません。ありがとうございます」


 矢野主将の篤実な言葉に、疼きを伴って胸に込み上げるものがあった。

 あれ以来、主将が言及しないのをいいことに、俺は返事をずっと保留したままだ。

 

「ほんと凛ちゃんって頼りになるのよね。年下って気がしないもの」

一歳いっこしか違わないでしょ。なのに桔梗様、昔はすっごくお姉さんぶってたよね」


 そうだったね、と幼馴染み同士が微笑み合う。




 その後は、三人でたわいもない話で盛り上がった。


「百合高が甲子園に行けたら、是非やってみたいことがあるの。私の夢なんだけど。それには龍くんの承諾が必要なの」

 桔梗様の夢は、矢野主将と一緒に入場行進をしたいというものだった。

「君の代わりに私が出るの」


「えー、いやですけど。第一、替え玉がバレたら怒られるんじゃないですか?」


 それ以前に、百合ヶ丘が甲子園に行ける可能性は限りなくゼロに近い。だからこれを与太話と割り切って桔梗様の夢に同調しても良かったのだが、つい俺は忖度もせずにあっさり却下した。


「怒られるだけで済むかな? それに、身長ですぐにバレるよ。桔梗様と龍くんは10cm 近い差があるだろう」

「超上げ底のシューズを履くわ」


 桔梗様には俺の承諾云々などはなから関係なかったようだ。


「う~ん」


 首を傾げる矢野主将。身長以外にも、桔梗様が俺になりきるには他にも足りない要素があると言いたげだ。


「髪もばっさり切る! 龍くんみたいなベリーショートにね。それならどう?」

「ええっ! その綺麗な黒髪を!? もったいないよ」

「どうせ髪なんてすぐ伸びるんだし」

「う~ん」

「まだ何かあるの? あっ、さらしを巻いて胸を平たくするっていうのは?」

「ええっ! その豊満なお胸Gカップを!? 桔梗様、そうまでして……。でも……」


 俺になり切ろうとする桔梗様の情熱に感動しつつも、矢野主将はまだ首を傾げている。


「…… (じぃーっ) ……」


 桔梗様がまじまじと俺の顔を凝視した。


「…… (えーっと) ……」


 職質された挙動不審者のように、堪らず俺は視線を宙に泳がせた。


「わかった!」

 桔梗様が何やら閃いた様子である。

「表情筋よね」


「うんっ、それだよ! 顔は同じなんだけど印象が全く違うんだ。桔梗様はいつもキリッとした表情をしているのに比べて、龍くんは……」


 龍くんは……? 俺はどうなのかと矢野主将に問い質すより早く、桔梗様がを披露した。


「これでどう!? こうやってボ~ッとした感じにすれば」


 そこには、口を半開きにして遠くを見るような目をした腑抜け顔があった。


「その顔! 完璧だよ、桔梗様。龍くんの幼気いたいけな感じにそっくりだ。可愛いなぁ」


 矢野主将が瞳を輝かせて桔梗様の顔面模写を称賛する傍らで、他者から見た自分の顔の印象というものを初めて知って愕然とした。もう、俺は立ち直れない。って主将、何気にひどくないですか!?


「これで私は龍亜斗里ね。百合ヶ丘高校硬式野球部のエースよ!」

「やったね!」


 晴れやかな笑顔でハイタッチして盛り上がる幼馴染み二人組には悪いが、もしも万が一、何らかのアクシデントで ―― 例えば、悉く対戦校の選手全員が下痢になるなどして ―― 奇跡的に百合ヶ丘が甲子園に行けたとしても、桔梗様に入場行進を譲るのはやめようと俺は固く心に誓った。って桔梗様、チームの先頭で校名のプラカードを持つ係で妥協して下さい!




 昼に矢野家のシェフによる心尽くしのランチをご馳走になり、午後は若いスタッフを交えてバスケットボールやバレーボールを楽しんだ。

 矢野家の広大な敷地には、バスケットゴール、プールやテニスコート、フィールドアスレチック、更には『哲学の小径』と銘打たれた森林浴の散策コースまであった。

 久しぶりに野球を離れ、頭を空にして目いっぱい身体を動かし、心の底から笑って遊んだ。まるで小学生のように。


 桔梗様ともすっかり打ち解け、大げさでなく本当の姉弟のように親しくなれた。気心が知れると、案外話の合う相手だとわかった。

 桔梗様は俺に言った。「これからは私を『お姉様』とお呼びなさい」と。

 実際に彼女をそう呼んでいるのは専ら二年生と一年生の女子である。同級の三年生や下級生の男子は尊崇の念を込めて『桔梗様』と呼ぶ。

 しかし、『お姉様』呼びを許されたとはいえ、人前では恥ずかしくて女子と同じように呼ぶことなど俺にはできない。



「今日はとても楽しかったです。……お、お姉様、キャプテン」


 非日常的な時間は心身のリフレッシュに有効だった。


「明日からまた、ふたりとも野球の練習しっかりがんばってね」

「「 はい !」」

「マネージャーになれなくても、私はこれからも野球部に尽力するつもりよ。早速だけど、今のチームに欠けてるものは打力、って凛ちゃん言ってたわよね」

「他にもいろいろ問題はあるんだけど、やはり一番のウィークポイントは打力かな。せっかく得点のチャンスが来ても決定打が出なければ勝てないからね」

「実はそれを補う人材に心当たりがあるの。謂わば切り札的存在ね。近いうちに連れて来れるかもしれないわ。期待しててね」


 そう言って、桔梗様は自信に満ちた笑みを浮かべてサムズアップをした。




 帰りは矢野主将に洋人のマンションまで送ってもらった。

 変態呼ばわりしたことをきちんと謝りたいのだ。


 行きは893と勘違いしてパニックに陥った所為もあり、初めて乗る高級車ベンツのハイソサエティな雰囲気やら主将の真の姿やら諸々に圧倒されて縮こまっていた俺だったが、帰りの車中は平常心でいられた。


 それにしても、自分の身近に漫画でしか見たことのないような超大金持ちがいたとは吃驚仰天だった。しかも、それが部活の先輩だったというから驚きを通り越して唖然茫然だ。

 当の矢野主将もそんなことをおくびにも出さない。なので、たとえ姓が同じであっても、彼がまさか矢野財閥の御曹司だとは思いもしなかったのだ。

 しかし、それを知ったからといっておもねる気持ちはない。主将はそういう態度は好まないだろうし、俺も今まで通りに接したい。実際、桔梗様は勿論、周囲の先輩たちも自然体だ。皆、主将の人間性を慕って集まって来ているのだ。


「じゃあね、龍くん。また明日」

「キャプテン、お世話になりました。ありがとうございました!」 



 * * *



「ヒロ……俺だよ」


 合鍵で部屋に入り、おそるおそる洋人に声をかけた。

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