第15回 朝練と部室 de ティータイム
週明けから朝練が始まった。
初日とあって全員やる気と緊張感で引き締まった面構えで臨んでいる、かと思いきや全くそういうこともなく、ほとんどの部員は寝ぼけ眼にローテンション。俺も欠伸が止まらない。
これが、われら百合ヶ丘高校野球部の現状だ。本気で甲子園を見据えている高校とは雲泥の差、月とすっぽん。否、すっぽんに失礼だろう。
「気合い入れろー。ロードワークに出発だー!」
監督の洋人は元気いっぱいだ。自ら先頭を走るらしい。
睡眠時間は俺とさして変わらないはずなのに、謎だ。
「さぁ、みんな、監督に続けーっ!」
さすがに矢野主将は高いテンションを保っている。
「菊池副将、
「は~い」
いささか間の抜けた菊池副将のハイトーンボイスでスタートが切られた。
広大な百合ヶ丘学院の敷地を抜けて外周を回り、道を隔ててしばらく行った所にある水景公園の大濠を囲む周遊道を二周して戻るという、約5kmに及ぶコースだ。
他の部も朝練を開始していた。
女子ソフトボール部がシートノックをしている横を通り過ぎながら、俺は無意識のうちに桔梗様の姿を追っていた。
美女揃いのソフトボール部員の中にあって、ひときわ目を惹くオーラを放つ人物がいる。言うまでもなく、桔梗様である。
気がつけば、他の野球部員の目も桔梗様に釘付けになっている。ただ美しいからというだけでなく、彼女がマネージャーになってくれるはずだったのに、という未練心もあるのだろう。
俺の場合はさらに、似た顔でありながら男の俺よりもはるかにクールなイケメン系である彼女への憧憬と羨望が入り混じる。たとえ外見が似ていても、中身が違うとこうもはっきり差が出るものかと愕然とする。
誰もが憧れ敬う完璧な桔梗様に比べると、俺は彼女の足元の土中のバクテリアのようなものだ。
しかし、彼女にとっては、こんな俺でも
『つくづく、男の君がうらやましいわ』
この発言に込められた真意は、後に矢野主将のカミングアウトで明らかになった。
期せずして形成された三角関係。俺は張り合う気などさらさらないのだが。
ロードワークの後はストレッチとシートノック。そして、俺は矢野主将を座らせての投球練習だ。みっちり五十球を投げ込んだ。
「おつかれさまでした!」
「――したっ!」
少々だらけ気味に始まった初日だったが、終わってみれば思いのほか密度の濃い練習となった。
「龍くん」
着替えを済ませて教室へ行く途中、矢野主将に呼び止められた。
「今日、昼休みに部室で会えないだろうか?」
「会って……何をするんですか?」
まさか、いつぞやの続きを要求されないとも限らない。俺は警戒心も露わに訊き返した。
「ただのお茶の誘いだ。君とふたりでケーキでも食べながら語り合いたいのだよ」
いつもと変わらぬさわやかな笑顔で矢野主将は答えた。
またしても俺の口に付いたクリームを舐めたいのでは? はたまた俺をケーキに喩えて、この身体を所望か!? 笑顔に掩蔽された肉欲は決して看過できない。
矢野主将、やはり策略家であった。ケーキで釣る気だ。
「弁当食べ終わったら速攻で部室に行きます!」
そして俺はまんまと引っ掛かる。
昼休み。
主たる目的は主将との話し合いだ。俺には明確に意思表示すべき重大事項がある。いくらバッテリーとはいえ、身体まで一体になるつもりはない、と。
それにしても『スイーツは別腹』とはよく云ったものだ。ちなみに、今一番食べたいのはイチゴのショートケーキだ。あのスタンダードなフォルムを思い浮かべただけで早くも涎が満ちてきた。
「ちわーっす。……えっ?」
部室に着いて驚いた。
「おお、龍くんも来たのか」
俺を見るなり声を上げたのは、鼻の頭に黄金色のクリームを付けたマヌケ面の菊池副将だった。
「ちょっと遅かったね。モンブランはもうないよ~」
そこでは、矢野主将と先輩部員たちによる茶話会が催されていた。
「すまない、龍くん」
困惑の色を浮かべて矢野主将は申し訳なさそうに言った。
「ケーキを仕入れた現場を菊池くんたちに目撃され、このようなことになってしまった。モンブランはなくなったが、イチゴのショートケーキは死守した」
「イチゴの……! 十分っすよ。俺はそれさえあれば。あっ、それと……キャプテンの笑顔」
最後に付け足した言葉はかなり恥ずかしかったが、俺の好みを把握してくれていた上に、先輩たちの獰猛な食欲からイチゴのショートケーキを守り抜いた矢野主将への謝意を示すリップサービスは欠かせないと思った。
「では龍くん。これを食べたまえ」
「ありがとうございます。いただきます!」
俺はいつものように最も鋭角的な部分からイチゴが乗っているぎりぎりの箇所までフォークで掬い取り、思いきり口を開けて頬張った。
旨いっ!
甘くまろやかなクリームとしっとりした柔らかなスポンジで途端に心と口腔が満たされる。一噛みすれば、生地に挿まれたスライスイチゴの弾けた酸味がアクセントとなって味蕾を刺激する。それはさながらファンタジスタのアシストのように俺の至福エリアに斬り込んで来る。って、俺はいつからサッカー部員になった?
「矢野きゅん、ガトーショコラある~?」
「自分で冷蔵庫の中を見てくれ」
「僕、フルーツタルト食べたい」
「冷蔵庫にあったと思う」
「フォンダンショコラは?」
「勝手に探してくれ」
「ブランデーケーキ……」
「ない」
菊池副将、松井先輩、山口先輩、安河内先輩が口々にケーキをリクエストするも、矢野主将は素っ気ない返事で彼らをいなす。
「龍くん、おかわりは何が欲しい? 僕が皿に盛ってあげよう」
「あ、俺も自分で……」
俺にだけ親切な対応の矢野主将。
こうまで尽くしてくれる主将に、俺ははっきりとNOを告げなければならないのだ。
しかし、今はとてもその状況にない。
菊池副将たちの思いがけない介入によって生じた猶予は、果たして吉と出るのか凶と出るのか。
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