第14回 実家を出る?

「あははははっ、それを信じたのか? 亜斗里、おまえ本当に何でも真に受けるやつだな。素直すぎるっていうか、単純っていうか、マジかわいい!」


 その日の夜、俺は洋人に昼休みの出来事を話した。

 但し、洋人の様子を覗き見したことや中学生たちに嫉妬したことは伏せた。


「俺はいつだって真剣に生きているんだ。だから、俺に冗談は通じないぞ」


 何でもすぐに信じ込んでしまうこの性質には、自分でもうんざりしている。そのうち悪い人間に騙されて、良いように利用されかねない。

 何らかの不利益をこうむる虞のある話は、まず疑ってみることも大事だ。そういう意味では、今回のことは良い教訓になった。


『避けては通れない道』などなかったのだ。

 とりあえず俺の身の安全、テーソーなるものは守られることになった。これでひとまず安心と思いたいところだが、結局、俺は矢野主将に嵌められたのか。それとも彼の思い込みか間違った認識だったのか。いずれにせよ、矢野主将にはっきりと言わねばなるまい。バッテリー間で肉体の疎通を図る必要などないのだ、と。


「だけど参ったなぁ。矢野くんが亜斗里のことを好きだったとは。こりゃあ、手強いライバルが現われたもんだ。どうすっかなぁ~」


 全く参っている様子もない暢気のんきな口調だ。むしろ楽しんでいる節さえある。

 少しくらい心配しても良さそうなものだが、洋人のこの憎たらしいほどの余裕は、俺を信じきっていることの顕われなのだと思うと許せてしまう。


「俺はヒロひとすじだ」


 所詮、何人なんぴとたりとも洋人のライバルにはなり得ない。


「それ、信じていいのか?」

「あたりまえだ。俺は信頼に値する漢だ」

「かっこいいぜ、亜斗里」

「もっと褒めて良し」

「綺麗だ」

「それは褒め言葉じゃない!」

「好きだ、亜斗里」

「お……? おぅ、俺も」

「おまえは俺だけのものだ」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ」

「ああ返せ。言ったのはこの口か。ん~っ」


 唇を押し付けるだけのふざけたようなキス。

 洋人の中にある俺への想いというものが何なのか、未だにわからない。

 弟? ペット? それとも、恋人?


「それでヒロは? まさか、バッテリーを組んでいたキャッチャーとそういう関係には……なったりしてないよな?」

「うむ。少しでもおまえに似てたら、こちらからお願いしたかもしれないな。でも、おまえほど綺麗なやつなんて、そう滅多にいない」

「もうっ! 男にそんな言い方おかしいって。それに、実物がここにいるんだから、わざわざ似てるやつにお願いしなくてもいいだろ。顔さえ似てればいいっていう気安さが俺には理解できないよ。キャプテンもヒロも。ふたりとも何か間違ってるよ」

「気安さとはちょっと違うな。男は……まぁ男に限らないだろうけど、好きになるタイプというのがあってだな、特に矢野くんの場合は、水無瀬さんに似ているおまえが同性だから、彼にとっては性の対象になり得るってことじゃないのかな」

「心では桔梗様を愛していながら、身体は俺を……?」

「はっきり言ってしまえば、たぶんそうだろう。人間はいろいろと複雑なんだ」

「そんなの……なんか、やだ」


 ひとりの人間でありながら、心と身体がそれぞれ求めるものが違うということがあるのだろうか? 全く以って俺の理解の範疇を超えている。

 心と身体と魂で愛し合う相手にこそ、俺はこの身を捧げたい。


「俺の場合は……あっ、そうだ! それでだな、俺、実家ここを出ようと思うんだ」

「はぁ!? 脈絡が……! いきなり、どうしてそうなるんだ? 肝心なところ、はぐらかすな……ってか、実家を出るってどういうことだよ!?」


 急に話が変わって、突然何を言い出すかと思えば、実家を出て行くだと!

 洋人はいつも唐突だ。そう言えば矢野主将も。


「実家は居心地はいいんだが、行動が制限されるだろう。親の目とか耳とかあるし。

 俺の言ってる意味、わかるよな? こうしてふたりきりになれても、完全なふたりきりとは言えない。あの最悪のシナリオが現実のものになるかもしれないだろう」

「それは、そうだけど。でも……」

「俺ももう社会人だし。いい機会だから独立しようかな、なんて」

「何処に住むつもりなんだよ?」

「それはこれから、親父さんとお袋に相談して決める」

「親に相談しなきゃ決められないくらいなら、独立なんて無理だろ。やめとけよ」


 ようやく此処ここに帰って来たばかりなのに、また離れて暮らすなんて俺が耐えられない。

 洋人がいない夜は寂し過ぎて、きっと眠れなくなる。そして泣く。……洋人がいても泣くけど。実際、四年前に洋人が実家を離れてしばらくの間、俺は毎晩、布団を被って泣きながら寝たのだ。


 確かに洋人が言うように、親元にいてはいつまで経っても俺たちは結ばれないかもしれない。だが、俺は洋人に一人暮らしをさせる方が心配だ。


「亜斗里、俺を信じろよ」

「だったら信じさせろよ」

「高校生になったおまえは大人っぽくなって一段と綺麗になった。俺はそんなおまえにメロメロなんだ」

「メロメロとか……ウソっぽい」

「ウソじゃない」


 そう言うと洋人は俺のパジャマのボタンを外し始めた。

 また、いつものように気持ち良くして俺を黙らせる気だ。こういう時、パジャマを脱ぐのは俺だけだ。


「ヒロも脱げよ」

「ダメだ。防波堤を取るわけにはいかない」

「布切れ一枚が防波堤? そんなに俺に何も感じないのか? さざ波のひとつも立たないのかよ!」


 日頃から何だかんだ理由を付けて洋人が何もしないことに苛立っていた俺は、つい声を荒らげた。


「亜斗里……」

「いいって言ってんだよ! 俺が声を出せないようにガムテープで口を塞げばいいじゃないか!」

「ばかなことを……ああっ、俺の可愛い亜斗里、神様がくれた弟、かけがえのない存在。おまえにそんなことまで言わせてしまって、ごめん」


 洋人は俺を抱きしめた。

 その声と言葉と抱擁の温もりにほだされる。


「べつに、謝らなくても……」

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