第11回 『おまえが欲しい!』

「亜斗里、すごい球投げるようになったな」


 一日の終わり。


 いつものように俺は洋人とベッドでくつろいでいた。

 胸に寄り掛かる俺の頭を洋人がまったりと撫でてくれる。その心地良さは言葉にできない。

 もしかしたら、御主人様に撫でられる猫はこんな感覚を味わっているのか。だとしたら、俺は今、猫だ。では、喉を鳴らせば良いのかな?


「ゴロニャ~ン♪」



 久しぶりの投球練習で身体が重怠おもだるい。あれから調子に乗って六十球近く投げ込んだ。繊維の修復を待つ筋肉が今日のワークは終わりとばかりに、完全に動きを停止している。

 さらに、洋人のF分の一に揺らぐ甘い癒しの声が眠気を誘い、ともすれば俺の瞼は閉じようとする。


「ボールを握った時……つい、嬉しくなって夢中で投げたんだ」


 洋人に教わった通りに。ただひたすら洋人が好きだから。その想いは、そのまま俺の野球愛に繋がっている。


「球速130……いや、最速で140km/hキロは超えてたんじゃないか? こんなにも成長していたおまえを今まで見られなくて残念だった。でも、これからは毎日見られる。楽しみだ。亜斗里……っ」

「んっ……!」


 突然、キスが降ってきた。

 俺の投球について、もっと話をしてくれるのかと思いきや、性急さに不意を突かれた。

 否、待てよ。洋人には会話を長引かせたくない意図があるのかもしれない。たとえば、桔梗様の件とか。彼女のマネージャー就任を断った理由は、あの正論が全てだろうか? それとも……。


「おまえの全身が見たい。隅々まで、じっくり見せろ」


 洋人はパジャマを脱がせて俺をうつ伏せにした。


「いやだ、って……ヒロ」


 また言わされた。

『いやだ、ヒロ』は矢野主将に聞かれてしまった譫言うわごと

 しかし、今回は真意が違う。謂わば艶声だ。気持ちとは裏腹の『いやだ、ヒロ』

 本音は、『もっと、ヒロ』


「いい腰だ。ピッチャーは腰が命だ。この張りがいい」


 洋人が俺の尻をずっと撫でている。時折り、双丘にキスしたり舌を這わせたりしている。

 どうせ何もしないくせに。また今夜も生殺しか。

 俺は半ば諦観の境地で身を委ねる。


「ん……何?」


 まさかと思う出来事。それは唐突に訪れた。


「ごめん……っ、亜斗里」


 切羽詰まったような洋人の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、世界が崩壊した。


「……!? ぎゃあああああ―――っ‼! しっ、死ぬゥうううっ‼」


 あまりの衝撃に、俺は身も世もあらぬほどの悲鳴を上げた。


 何が何だかわからないまま、俺たちは激しく揺れていた。

 心の準備も何もあったものではない。油断していたとか、そういう問題でもない。

 ただ、突如として予期せぬことが俺の身に起こったのだ。当然、パニックに陥る。


「あああぁ―――っ‼ ぎゃああああ―――っ‼ 死ぬゥ‼」


 絶叫が止まらない。俺は泣きながら『死ぬゥ』を連発した。

 ひたすら気も狂わんばかりに叫び続けた。


「亜斗里、許せ。もう我慢できなくなったんだ。おまえが悪い。可愛過ぎるおまえが悪いんだ。ただでさえ脆い俺の理性は完全にぶち壊れた。おまえが欲しい!」

「ヒロ……な、なに言って……るんだ」


 これが俺の待ち望んでいたことか? 

 違う! 何か、違う。


 そうこうしているうちに、ついに恐れていた事態が勃発した。それは起こるべくして起こった。


「どうした!? 亜斗里!」


 父の声だ。

 部屋に近づいて来る。


「亜斗里ちゃん! 洋人! 何があったの!?」


 続いて義母の声。


 両親が息子たちの部屋へ来ようとしているのだ。


 嗚呼、運命の神モイラは一家全滅の序曲を奏で始めた! って、俺は詩人か。


「亜斗里! 洋人っ! 大丈夫なのか!?」


 とうとう父と義母が俺たちの部屋に踏み込んで来た。


「ああっ‼ 何をしてるんだ!? おまえたち‼」

「洋人! なんてことを‼」


「違うっ……違うんだぁ―――っ‼」




「違うんだぁ―――っ‼」

 俺は自分の声で目を覚ました。

「……夢……? 夢だったのか、今の」


「ん……亜斗里? 寝ぼけたのか?」


 隣で洋人も起きた。


「怖い……夢……見た」


 ある意味、とてつもなく怖い夢だ。これ以上の悪夢があるだろうか。

 この夢の続きは、父が激昂して洋人に襲い掛かり、洋人は応戦して父を殺す。義母は責任をとって切腹。洋人は死刑ギロチン。俺は市中引き回しの上、社会的に抹殺される。

 洋人から聞いていたのは、確かそういう悲劇的結末だった。


「なんだ、夢を見たのか。おまえ、『ゴロニャ~ン♪』って言ったきり、そのあと爆睡してたもんな。デカい猫に追いかけられる夢でも見たか?」

「……忘れた」


 忘れたいような、でも、憶えていたいような夢だ。

 結局、自分の願望を夢に見たということなのか。洋人の台詞も然りだ。俺は洋人に言われたいのだ。『おまえが欲しい!』と。

 もっとも、俺の悲鳴を聞きつけた親に、現場に踏み込まれるのは御免蒙りたいが。


「亜斗里、こっちに寄れ。腕枕してやるから」

「うん」


 悪夢に怯える弟を宥める優しい兄。

 俺たちは血こそ繋がっていないが、部屋を共有しベッドも共にするほど仲の良い義兄弟だ。

 ふたりはいつも抱き合って眠る。ただ抱き合って眠る。

 俺たちはそれ以上のものにはなれないのか。身も心も結ばれて、恋人同士に、俺はなりたいのに。


「俺がついているから、安心しろ」

「……うん」

 

 安心、か。

 俺はいつも不安で堪らない。洋人が他の誰かのものになってしまったらどうしよう、と。

 夢で見たように、理性などかなぐり捨てて俺を激しく求めて欲しい。

 そして完全無欠に融け合えば、俺たちはきっと盤石の関係になれる。


「ヒロ」

「ん?」

「強く抱いて」

「こうか?」


 しなやかな腕が俺を抱き寄せる。

 俺たちは身体を密着させて眠る。寸分の隙間もないほどに。何人たりともそこに入る余地はない。


 好きだ、洋人。全身全霊で愛している。俺の想いを知れ。


「もっと。もっと強く、抱きしめて」


 この腕の中にいて良いのは俺だけだ。そう信じさせてくれ。

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