第12回 豹変

 翌日。

 昼休みの時間。


 俺は中等部の校庭に足を運んだ。目的はもちろん洋人だ。

 天気の良い日は外で生徒たちと遊ぶことが多いと聞いていた。そんな洋人の様子を覗いてみたかった。そう、俺はストーカーだ。


 バスケットゴールの付近で、ひときわ賑やかに盛り上がっているグループがあった。男子女子混合の結構な人数の生徒たちでバスケットボールをして遊んでいた。

 その中心に洋人がいた。

 シュートが決まる度に敵味方関係なく生徒たちが洋人に駆け寄り、ハイタッチやハグなどで頻繁にスキンシップをしていた。皆、弾けるような笑顔だ。って、俺の洋人に触り過ぎだろ!


「ぐぬぅ!」


 中坊相手に嫉妬心全開だ。俺のヤキモチはとどまるところを知らぬ。


 親指の爪をガシガシ噛みながら悶々と彼らの様子を窺っている最中だった。

 突然、何者かに肩を叩かれた。


 血走った眼でぐるんと振り向くと、そこにいたのは、矢野主将だった。


「キャプテン!」

 挙動不審な仕草を見られてしまったのではなかろうか!? 

 落ち着け、俺。ここは無難に挨拶で誤魔化す。

「あの……ちわっす」


「こんにちは、龍くん。こんな所まで、散歩?」

「えっと、はい。キャプテンも?」


「……うん」

 一瞬バスケットゴールに視線を向けて、矢野主将は頷いた。

「そうだ、龍くん、五時間目が始まるまでにはまだ時間があるようだし、良かったら部室に行かないか? お茶を淹れてあげるよ」


「お茶、ですか」


 別段お茶など飲みたい気分ではなかった。

 俺は渋った。お茶だけに。……。


「部室の冷蔵庫にケーキがあるんだ」

「行きます!」




 部室に着いて、矢野主将が用意してくれたモンブランと紅茶に舌鼓を打ちながら、俺はふと思ったことを訊いてみた。


「あの……キャプテン? もしかして、桔梗様のことで監督に話があったのでは?」

「監督の言うことは正しい。決定には従うよ。少し残念だけど」


 向かいに座って紅茶を飲んでいた矢野主将は静かにカップを置き、力なく首を振った。

 なんだか覇気がない様子だ。


「桔梗様はキャプテンの大事な女性ひとなんですよね。希望を叶えてあげたかったでしょう?」


 おそらく矢野主将は愛する幼馴染みのために、この百合ヶ丘高校に進学し、必死の思いで野球部を創ったのだろう。ひとえに、桔梗様を甲子園に連れて行くために。

 実際には行けないまでも、その可能性を懸けて頑張るつもりだったに違いない。


「小さな頃から大の仲良しだったんだ。現在いまも、そうだが。いつも二人でキャッチボールをして遊んだ。高校生になったら一緒に甲子園に行こうと誓った。

 桔梗様と僕は互いに慈しみ合っていて、双方の親たちは将来僕たちが結婚することを望んでいる。

 桔梗様も『大人になったら凛ちゃんのお嫁さんになる』と言ってくれていた。僕も将来は桔梗様と結婚する、と自分に言い聞かせていた。でも、気づいたんだ。いや、僕たちはとっくに気づいていた。……違う、ということに」

「違うって、何が違うんですか?」


『違うんだぁ―――っ!』と絶叫した夢の中の俺とは対照的に、唸るように静かに語られた矢野主将の『違う』の意味とは?


「僕はね……」

 言いかけて止め、矢野主将はじっと俺を見つめた。

「クリームが」


 主将はそう呟くと身を乗り出して俺の顎を指で支え、顔を近づけてきた。

 反射的に目を瞑ると、一瞬、唇に生温かな濡れた感触があった。


「……!? えっ?」


 自分の身に何が起こったのか思考が追いつかなかった。


「すまない。込み上げる衝動に抗えなかった」

「なっ、なんすか? それ」


 今、俺は何をされた? 聞き返す声も裏返るほど狼狽えた。

 込み上げる衝動 !?


「クリームが付いた君の唇に、僕は欲情した」


 矢野主将の瞳が、熱っぽく俺をロックオンした。


「よりによって男の俺に欲情しなくても、キャプテンには桔梗様という俺なんかより何億倍もマジで綺麗なフィアンセがいるじゃないですか」

「違うんだ」

「だから、何が違うんですか? 桔梗様はフィアンセじゃないんですか?」

「違うのは、僕だ。何が違うのかというと、僕の恋愛の対象は女性ではないということだ。女性を愛せないんだ、僕は。桔梗様もそれを知っている」

「ええっ!?」


 驚天動地のカミングアウトだった。


「初めて君を見た時、桔梗様が男になって現われたのではないかと錯覚したよ」

「えっ? えーっと……」


 俺の脳は考えることを拒否した。つまり、頭が真っ白という状態だ。


「一目で好きになった。桔梗様に似ている君を」

「ただ似てるからって、それはちょっと……」

「君は僕が嫌いかい?」

「そういう問題じゃなくて、ですね……」


 怖くなって俺はフォークを置いて席を立った。

 すると矢野主将も立ち上がり、俺の側に寄って来た。


「龍くん、君が欲しい!」

「ひぇ、ええ――っ!?」


 部活の主将がホモで、下級生を部室に連れ込んで関係を迫る!? 

 こんなベタなBL漫画 (!? 読んだことはないが) みたいなことが現実に起こるわけがない。したがって、これは夢だ。これこそが夢だ。

 本当は今は五時間目で、俺は例によって居眠りをしているのだ。授業はたぶん古典あたりだろう。古典の時はコテ~ンと寝てしまうからな。って、つまらんジョークで現実逃避を図ろうとしている場合ではない。

 はっ! 夢と言えば、思い出した。

 嗚呼、洋人の『おまえが欲しい!』の方が現実だったら良かったのに。そして、矢野主将の『君が欲しい!』が夢であってくれ。否、だからこれは夢。

『おまえが欲しい!』『君が欲しい!』『おまえが欲しい!』『君が欲しい!』

 頭の中で洋人と矢野主将の言葉が際限もなく交互にリフレインされる。次第に、夢と現実の境界がぼやけていく。


「龍くん!」


 矢野主将に腕を引き寄せられ、俺は現実に戻された。


「あっ!」


 一年生と二年生の体格差を、この時まざまざと思い知った。俺は易々と矢野主将に捕えられてしまったのだ。


「キャプテン! ここは神聖な部室ですよ」


 矢野主将の倫理観念に訴えかけた。たとえ夢の中といえども俺は活路を求める。


「愛の告白もその行為も、神聖なものだと僕は思っている」

「神聖って言うよりエロに近いでしょう。ってか、エロそのものですよ」

「それはあくまでも君の考えだよね。僕はそう思ってはいない。愛しき者と肉欲を交歓することは聖なる儀式だ」

「性なる……!? 肉欲 !? いやっ、さわやかなイメージのキャプテンの口から出る言葉じゃないでしょう!」

「失望したかい?」

「っていうより、ギャップが激し過ぎますよ」

「ではギャップに萌えてくれ」

「いやっ、萌えを強要するとか……むぎゅゥ~」


 抱きしめる腕に力を込める主将。

 何とか逃れようと足掻く下級生。

 ここでヒーローの登場をこいねがう。あの部室のドアを蹴破って、洋人が助けに……!

 などというドラマチックな展開になるわけもなく、俺は囚われの身のまま為す術もない。


「桔梗様をマネージャーにすることも、彼女のあの清く美しい身体を抱くことも、僕にはできないんだ」

「だからって、俺を抱かなくても……!」

「ダメかな?」

「ダメです!」

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