第8回 最悪の悲劇とは

「亜斗里、ドライブしよう」


 養護教諭に挨拶をして保健室を出ると、突然、洋人がそんなことを言い出した。


「急に、何?」

「ふふん、聞いて驚け。今日は車で来てるんだ。せっかく運転免許を取ってもペーパードライバーじゃだめだから時々乗って行け、って親父さんが言ってくれて。それで今朝は親父さんを駅まで送って、俺はマイカー出勤ってわけ。マイカーって言っても俺の車じゃないけどな」


 職員専用の駐車場には、車体の前後に若葉マークが貼られた父の白いアルファードがあった。


「なんだか緊張する。ヒロが運転する車に乗るの初めてだから」

「そう言えばそうだな。亜斗里、あんまり緊張するなよ。伝染するから」

「今朝は無事に学校ここまでたどり着いたんだろ? だったら、大丈夫……だよね」

「う、うん。……ヤバい。手汗ハンパない。緊張してきた!」

「ええーっ!」

「死ぬ時は一緒だ」

「いやだーっ!」



 はらはらドキドキの、洋人とのドライブが始まった。

 目的地は、愛しの我が家だ。



「あ……ヒロ、俺が吐いたのを……ありがとう。残りを吸い出してくれたって、キャプテンから聞いた。ごめん、あんな汚いものを……」

「可愛い弟のゲロだろ。汚いなんて思うかよ。それに、謝るのは俺の方だしな。昨日おまえを寝かせなかったから。完全に寝不足だったろ? 授業中寝なかったか?」

「五時間目は相当危なかった。ってか、たぶん寝てた。何の授業だったか思い出せないもん。……あっ、それよりもっとヤバいことが……」

「何だ?」

「俺が保健室でうなされてる時に言ってたヤバい譫言、キャプテンに聞かれたんだ。『いやだ、ヒロ』っての」

「それは! ……あははっ、それはヤバいな」

「笑いごとじゃないんだからな。適当にはぐらかしたけど、絶対何か勘づいてるよ、キャプテン。ああ見えて結構頭が切れるんだ」


 矢野主将はただのさわやかな天然系ではない。昨日俺が食べ残したケーキの種類をしっかり憶えていた。さらに、リュウアトリを漢字でどう書くのか教えて欲しいと言いながら、ちゃっかり入部届にサインをさせたりと、観察力がある上に抜け目がないのだ。


「まぁ、確かにそうだろうな」

「譫言にも出るくらいトラウマになってるんだよ。ヒロ、俺もう子どもじゃないんだからさ。このままじゃいやなんだ」

「亜斗里……俺たちには、もっといろいろ越えなきゃならないハードルがあるんだ。それはな……」

「もういいよ。そんなこと聞きたくない」


 洋人と俺が一線を越えるまでの障害が増える話など、誰が聞きたいものか。


「考えてもみろ」

 洋人は構わず話を続けた。

「あんなデカいものが、あんな小さい穴に入るんだぞ」


「だ、だから何だよ?」

「普通は、死ぬ」

「ええっ!?」

「おまえは死ぬ覚悟はできているのか?」

「そんな……!」


 知らなかった! そんなリスクがあるとは。

 男同士が結ばれることは命懸けなのか!?


「たいてい『死ぬゥ~♡』って絶叫するんだ」

「……その『死ぬ』かよ」


 真剣に聞いた自分がバカだった。全く、俺は自分でもあきれるくらい信じやすい性質なのだ。これを素直と言うか単純と言うかは明確にしたくない。


「おまえも例外ではないだろう」

「俺はそんな絶叫はしない」

「いや、する。俺は関係した全ての人間を絶叫させてきた」

「自慢か」

「そこでだ、おまえの声を聞きつけた親父さんとお袋は何事かと慌てて俺たちの部屋に来る。きっと来る。その時、俺たちはコトの真っ最中。さぁ、どうなる?」

「完全にアウトだろ、それ」


 想像すらしたくない図だ。釈明の余地などない。


「そう、ストライク・バッターアウト! それこそマズいことこの上なしだ。お袋はショックで卒倒し、親父さんは怒り狂って俺を殺すかもしれない」

「修羅場だ」


 男手ひとつで俺を大事に育ててきた父は、怒りも露わに猛然と洋人に立ち向かうだろう。それは親として至極あたりまえの行動だ。


「だが、俺だって無抵抗のままあっさり殺されるつもりはないから、当然反撃する。そうなったら親父さんには悪いが、たぶん俺が勝つ。それだけならまだいいんだが、もしかしたら弾みで親父さんを死に至らしめることになるかもしれない。

 そんなことにでもなれば、お袋は強く責任を感じて自ら命を……。俺は逮捕され、裁判にかけられる。判決は言うまでもない。義理の弟を強姦し、継父を殺した罪でほぼ死刑は免れないだろう。俺は控訴しないから刑はすぐに執行され、断頭台の露と消える」

「今どき断頭台!? なっ、なんて恐ろしい、最悪の、しかも極端なシナリオ……」


 俺は只々震え上がった。


「わかったか、亜斗里。怖ろしいことになるんだ、俺たちが一線を越えると」

「俺以外の家族がみんな死ぬ!? 生き残った俺だって、どのつら下げて生きればいいのか……いや、そうなったら、むしろ生きていたくない」

「この事件はセンセーショナルに報道され、ワイドショーの格好のネタになる。

 何と言っても犯人はかつての甲子園のスーパースターで中学教諭にして高校の野球部の監督でもある龍洋人だ。犯された義弟は美形の高校生。しかも野球部のエース。

 おまえは晒しものにされ、社会的に抹殺される。結局、一家全滅だ」

「最悪の悲劇だ!」


 再び眩暈が俺を襲ってきた。



 義兄弟が一線を越えると、家族が崩壊するどころか、全滅する!?

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