第3回 父と義母と義兄と俺と

 りゅう洋人ひろと、七歳上の俺の義兄あに

 七年前、親同士の再婚で俺たちは兄弟になった。当時、洋人が十六歳で俺が九歳だった。


 その頃、洋人は一年生エースとして甲子園大会に出場し、めざましい活躍ぶりと華麗なルックスから一躍日本中の人気者アイドルになった。


 甲子園のヒーローが自分の兄! 

 この棚ぼた的僥倖に小学生の俺は有頂天だった。

 当然、ヒーローに夢中にならないわけがない。

 好きっ! 大好き‼

 そんな思慕の念を全身から発して、いつも義兄を追いかけた。


 やがて、俺も野球に興味を持つようになった。

 何と言っても、俺にはマンツーマンで指導してくれる最高の師匠がいた。

 甲子園のヒーロー・龍洋人。野球の何たるかは、全て彼から教わった。

 その甲斐あって、俺は中学で野球部に入ると一年生でレギュラーになり、二年生からはエースとして鳴らした。

 しかし、洋人が実家から遠く離れた大学に進学し、離ればなれになってからは、俺は次第に野球への情熱を失いかけていった。

 俺にとっては、洋人の存在そのものが野球に懸けるインセンティブだったのだ。

  


「やっぱり野球を続けることにしたんだな、亜斗里」


 その日の夕食時。

 久しぶりに家族揃って食卓を囲んでいた。


 肉、肉、野菜、肉、野菜、生卵にダンクして、ときどきシラタキ、豆腐とエノキもお忘れなく! と来れば、メニューはすき焼きだ。

 ぐつぐつと湯気を立てる甘辛の煮汁の中に、義母がせっせと白菜を再投入する。

 早くから入れられた長ネギはくたくたに煮えて食べ頃だ。中芯の部分は思いのほか熱いので要注意。

「おっと!」と、父が慌てて肉を足す。

 食欲旺盛な息子たちを持つ親は、すき焼きの時は忙しい。



 洋人は大学を卒業して地元に戻り、国語教諭として百合ヶ丘ゆりがおか中学校に赴任することになった。大学でも野球部に所属していたが、『自分は高校の時がピークだった』と現状を見定め、プロ入りを断念して教職の道を選んだ。

 その選択はあながち間違っていなかったと俺は思う。

 洋人は人にものを教えるのが上手い。中学でエースになれた俺が身を以ってそれを実感している。


 洋人が赴任する百合ヶ丘中学校は百合ヶ丘高校の中等部で、同じ敷地内にある。入学式は高校より一週間ほど遅い。

 彼が実家ここに戻って来たのは、つい昨日のことだった。

 ぎりぎりまで何処で何をしていたのかは知らない。知りたいとも思わない。詮索するだけ、げんなりさせられるのはわかっている。大方、デートのはしごでもしていたのだろう。生活の拠点が実家になれば、好き勝手なことはできなくなる。おそらく、やり溜めに興じていたに違いないのだ。



「あの矢野さんのテンションにされてというか、なりゆきで」


 ケーキに釣られて、という部分は伏せた。


「矢野くんって、一見精悍な感じだけど、よく見ると可愛い顔してるんだよな」


 そう言うと、洋人はにんまりと口元を緩めた。


「だから監督を引き受けたってのか?」


 洋人の唯一の欠点がこれだ。

 見境がないのだ。自分好みのタイプと見るや男女の別なく口説く。そして、口説かれた相手は、ほぼ100%の確率で落ちる。百発百中とはこのことだ。

 だから、洋人は快楽に飢えることがない。


「そういうわけでもないさ。きっと亜斗里も入部すると思ったんだ」

「俺は……休み時間、トイレを済ませて廊下を歩いてたら、たまたま矢野さんに声をかけられたんだ。一度部室に来てみないか、って。そしたら……サプライズか何か知らないけど、ヒロが監督だなんて! 驚いたのなんのって。昨日の今日でいつの間にそういう話になってんだよ? だいたい、中学の先生が高校の部活の監督ってありなの? いろいろ……もうっ、びっくりしすぎて、そのせいで……」

「あははっ、誰かさん、盛大に紅茶噴いてたっけ」

「あの後、せっかくのケーキが喉を通らなかったんだ」

「亜斗里……俺たちが兄弟ってことをみんなに明かさなかったのはどうしてだ? おまえが何も言わなかったから俺も黙ってたけど、ちょっと寂しかったぞ」

「だってマズいだろう。今後何かあったら贔屓とか思われたりするかもしれないし。それに、偉大すぎる兄を持った弟の悲哀なんて味わいたくないもん」


 甲子園のヒーローだった洋人と比較されたり、その弟ということで過剰に期待されるのもご免だった。

 というのは後付け的理由で、本当は、驚愕のあまり思考が停止し、声も出なかっただけである。


「じゃあ、当分秘密にしとくか。矢野くんなんて『苗字が同じだ』なんて言いながら全然気づいてなかったしな。もっとも、俺たち似てないから兄弟とは思われないよな」

「第一、DNAが違うんだよ。俺はヒロみたいにはなれないから期待しないでもらいたいんだよね」


「亜斗里ちゃん、DNAが違うなんて、今さらそんな哀しいこと言わないで」


 笑みを湛えていた義母ははが、急に寂しげな表情で口をはさんできた。


「そうだぞ。そんな哀しいこと言っちゃいかん。洋人と亜斗里はDNA以上の絆で結ばれた兄弟だ。父さんはそう信じている。なっ、母さん」


 寡黙な父までもが義母を擁護した。



 父・誠二せいじと義母・愛子あいこ。ふたりは高校時代の同級生で、当時から互いを憎からず想う仲だったらしい。しかし、進路が分れて疎遠となり、成人してそれぞれ別の人と結婚した。

 やがて時を経て、何年かぶりに開催された同窓会で再会し、焼け木杭ぼっくいに何とやらで現在いまに至るわけである。


 俺の実の母は、俺が乳児の頃に不慮の事故で亡くなった。爾来、父一人子一人の父子家庭。寂しくなかったと言えば嘘になる。

 義母は、洋人を産んですぐに離婚したという。どういう事情があったのかは聞かされていない。

 父も義母も各々乳飲み子をかかえて苦労し、ようやく安心のパートナーにめぐり逢えたということだ。高校の同級生だったというふたりにとっては、回り道の末にたどり着いた約束の相手だったのかもしれない。


 しかし、その回り道があったからこそ洋人と俺が生まれた。親たちが乗り越えて来た苦労や哀しみを無駄にしたくない。

 DNA以上の絆を、俺はずっと大事にする。



「お父さん、俺は亜斗里を心から大事に思っています。弟以上の存在です。これからも、ずっと」


 洋人の言葉に、父と義母は目を潤ませながら顔を見合わせて笑った。



 弟以上。それは、つまり……。

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