第4話 生誕100日目
この世界に生まれてから、約三ヶ月が経過した。いや、三ヶ月というのは地球基準だから、百日目と言う方が正確だろう。
俺は今、ベビーベッドの中で横たわっている。
真夜中なので、俺以外に起きている人は誰もいないだろう。生活リズムはあまり変化していないが、かなり慣れてきた。
この百日間を過ごしてきて、さらにわかったことがいくつかある。眠くなるまでに整理しておこう。
まず一つ目。この家には、俺の祖父が同居している。
祖父といっても、まだ年齢的には四十代後半くらいで、前世の俺の父親よりも若い。たぶん、若年結婚、若年出産が主流の社会なのだろう。ちなみに、俺が祖父だと思っていた人が実は父親で、母親と年の差婚をしている可能性も考えたが、それにしては祖父と母親の顔立ちがあまりにも似ている。二人は親子だと考える方が妥当だ。
祖父とは、生まれてから三日目に初めて出会った。人当たりの良さそうな、柔らかい表情の持ち主だった。その時は、かなりきちんとした服を着ていた。
祖父は、昼間はたいてい家にはおらず、どこかに外出している。働きに行っているのだと思う。服装から考えると肉体労働系ではなく、事務職である可能性が高い。どうやら、この家は祖父の稼ぎで暮らしているようだ。
ちなみに祖母の姿は見ていない。離婚しているのか、あるいは亡くなっているのか……。
また、現時点でいまだに父親は俺の前に現れていない。ちゃんと喋れるようになったら母親に聞いてみよう。
二つ目。どうやら、この世界には物理法則を無視して起こす現象、いわゆる『魔法』があるようだ。
これを初めて目撃したのは、生まれてから三十日ほど経った頃だ。俺が母親に抱えられている最中、突然母親が何かを短く呟いた。すると、次の瞬間、床の埃がまるで風に吹かれたかのように一点にまとめられたのだ。もちろん、家の中に風が吹いているわけでもないし、風を吹かすような道具もその場所には存在しなかった。つまり、物理法則を無視した何らかの能力、すなわち『魔法』を母親が使ったと考えるしかない。
この瞬間、俺はここが前世とは同じ世界ではなく、『異世界』であると確信した。
最初はありえない、と思ったが、ここが異世界だと思えば、魔法の存在もすんなり受け入れられた。そりゃ、前世とは全然違う世界なんだから、魔法くらいあってもいいよな。
俺が最初に見た魔法は、どうやら制御された風を床上十センチくらいまでの範囲に局所的に発生させるもののようだ。これを利用して、母親はしばしば家の中を掃除していた。
とにかく、この世界には魔法がある。もしかしたら、俺も魔法が使えるかもしれない!
体が成長したら試してみよう。
三つ目。やはり、この家には二階があるようだ。
母親は俺を抱えて、よく家の掃除をする。そのときに二階へ上がるのだ。二階には、ドアの数から推測するに、どうやら四部屋あるようだ。
そのうちの一つの部屋は書斎で、分厚い本が所狭しと棚に並んでいた。つまり、幸運にも、この世界には文字が存在し、さらにこの家ではそれにより表現された情報に容易にアクセスできるのだ。本はおそらく祖父のものだろう。近い将来、文字が読めるようになったらここで情報収集しよう。
また、別の部屋は叔母のもののようだ。部屋は先ほどの書斎よりかはおしゃれだった。
あとの二部屋は物置と母親の部屋らしい。ただし、今はあまり使われていないようだった。
四つ目。どうやらこの世界にも学校が存在するらしい。
叔母は普段日中どこかに出掛けているのだが、どうやら学校に通っているらしい。
ただ、この世界の教育システムは基本的に日本とは異なると考えた方が良いだろう。
だが、この世界の情報を得るためには、やはり学校に通うのが一番だ。成長したらぜひ通いたい。いずれ、入学に必要なことを調べる必要がある。
五つ目。母親と叔母、祖父の名前がわかった。
母親の名前はルーナ、叔母の名前はシャル、祖父の名前は、たぶんバルト、だ。ただ、もしかしたら略称かもしれないし、名字はまだわかっていない。そもそも名字があるのかどうかもわかっていない。
ちなみに、俺の名前はフォルのようだ。皆俺を見てそう呼ぶので、たぶん確定だと思う。
今、わかっていることといえばこのくらいだろうか。とりあえず今のところは、以前立てた方針で行動するつもりだ。
生まれてから百日も経つと、体がかなり発達してくる。視力が良くなってものがはっきり見えるようになり、色もわかるようになってきた。そのため、ルーナが実は金髪で、シャルが実は茶髪だということもわかった。
直近の一番大きな成長は、首がすわるようになったことだ。つまり、頭の重さを自分で支えられるようになり、自分の意思で頭を左右に動かすことができるようになったのだ。
これはとても大きい進歩だった。なぜなら、自分の意思で頭を動かせるようになったことで、俺の見える範囲が格段に広くなったからだ。これで、この世界の観察がこれまでの何倍も捗るだろう。
前世の高校の家庭科の授業では、この後は寝返り、這いずり、ハイハイの順にできるようになる、と習った。ハイハイができるようになるまでは、平均で八ヶ月ほどだったはずだ。俺は早く情報をゲットしたいので、この世界での乳幼児の発達と俺の体の発達が早いことを祈るばかりだ。
今のところは、ルーナに抱えられないと行動できないので、周りをひたすら観察するか、言語をひたすら聞いて理解できるようになるかのどちらかしかできない。最近は家や人を観察しても新しい情報があまり得られないので、言語の習得に集中している。そのおかげか、いくつかの言葉はなんとなく意味が理解できるようになった。
最近はどんどん暖かくなりつつある。この世界に四季があるのかどうかはわからない。一年の日数もわからない。
また、俺の中から男としての羞恥心がほとんどなくなってきている。この世界で女に生まれ、女に囲まれた生活をしているからだろう。
ルーナと一緒にお風呂に入るのも、母乳をもらうのももはや恥ずかしくない。もしかして、俺ってちょっとやばい領域にいるんじゃ……いや、そもそも俺は男じゃないし、赤ちゃんだ。赤ちゃんとして当然のことをしてもらっているだけなので、何も恥ずかしがる必要はない。
それにしても、ルーナは巨乳だ。俺も成長したら、ルーナの巨乳遺伝子を受け継いであのくらい大きくなるのだろうか。
とにかく、俺は一刻も早く自力で動けるようになりたい! そのために、これからも体を動かす訓練を積んでいこう。
俺は姿勢を変えようと手を動かす。
ゴン!
グオッッッッ! 腕をベビーベッドの柵に思いっきりぶつけた。ぶつけたところがじんじん痛む。思わず涙目になるが、泣くのは堪える。
「フォル?」
やばい、ルーナが起きた! ぶつけた音はかなり小さかったはずなのに聞こえたらしい。いつも俺に注意を払っているからだろうか。足音がこちらに近づいてくるが、ルーナを心配させないためにも、ここは寝たふりをして安心させることにする。
次からは周りの状況にも気を配ろう。
というわけで、おやすみなさい……。
俺は目を閉じ、いつの間にかそのまま眠ってしまったのだった。
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