別の脅威

 居酒屋の前でコハルと茶髪女性が別れのあいさつを交わしていた。


 茶髪女性が顔を少し紅潮させながらつぶやく。


「それじゃあ、あたしはここで失礼しますね」


「はい、また明日よろしくお願いしまーす」


 コハルは片腕を軽く上げて、ヒラヒラと横に振っていった。


 茶髪女性は軽く頭を下げたあと、体をひるがえして街灯や建物の窓から漏れた光で照らされた町の中に姿を消していく。


 コハルは素早く腕を下ろし、遠ざかっていく茶髪女性の背中を見送っていった。


(さて、私も帰ろう)


 きびすを返し、歩道を明るく照らしている建物の横を通っていく。


(うぅっ、飲みすぎたかしら? 少し体がふらつくような。でも今日は二杯しか飲んでないのに。体の調子が悪いのかな? うぅ、早く家に帰ろう)


 コハルは額を押さえながら神妙な面持おももちで路上を見つめる。


 そして、自身の両頬を強く叩いたら、少しおぼつかない足取りで町中を歩いていった。


 町は仕事帰りの人が行き交っていて、車道にも色々な乗り物がライトで前方を照らしながら横切っていく。


 




 コハルは大通りを曲がり、住宅街の路上を歩いていた。


 周囲の住宅は所々に窓を光らせていて、住人の様子を伝えている。


 また、住宅街は静けさに包まれていて、コハルの足音を阻害する要素が少ないため、鮮明に周囲に響き渡っていく。


 暗闇に包まれた道路を街灯が一応照らしてはいるけれど、それだけでは闇を払いのけるのには不十分で、薄暗闇が広がっている。


 そして、コハルが暗い住宅街の帰路を歩いていると、目の前で黒い猫が横切っていった。


 猫は素早い動きで移動していき、住宅の敷地に足を踏み入れていく。


【ミャーオ(追いかけてこないでね)】


 コハルは黒い体毛で包まれた猫を目で追っていった。


 黒い瞳が左から右へを移動していく。


(あら、猫ちゃん。元気だねぇ)


 一方、コハルの十数メートル後ろには、黒い衣装を身に纏った男性が彼女と同じ進行方向に向かって歩いていた。


(標的はあの女にしよう)


 黒い男は表情を消して、歩く速度を僅かにあげていく。


 コハルは眉尻を下げ、怯えた表情で遠方の夜道を見つめ続ける。


(さっきから私以外の足音が聞こえるけど、誰かいるのかな? まさか幽霊じゃないよね? お願い、普通の人であって!)


 そして、歩きながら後ろに視線を向ける。


(ほっ……誰か後ろにいるけど、幽霊じゃなさそう。失礼だけど不気味な雰囲気は感じるけど、人間だね。よかったぁ)


(見られたな。このまま警戒されるか?)


 安堵の息をつきながら、少し緩んだ顔を正面に向けなおすコハル。


 それから先ほどと同じ歩行速度で帰宅を続けていった。


 黒い男は目に力を入れながらコハルの後頭部を眺める。


(ただ確認しただけか?)


 そして少しずつ歩く速度を上げていき、徐々にコハルとの距離を詰めていく。


 それから衣服のポケットから布でくるまれた棒状の物を取り出した。


 右手で握りしめた棒状の物を包んでいた布を左手ではぎ取ると、中から銀色の刃が姿を現す。


 刃渡り五センチメートルほどのナイフの刀身は街灯と月から放たれたわずかな光を受けて存在感を放っている。


 黒い男はコハルに鋭いまなざしを向け、更に歩く速度を速めていく。


 それからコハルのすぐ後ろまで追いついたら、持っていた刃物を前方に突き出す。


(お姉さん、さようなら! そして俺の人生もさようなら!)


 ナイフはコハルの背中右側を静かに、そして瞬時に貫いていく。


 コハルは顔をしかめながら背面に刺さっていた凶刃から逃れるように前方によろめいた。


「いぃいたっ!」


 そして辛そうな表情を作りながら素早く背後に振り向く。


(え、なに……? 何か引っ掛けた? 痛い! ……えっ、だれ!? それに暗くてはっきりと見えないけど、手に持ってる物は。……えぇっ、刃物!?)


 黒い男の手元を目を見張って凝視する。


 それから手を背中に回して傷口に触れていく。


(う、なんか濡れてる? というかまさか!)


 背中に伸ばしていた手を前方に移動させ、指にまとわりついた液体を見つめる。


 わずかな光だけど、街灯がしっかりと付着した物の色を照らしていく。


 コハルは表情を固めさせながら赤黒い物に視線を固定させた。


(え、え!? う、やっぱり血!? じゃあこの背中の激痛は……! それよりこの人は!)


 目を見開きながら大きく口を開け、


「きゃあぁぁぁっ!」


 静まり返った住宅街に甲高い悲鳴を響かせていく。


 静けさはコハルの叫びを増幅させていった。


 コハルはすぐに体を反転させて、黒い男から離れるように走り出す。


「イヤッ、だれか助けてっ!」


 黒い男は無表情を維持しながらコハルの後を小走りで追っていく。


(逃がさない!)


 コハルは背中を押さえながら、前方に逃げていった。

 また、時々後ろを振り向きながら、黒い男の様子を確認していく。


(うぅ、背中が痛い! 走るたびに激痛が走る! でもここで痛みに負けて速度を落としたら痛いだけじゃすまない!)


 顔をしかめながら夜道に足音を響かせていった。


 黒い男もコハルより小さいけど静寂に靴音を鳴らしていく。


 コハルは首から下げているペンダント型携帯端末フォンダントに触れる。


 フォンダントはコハルの前方の宙に横長い長方形の画面を映し出す。


 しかし、走りながらなので宙に浮かび上がった映像は乱雑に揺れていく。


 それでも眼前の映像を指で押していった。


 画面は十二個の数字が描かれた正方形が並べられたものに移り変わる。


 コハルは【1】を二回連続でつついていき、さらに【0】を突いていく。

 そして最後に【通話】と書かれたボタンに触れる。


 するとフォンダントから発信音が発せられ、音が止まったと同時に大人の男性の声に切り替わった。


『お待たせしました。緊急通報110番警察です。事件ですか? 事故ですか?』


 コハルは辛そうな表情を浮かべながら語気を強め、


「助けてください!」


『今どのような状態なのか教えていただけますか?』


「知らない男性に刃物で刺されました! はぁ、はぁ……夜道を歩いてたら急に後ろからです! 今も彼に追いかけられていて」


『周りになにか名前の分かる建物、お店などはありませんか?』


 一度背後を振り向き、続けて周囲を見渡していくコハル。


「住宅街です!」


『分かりました。至急現場に向かいますので、なんとか逃げ切ってください』


「早く来てください! はぁ、はぁ……このままじゃ追いつかれます!」


 黒い男は細めた目をコハルに向け、


(ちっ、通報しやがったか。逃げるか? いや、ここまできたなら息の根を止めるまで行こう)


 走る速度をさらに速め、コハルとの距離を縮めていく。


 そして、コハルの背中に接近することに成功したら、右腕を前に突き出していき、ナイフをコハルの胴体に刺しこもうとする。


(追いついた! あとはただこいつを苦しめるだけだ)


 コハルは素早く後ろを振り返り、目を見張っていく。


(えっ、イヤ! 殺され――)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る