「好きなの?」と訊かれて無邪気に「好きだよ」と無敵に言える強さがほしい

「もしかして創作活動から離れたのもそのせいなの? 嘘をつけないと小説が書けないから?」


 小宮がそう尋ねてくる。


「それは関係ないよ。嘘とフィクションとは、別のものだから」

「どう違うの?」

「“これから嘘をつきます”って言いながら嘘をつく人はいない。けど、フィクションの場合は“この物語はフィクションです”って堂々と言える」


 常盤の答えを聞いて、小宮はふふっと笑い返した。そんなにおかしい答えだっただろうか。


「ううん、おかしくて笑ったんじゃなくてね。なるほどなぁって納得したの」

「そう……」

「面白いよね、小説って。事実でないはずの虚構によって、真実を伝えようとするんだから」


 今度は常盤が笑い返した。なるほど、たしかにそうかもしれないと思って。


「もうひとつ質問していい?」

「どうぞ。嘘をつかなくて済むような質問だったら、ね」

「この前、ときちゃんの手帖を見させてもらったとき、妙に印象に残った歌があるんだよね。“夕差しに染まる河原の笑い声 こういう夏も好きな気がする”って歌」


 常盤は背筋がピクッとする。

 短歌をたしなむ人たちのなかには、何も見ずに古今の名歌を一字一句そらんじられる人も少なくない。常盤も好きな短歌、好きな歌人の代表作くらいは心のノートに刻まれている。

 けれど、一瞬見られただけの自分の短歌を小宮が正確に記憶しているとは思いもしなかった。


「一瞬しか見てないはずなのに、よく憶えてるね」

「この一首だけなぜか目に留まっちゃったんだよね。なんか、すごいフニャフニャな字で書かれてさ」


 常盤はカバンをまさぐって、そこに手帖がちゃんとあることを確かめる。手書きの文字だから、書くときの気分やテンション、状況によって、文字の形・大きさ・濃さなんかに個性が出る。


「こういう夏も好きな気がする」


 小宮は下の句をもういちど繰り返した。


「“夏”ってなのかな?」


 常盤は、帽子を引き下げて目をそらした。


「夏っていうのは、人を指す言葉じゃなくて、季節を指す言葉だよ」

「一般的には、ね」

「……ご想像にお任せするよ。作品をどう解釈するかは読み手の自由だからね」


 小説にしろ、短歌にしろ、解釈は読み手に委ねられている。自由に解釈していいし、いろんな解釈があっていい。そうやって想像を広げられることは、鑑賞の醍醐味のひとつなのだから。


「あ、また誤魔化ごまかした」

「そういう返事じゃダメ?」

「いいよ。そういうことなら、ご想像に任せさせてもらう」


 嘘をつきたくなくて、でも正直にも言いづらくて。それで誤魔化したり、はぐらかしたりすることが多くなった。


「それじゃ、ついでにもう一個。これから言うことは、わたしの勝手な妄想にもとづく妄言だから、聞き流してね」

「うん」


 しかし小宮はなかなか発言しなかった。たぶんその時間は、言葉を探しているのではなくて、気持ちを整理するための時間だったのだと思う。

 二人の間を夜風が通り抜けた。


「ごめんね」


 小宮は短く、それだけ口にした。

 それが何に対する「ごめんね」なのか、常盤は尋ね返さなかった。小宮が続きを口にするのをじっと待った。


「わたし、ときちゃんの気持ちに全然気づいてなかった。自分の気持ちしか考えてなかった。ときちゃんには、ずっと協力してきてもらってたのに」


 小宮は、常盤が近藤に好意を寄せていることを確信しているようだった。

 

「バカだよね、わたし。ときちゃんの気持ちに気づかないまま、協力してもらってたんだから」

「バカなのはたぶん、おいらのほうだけどね」


 そんなこと言い出したら、きっとみんなバカなのだ。小宮や常盤だけでなく、近藤とか、柳澤とか、あるいは静原も。簡単なことに気づいてなかったり、気づいてても素直になれなかったり、素直じゃないことを認められなかったり。

 頭いいくせに、バカなのだ。


「でも、近藤と小宮の仲がうまく行ってほしいと思ってるのは本心だよ。二人が幸せになってほしいって、おいらは願ってる」

「ときちゃんって、そういうことはすんなり言えちゃうんだ……」

「だってその気持ちは嘘じゃないし」

「ふふ。そっか」


 小宮は微笑すると、くるりと踵の向きを変えた。そして「ちょっと歩こ」と誘ってくる。先に歩き出した小宮の隣に、常盤はすっと追いつき、肩を並べて歩く。

 歩きながらのほうが話しやすいのは、面と向かって顔を合わせなくて済むからだろうか。

 小宮と並んで歩く帰り道は、歩幅がいつもよりゆったりしていた気がする。


「あーあ、ときちゃんと恋バナしてみたかったんだけどなぁ~」


 その声に毒気は含まれていなくて。イヤミや当てこすりでなくこんなセリフを言いのけてしまうことに、ヤキモキする。

 常盤はかぶっている帽子に手をやる。つけっぱなしにしている緑の羽根が手に触れた。小宮が勝手につけて、そのままになっている緑の羽根。

 正直に話すなら、今が潮時なのかもしれない。


「そういう話を避けてきたのは、なんていうか、言葉にするとバランスを崩してしまいそうな、そんな気がしたからというか……」


 常盤の言い方がたどたどしかったせいか、言葉の途中で小宮のクスクス笑いが返ってくる。


「喋りづらいんならムリに喋んなくていいよ」

「でも……」

「ほんとのこと言うとね、ときちゃんに少し嫉妬ジェラってたんだ」


 小宮の声は川のせせらぎとともに、ゆくらかに流れていく。


「これから話すのはさっきの続き。わたしの勝手な妄想の妄言だから、聞き流してね」


 そう言って小宮は話し出した。


「彼からアセクシュアルだって告白されたとき、泣いちゃったのは、たぶん、そのせいでもあるんだよね」

「……どういうこと?」

「アセクシュアルって単語を最初に出したのは、近藤じゃなくてわたしのほうだったんだよ。説明を聞いてる途中で、“近藤ってアセクシュアルなの?”って聞いちゃったの。そしたら彼、“常盤から聞いたのか?”って聞き返してきたんだよね」

「……そっか」

「ときちゃん、知ってたんだよね。彼がアセクシュアルだってこと。中3のときにはもう」


 そのとおりだった。

 常盤がアセクシュアルのことを知ったのは、中3のとき。近藤本人から相談を受けたのだった。

 近藤は正直に小宮に打ち明けるべきか悩んでいた。常盤はとりあえず保留にすることを勧めた。近藤は恋愛感情が分からないと言っていたけど、単にまだそういう感情が芽生えてないだけかもしれないし、友達としては大事な関係を続けたいとも考えていた。だからアセクシュアルのことは伏せておいたほうがいいと、常盤は言ったのだった。

 それが「友達以上恋人未満」の関係に落ち着くことになった。

 結果として小宮には、報われない片想いを長く続けさせることになったとも言える。


「ときちゃんにはアセクシュアルのこと伝えてたのに、わたしには黙ってたってことだよね。ちょっぴり嫉妬しちゃった」

「それは……」

「うん。わかってるよ。わたしを傷つけないようにって、言わないでくれてたんだよね。

 でも、ときちゃんは近藤のヒミツを共有してたのに、わたしはけ者にされてたんだと感じて、ヤキモキした」

「ごめん……」


 聞き流してとお願いはされたが、常盤はつい謝ってしまう。

 小宮はゆっくり静かに首を振って、謝る必要はないと意思表示する。


「もちろん、彼がアセクシュアルだってこと自体もショックだった。いや、ショックなんて言っちゃ失礼か。でも、そのことを知ってから、やりきれない気持ちをずっと引きずってたのは事実なんだよね。

 でも同時に、別のことも思った。なんで近藤はときちゃんにだけ言ったんだろう。なんでときちゃんは、わたしには教えてくれなかったんだろうって」


 大きく息を吐きだすように、深呼吸する。


「ときちゃんを恨むのはスジ違いだけどさ。でも、感情がはけ口を求めたのも事実なんだよね。

 わたしの6年間って、いったい何だったんだろう。もっと早くこのことを知っていたら、このやるせない気持ちも、ここまでは大きくはならなかったかもしれないのに……ってね。

 だから京徳大学に入って、ときちゃんと再会したとき、ちょっとフクザツな気持ちもあった。再び会えたのは単純に嬉しかったけど、わたしの中では、まだ心の整理がついてなかったし」


 小宮と再会してからしばらく、二人の間で近藤の話題が出ることは少なかった。小宮から“ビミョーな距離感”の話を聞いたのは、前期の期末試験が終わってからだ。

 それは近藤の話が出るのを避けるようにしていたためだ。


「でも最近になって、ようやく気づいた。もしかしたら、ときちゃんも近藤のことが好きなんじゃないかってね。

 ヘンな話だけどね、ときちゃんも近藤のことが好きなのかもしれないって気づいてから、不思議と気持ちがスッキリしたんだよね」


 スッキリしたと語る小宮の表情は、清々しいかぎりだった。


「ときちゃんの気持ちに気づけたのは、柳澤さんのおかげかもだけど。

 知ってる? 柳澤さん、ときちゃんの不器用に正直なところが好きって言ってたんだよ? 不器用正直じゃなくて、不器用正直なところがいいんだって」

「変わってるね、あの人も」

「そう? わたしもときちゃんのそーゆーとこ、好きだよ?」

「小宮の場合はおいらをおちょくりたいだけでしょうがっ」


 小宮は遠慮も自重もなくクスクス笑う。その笑い方に気を許して、常盤はあきれ笑いの溜息を漏らす。

 ひとしきり笑い終えると、小宮はステップを踏んで前に出て、半回転して常盤と向かい合う。


「……ごめんね、ときちゃん。でも、ありがとう」


 常盤はリアクションに困って、つい立ち止まる。

 こんなことを言われて、いったいどう返すのが正解だというのだろう。


「もしかしたらわたしは、ときちゃんの気持ちに気づかないフリをしてきたのかもしれない。ときちゃんに恋を応援してもらってきたのに、ずっと応援し続けてくれているのに、そのせいでときちゃんがガマンを強いられているのだとしたら……。

 わたしはその事実に目をつぶりたかっただけなのかもしれない」


 そして小宮は自嘲気味に笑った。


「やっぱりわたしって、ズルい女だよね」


 常盤は短く溜息をつく。


「小宮がズルいっていうなら、おいらだって十分じゅうぶんズルいよ。

 本人の同意なくその人の性的指向をバラすことは“アウティング”って言われてて、やっちゃいけない行為になってる。

 おいらが近藤のアセクシュアルのことを黙っていたのは、それが理由だよ。そういうがあったから、それを言い訳にできた。

 おいらは単に、結論を先延ばしにしただけだよ」


 常盤がそう言うと、小宮は「正直だね」と言って微笑み返す。


 もしも時計の針を巻き戻せるなら――。

 常盤にとっては、中3のあのときがそうした分岐点のひとつかもしれない。同時にまた、今まさにこの瞬間も人生の分岐点なのかもしれない。後々になって過去を振り返ったときに、時計の針を戻したいと、そう考えてしまうときが来るのかもしれないと思った。

 たぶん、小宮はまだ常盤のことを誤解している。

 もし常盤が自分の気持ちを素直に打ち明けるなら、今このタイミングがひょっとしてベストかもしれない。

 でも、常盤の口から出たのは、結局こんな言葉だった。


「お互いいばらの道だよね。恋をしない人に恋しちゃうなんてさ」


 その言葉をどう受け止めたのか、小宮はふふっとかわいらしく笑った。けれども、常盤はその笑顔をまっすぐに見ることはできなかった。

 小宮は思いの丈を述べてくれたのに、常盤はまだ素直にはなりきれていなかったから。




「好きなの?」と訊かれて無邪気に「好きだよ」と無敵に言える強さがほしい

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