大学じゃ教えてくれない経済学 落ち込む友の景気づけ方

「せっかくのついでだから、思い出話、してもいい?」

「どんな話?」

「これまででいちばん氷河期になったときの話」


 小宮はゆっくり語り出す。


「高1の3学期。ほら、ときちゃんの家にも電話したことがあったでしょ? 憶えてない?」

「あー、そういえば、電話口でなんか相談されたことがあったっけ?」


 常盤はケータイを持っていなかったから、かかってきたのは家の電話だった。

 家電いえでんだと長電話してると怒られるし、喋ってる内容を親に聞かれるのも好きじゃないから、常盤はあんまり利用しないようにしていた。

 ただ、あのときは珍しく電話口でそこそこ長く会話した。もっとも、内容は正直あいまいだ。小宮は半分涙声で、話もぼんやりしていたから。憶えているのは、小宮の愚痴を延々聞かされたことだ。


「近藤とケンカしたんだっけ?」

「ケンカですらなかったよ。わたしが一方的に彼を怒らせるようなことをしちゃっただけ」

「珍しいね、近藤が一方的に怒るなんて」


 挑発に乗ったり、ケンカを買ったりすることとは縁遠いイメージだ。ほかならぬ常盤自身も肩透かしを食らったことがある。

 そう、近藤が志望校を変更したときだ。近藤が志望校を小宮と同じところにしようとした。そのとき常盤は「なんで好きでもない人のためにそこまでするの?」と吹っかけたのだった。

 あのときは口論になってもおかしくなかったはずだ。でも近藤は反論してこなかった。そして入試が終わってみれば、近藤は黙って結果を出していた……。

 先日、送り火を見に行ったときもそうだった。迷惑をかけても、恨み節ひとつ垂らさない。

 近藤のカンニン袋を爆発させるようなことが、いまいち想像できない。


「ちょっとしたイタズラのつもりだったんだよ」


 小宮のささやく声は、自分自身に語りかけているようでもあった。


「うちの高校は漫研と文芸部が合同で部誌を出してたんだけどね、ちょうどその締切間際の時期だったから、彼が執筆に忙しくて、その……あんまりわたしにカマってくれない日が続いてたから、気を引きたくなって……」

「それでイタズラを仕掛けたと」

「……のつもりだったんだけど、間違って作品データを消去しちゃったというか」


 気を引きたいという感情からイタズラをしてしまったというのは分からないでもない、と頷きかけていた常盤は唾をのむ。


「いつのまにかデータが消えてたら、彼があわてるところを見れるかなと思って……こっそり。バックアップをUSBメモリに保存したつもりだったんだけど、それを失くしちゃって」

「そういうデータって一旦消去しちゃっても、ゴミ箱とかから復元できるんじゃないの?」

「簡単に復元できたらつまらないでしょ? だから、いろいろと……ね」


 つまらないでしょ?……って言われても。小宮らしいと言えばらしいが。


――それだと面白くないじゃん


 そういえば、最近も似たようなセリフを聞いた気がする。


「もちろん、デリートしたのは彼の作品一人分だよ?」

「いや、それだけでも十分重罪だから」


 イタズラのつもりが、ガチで困らせるヤツになってしまったようだ。

 常盤たちも中3のときに部誌の制作が間に合わなくなるトラブルがあったが、あのときはデータが手許に残っていたから、なんとかなった。


「そのときばかりは本気で彼に嫌われたと思った。もともとさ、わたしが彼を好きってだけの関係じゃん? それなのに彼から嫌われたら、一巻のおしまいだよね。なんでこんなバカなことしちゃったんだろうって、あんなに後悔したことなかったよ」


 漫研との合同制作だったのは、お互いの部員が少ないためのやむにやまれぬ措置だったそうだ。そうした事情だったためか、両部の間ではちょっとしたいざこざもあった。

 いよいよ締切が大詰めに迫ってピリピリしていた時期、小宮がイタズラをしたのはそんなタイミングだった。

 文芸部は漫研より発言権が弱く、だからこそ近藤は評価されるような作品を書こうと意気込んでいた。小宮の行為はそれを台無しにしかねないものだった。

 小宮は全身から力を抜いていくように、語った。


「苦しかったなぁ。非は全面的にわたしのほうにあったから。どうしてこんなことやっちゃんたんだろうって、悔やんでも悔やみきれなくて。彼がわたしを無下にしても、なんにも言えなかった。当然だよね。しばらく部に顔出さないでって言われて、頷くしかなかった。締切に向けてみんな動いてたから、彼だけじゃなくて部のほうにも迷惑かけちゃったからね。

 彼が赦してくれなくても、それは仕方のないことなんだということが、残酷すぎるくらいわかって、それが一層つらかった。赦してもらえるなら、なんだってするのにって思った。時間を巻き戻すことができるなら、どんな代償だって払えるって感じた。もちろん、それができないことも残酷すぎるくらい分かってて。それがまた一層つらいんだよね。

 部活に行かなくても、学校の中ですれ違ったりする機会はあって、でも彼は目を合わせようとはしてくれなかった。それが正当な反応だと頭では理解できて、その事実が余計にわたしを苦しめた。もう元どおりの関係には戻れなくてもいいから、せめて関係値がリセットされてくれたら……なんてことまで考えたよ。なんていうかな、彼が記憶喪失になって、わたしのことなんかすっかり忘れて、二度と以前の関係に戻れなかったとしても、そのほうがマシなのかなって。彼の中で、わたしという存在がマイナスになっていることが、すっごく心苦しかったからさ。

 結局、部活はそれっきり行かなくなった。

 一回ね、ちゃんと説明すれば分かってくれるかもと思って、言い訳もしたんだよ。なんでそんなことしたのかっていうね。今にして思えば、ヒドイ言い訳だったって、自分でも思うんだけどね。イタズラしたのは気を引きたかっただけなの、あなたのことが好きなだけなのって。そんなことを訴えちゃった。彼のことが好きだったから、振り向いてほしくてイタズラしようとしたんだよって言っちゃった。ヒドい言い訳だよね。独りよがりで自分勝手な、自己満足の謝罪。「好きだから赦して」って頼んでるようなもんだもんね。あとになってサイテーな謝り方だったと自己嫌悪したよ。

 ああ、彼のことこんなに好きだったんだなって、痛感した。彼と話せないでいたときも、彼が赦してくれたときも、狂おしいくらいに。

 仲直りしたあとはね、それまで以上によく話すようになった。これまで話さなかったような話題も打ち明け合ったりして。まあ、私が一方的に惚れてて、彼はなんとも思ってないのは変わんないんだけどね」


 小宮の長い独白を、常盤は耳をすませて聴いていた。2年以上前のことなのに、小宮は当時の感情をありありと語った。それが常盤にもひしひしと伝わってくる。


「仲直りする際、彼、なんて言ってきたと思う?」


 一週間ほど経ったのち、小宮の下校を近藤は下駄箱のところで待っていたという。

 小宮に問いに、常盤は首を振り、先をうながす。


「わたしが戸惑ってたら、彼が第一声、“部誌の原稿、なんとか間に合ったから、一応伝えておこうと思って”って言ってくれてね」

「……データ、復元できたの?」

「ううん。新しく書き直したって。時間的にどうしても間に合いそうにないから、構成を手直ししてね」


 ちなみにその一件以来、近藤はクラウドを併用するようになったという。


「データを消しちゃったことに関しては、もう気にしてないからの一言だったよ。出来心とはいえ、あんなにヒドイことしちゃったのにさ。わたしのことを避けるようにしてたのも、原稿に専念したかっただけだからって、むしろ謝られちゃったくらい。わたしが傷心してることを彼は気にかけてくれてたみたいで」


 あとになって小宮は別の部員から事情を聞いて、なお驚いた。近藤はデータを紛失したことを説明する際に、いっさい小宮の名を出さなかったという。予定どおりの原稿を上げられなくなった原因を自分のミスとだけ説明して、先輩に頭を下げた。もしかしたら部活に来るなと小宮に告げたのも、余計な火の粉がふりかからないようにするためだったのではないか、と。


「それでさ、彼、最後になんて言ったと思う? “イタズラするなら、今度からはもっと可愛げのあるやつにしてくれ”って言ってくれたんだよ」

「…………それはすごいね」


 常盤が一言感想を漏らすと、小宮はぐっと身を乗り出すようにして、こう口にした。


「どう? れるでしょ?」


 さっきまでしんみりした顔をしていたと思ったら、小宮はいつのまにかニタニタした顔に変わっている。

 常盤はこめかみを押さえて溜息をつく。


「ねえねえ、どう? 惚れちゃわない?」

「ったく。あー惚れる惚れる、惚れるわー」

「ちょっと! なんで投げやりな言い方なの!」

「逆になんで小宮は喜色満面なの」

「エヘヘ」

「エヘヘじゃないよ、もう。なに? もしかして惚れ直したエピソード聞かされただけ? 恋人自慢かよ」

「恋人自慢じゃないよ。恋人未満だから」


 そう言って小宮はあどけなく笑う。


「ほんとに近藤のことが好きなんだね」

「ほんとに好きだし、本気で好きだよ」

「そういうとこは全然ブレないね」

「うん。恋する気持ちはずーっとだもん。…………だからこそ悩んでるんだけどね」


 屈託のない笑顔の中に、ほんの少し陰りが混じる。ベタ惚れの相手が決して振り向いてくれないとは、どうして神さまはこんな巡りあわせを用意したんだろう。

 しかし小宮がそんな表情を浮かべたのはわずかひとときのことで、気づくといつもの笑みに戻っている。


「今日はありがとね。付き合ってもらっちゃって」

「いや、誘ったのおいらのほうだし」

「あ、そういえばそうだったね。……でも、今日はときちゃんに色々話せてすっきりしたよ」


 小宮の顔は晴れやかで。小宮らしい表情にも見える。


「ときちゃんと話してると、なんだか元気をもらえてる気がするんだよ。ときちゃん、まるで自分のことのように悩んでくれてるように感じるから。あのときだって、電話口でときちゃんが掛けてくれた言葉、いまでもはっきり憶えてるよ」

「そんな大した言葉なんて掛けたっけ?」


 小宮はまたクスクスと笑う。


「“小宮のために何かをしてあげることができるわけでもない、気の利いた言葉の一つも掛けることができない、それがおいらは悔しい”って言ってくれたんだよ。

 わたしが一方的に相談しただけなのに、何もできなくて悔しいなんて言ってくれて。なんか近くに寄り添ってくれてるように感じてさ、とっても嬉しかったんだよね」


 そんなふうに言われて、常盤は面映ゆい。同時に、自分の非力さを悔しんでるのが当時と変わってなくて苦笑してしまう。


「そっか。それならよかったけど」

「もしまた落ち込むことがあったら、ときちゃんに元気をもらおっかな」


 小宮は人差し指を頬に添え、ちょっと大袈裟にシナをつくってみせる。


「あいにく経済学部じゃ、景気づけの仕方は習わないんだけどね」


 たあいもない冗談に、二人の笑い声が重なった。




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